第6話 御曹司(おんぞうし)の就職
ボウリング場にとって12月の29日~31日と1月の1日~3日に渡る6日間は特別な日で、事前に市内のボウリング場の店長が話し合い正月の料金を定める。
当然普段より割高になるが、正月休みを楽しみたい人々にとって多少料金が高くなっても余り気にしない。それどころかボウリング場には客があふれかえって2時間待ちや3時間待ちになることもある。
特に1月の1日~3日の3日間の売り上げは、その年の売り上げに比例するので、第2営業部の波川課長は気が気でならない。そのため複合施設アッパーとしてお正月のイベントとして1月1日の0時丁度にボウリング場でアドバルーンを大量に飛ばして、お客様に拾って頂く。
アドバルーンをはざすと中にはアッパーだけで使える金券や割引券の他、旅行ペア宿泊券などが入っている。外れは無く最低でも100円くらいの駄菓子が当たる。客寄せの為に行なわれる販売促進(通称販促)の商品だ。
昭和56年1月4日は日曜日であったため、例年よりも客足は良く波川課長は胸をなで下ろしていた。
1月5日月曜日、正月の浮かれた気分が落ち着いて行く中、ボウルアッパーに1本の電話が届く。
「お忙しい所すいません。私、花形美(はながたみ)モータースの社長をしております花形美 始(はじめ)と申しますが、この電話を副社長に繋い(つない)でいただけませんでしょうか?」
電話を取ったのはベテランの岩月さんであったが、飛ぶ鳥も落とす程の勢いで急成長を遂(と)げた天下の花形美モータースの社長から直々の電話となると緊張した面持ちで副社長の秘書に「花形美モータースの社長から副社長に電話を繋いで欲しいとの事です」と付け加えた。
小さな企業ならともかく、年間売り上げ2000億円しかも売り上げに対する税引き
後利益率7%で尚且(なおか)つ右肩上がりで成長を続ける天下の花形美モータースを経営する社長からの電話となれば、有能な秘書の対応は違った。
一応形式通りに「少々お待ちくださいませ」と返事をしてから慌(あわ)てて副社長に「花形美モータースの社長から副社長に電話を繋いで欲しいとの事ですが」
これには副社長も驚いた。花形美モータースの経営手腕(しゅわん)は日本ではほぼライバル無きに等しい。副社長自身出来る事ならば商売の秘訣 (ひけつ) を伝授してもらいたい位の大物から自分宛(あて)に電話が掛ってきたのだから緊張を隠しきれないまま秘書に「すぐにお繋ぎして」と言うと相手と話が出来た。
「お忙しい所大変申し訳ございません。私、花形美モータースの社長をしております花形美 始(はじめ)と申します。実は折り入って、お願い事がございましてお電話をさせて頂いた次第(しだい)です」
「恐縮でございます。天下の花形美モータースを経営なされている社長様からお電話を承(うけたまわ)るだけで私としては光栄です。所でご用件は何でございましょうか?私の権限で出来る事なら何でもお引き受けいたします」
「実はうちの4男をボウル アッパーに就職させて頂けないかという相談でございます。当然無条件という訳ではございません。国産でも外車でも花形美ブランドの商品なら一律に20%引で販売させて頂きます。如何(いかが)でしょうか?」
「ボウル アッパーに御曹司(おんぞうし)様を就職させる事位でしたら、造作もございません。しかし御曹司様はゆくゆくは花形美モータースをお継(つ)ぎになられるのではございませんか?」
「仰(おしゃる)る通りでございます。ただ残念な事に私は子供が4人居るのですが長男と次男は最初から親の会社を継ぐ事ばかり考えて、せっかく東大を卒業したのにいきなり『本社に勤めたい』と言い出す始末、長女は逆に反発して東大の医学部に入ってしまったんです。
そして問題の4男は『4人揃(そろ)って東大ではつまらないマサチューセッツ工科大学かハーバード大学に入学したい』と言い出したのです。
しかしながら花形美モータースでは車を輸出する計画は無いので何とか日本国内の大学にして欲しいと親から子へ懇願(こんがん)する事となり、東大以外で東大に勝るとも劣らぬ静岡大学の工学部で手を打ってくれたのです」
「それでは本人の希望を聞いていればMIT(マサチューセッツ工科大学の略)に現役で合格できる程の頭脳をお持ちなのですか?」
「『東大ならば、それ程頭が良くなくても出題傾向さえ分れば楽勝』と3人は言うのですがMITは世界の天才集団が集まる所。
所が4男は何処で模擬試験を受けても合格判定はオールAという有様で、どうやら長男が東大に合格したときから勉強のこつを掴(つか)んでしまったようなのですなのです。簡単に言ってしまえば4人揃ってろくに勉強もせずに一流大学に受かってしまったのです」
「あのー、大変失礼ですが先程からお話を伺(うかが)う限り、子供の自慢話にしか聞こえませんが?」
「誤解を招いて大変申し訳ございません。違うのです。元々花形美と言う苗字は江戸時代に1人のかんざし職人が大奥に献上した所、花の形をあしらったデザインが大変気に入って頂いて多量の注文が殺到しました。
とても1人では仕事を捌(さば)ききれないと悟り、腕利きの職人を集めてかんざしを制作した所、徳川家康公に気に入られ、それまではかんざし屋の頭領(とうりょう)、丁稚(でっち)と呼ばれて居たのですが『花形美と名乗れば良い』と言われ初代花型美家が誕生したのです。
しかし当然かんざしだけでは今の時代まで生き残れる訳は無く、第1次世界大戦では職人の腕を生かして戦争兵器をそして第2次席大戦では戦闘機のエンジンを組み立てる仕事で職人集団を養いました。
戦争が終わると新たな産業として最初は自転車の修理、組み立て、次にオートバイの修理、組み立てそして最後に自動車の修理という近代の花型美モータースの原型が出来上がりました。
しかし修理だけでは大した利益にならず、日本の車産業が充分に発達した時期を見計らって、外車のボディーに国産のエンジンと変速機を装着して販売した所、外車より故障が少ない上に車検が安価であった事から売り上げが急成長をして今に至った訳です。
しかし子供達は4人揃って勉強の苦労をしないばかりか、現場の苦労すら分らないのでは将来自分の会社を任せる訳にはいきません。せめて4男だけでも大きな企業の平社員から始めて、下っ端の苦労を体験させてやりたいのです。
長女はともかく、長男と次男は本社の営業部と経理部に平社員として採用しましたが、何せ名前が花形美ですから黙っていても私の子供と分ってしまい、下積みをさせたくても周りの職員は気を利(き)かしてしまいます。
長男は大学の卒業名簿を使ってダイレクトメールを大量に発送、次男も同じ手を使ってダイレクトメールを卒業生に大量に発送。その結果、今までお得意様にだけ販売していた当社の製品が一般のお金持ちの方にも認知され、捌(さばき)ききれない程のバックオーダーを抱え、第2工場、第3工場を建てなくてはならない事態に陥(おちい)ったのです。
次男には我が社の経営状況を理解してもらうために経理部門を任せたところ、よりにもよって自分の貯金を株で運用し多額の資金をいとも簡単に調達し、第2工場、第3工場の建設資金を銀行から借り入れ無しに行なってしまったのです。
どうやら長男と次男は大学在学中から計画を練っていたようで、今では誰が社長か分らない有様です。
このまま順調に会社が成長すれば言う事は何もありませんが、苦労知らずで会社を急成長させた2人に対して、江戸時代から苦労して今の花形美モータースを築いた私としては、何か1つ歯車が狂えば一瞬にして水泡(すいほう)と帰(き)してしまうのではないかと心配なのです」
「ご苦労お察し致します。アルハンもボウリングブームの際、ボウリング場を全国展開したところボウリングブームが終わってしまい、莫大な借金が残った為に一時期は倒産も危ぶまれた時期がございました。
運良くパチンコ店は黒字であったため倒産を免れ現在に至りますが、我が社と御社が1つ違う点は銀行でお金を借りたか借りなかったかという事です。お子さんの株式運用だけで2つの工場を建設されたと仰いましたが、もしよろしければお子様の資産は一体いくら位ございますか?」
「お得意様が気前良くお年玉を下さったことを良い事に小学生の時から株に手を染め、今では4男でさえ数十億円以上。長男に及んではその気になれば我が社を余裕で買収出来る程でございます」
「出来すぎたお子様達ですね。しかしお嬢さんはどうでしょうか?医学部は医師国家資格を所得してからが大変だと耳にしますが?」
「それが、長女の夢は自分の医大と医大附属病院を持つ事で、本人に言わせれば『大した事では無い、1つのステップに過ぎない』と言い出す始末です」
「スケールの違いはあれど、お互いお金持ちにしか理解出来ない事ですね。分りました。4男さんをうちで採用しましょう。但し面接試験だけは受けさせて頂きます。よろしいでしょうか?」
花形美モータースの社長は快諾(かいだく)し、翌日の火曜日には面接が行なわれる事となった。
花形美モータースの4男は父親の言いつけを守り、ボウル アッパーの面接試験に行った。
面接会場は第2営業部では無く、副社長室で行なわれ、草薙 明同様にまずボウリング場に向かい、職員に副社長室まで案内してもらった。全く緊張感を持たないまま副社長室のドアで3回ノックすると中から「どうぞ」と返事が聞こえてきた。
ドアを開けると「花形美 鶴でございます。本日は面接試験をさせて頂きありがとうございます」と形式通りの挨拶をした。
「まあ席に着いてください」とアルハンの副社長が声を掛ける。副社長の横にはボウル アッパーの店長も同席していた。
副社長の狙いは『花形美モータースの経営ノウハウについて何か自社にヒントとなり得る事を聞き出せないか』の一点であったが、まずはお互いに緊張して本音が出ないようでは仕方が無いので、軽いジャブから入った。
「鶴とは変わった名前だね、名前には何か由来があるのかね?」
「良く聞かれる質問です。私には2人の兄と1人の姉がおりまして、縁起が良い名前を付けようとして、上から順に松、竹、梅という名前を持っております。松竹梅を使い切ってしまったので私は鶴と名付けられました。
平仮名で書くと『はながたみつる』となってしまいますので、有名な漫画の登場人物と同じになってしまい良くからかわれました」
「花形美 鶴 はながたみつる 成る程言われて見ればその通りだね。所で話は変わるが、どうして父親が経営する花形美モータースに就職しなかったのかね、君なら社長の息子なのだから、最初から幹部候補扱いと成り、お金の苦労は全くしないで済んだだろうに」
「副社長が仰るようなダイレクトな質問は歓迎します。私の兄は二人とも東京大学を卒業し、しかも2人とも司法試験に合格して弁護士の資格を持っています。私も静岡大学在学中に司法試験に合格して弁護士の資格を持っております。
よって必ずしも父が経営する会社に就職しなくとも食べて行くには苦労はしません。2人の兄と姉そして私も大学に入学した時点で親からの仕送りは断り、小学校の頃から始めた株取引で資産を形成し一生お金の苦労はしません。
ただ東大と違って静大は『頭は良いが貧困な家庭』で育った生徒も数多く見受けられます。今時1日3食食べることが出来ない、アパートに冷暖房すら無い貧しいクラスメートに私は厚かましく頻回に食事に誘ってあげました。
その結果人望が厚くなり将来裕福になれば花形美モータースの顧客として取り込む事が出来ます。慈悲心(じひごころ)から始めた事ですが、ふと気が付くと会社の経営と同じではないかと思ったのです。
大金をお持ちの方から高額な商品、具体的に申しますと花形美モータースで販売されている車は最低でも本体価格だけで2000万円から最高級となれば数億円もします。
車を購入して頂く一方で花形美モータースに務める職員のお子さんに対しては『高校、大学に入学された時、希望すれば入学金と授業料はその一切を会社が負担する』という奨学金制度があり、将来花形美モータースに就職すれば奨学金を借りていた期間だけ働く事によって奨学金の返済は免除されるという仕組みです。
当然金利はありません。さらに会社には独身用と家族で住める寮を完備し、家賃は独身者用で月々1万円、家族で住める寮も家賃は月々2万円です。当然全く儲かりませんが、遠方から通勤で疲れて出勤しては仕事にならないからと始めた事です。
当然社員からは高評価を得て中途退職率はほぼゼロに近くベテランの職員を育成するにはうってつけです。父親はただ単にお金儲けだけ行なう企業は長続きしないと考え、小さな慈善事業を社員対象に行なっているのです」
アルハンの副社長は考えた (成る程慈善活動か、ロックフェラー財団やロスチャイルド財団が行っているのと同じ手法だな) そしてさらに突っ込んだ質問をしてみた。
「君がもし花形美モータースに就職したら何がしたい?」
「3つございます。まずエンジン周りの技術革新、すなわちより小さな排気量でで大きな出力が出せる上に燃費の良いエンジン、具体的には同じ排気量でガソリン車以上の高出力なディーゼルターボの開発。
次に品質保証期間の延長、数億円もする車が30年程度で部品供給を絶たれるようではクライアントが納得しません。せめて50年は部品の保証をしたいと考えております。
最後に車産業以外への進出。これは当社のアキレス腱です。今の所は何の心配もございませんが、いつか若者が車に対して興味を失ってしまう可能性があります。
そのような事態に直面しても従業員の雇用を守るため金融機関と農業分野に進出したいと考えております。どれ程大きな会社であっても銀行とのお付き合いは必須です。さらに日本では先進国の中で食料自給率が絶望的に低い国です。
私の父ですら東大在学中『食うには困らなかったがサツマイモばかり食べていた』と言う位ですから、農業をオートメイション化させ従業員が土を触らず汗まみれにならないようにすれば従業員はYシャツ姿で働けます。農業と銀行を設立すれば向こう100年は安泰(あんたい)だと考えます」
「いやー、完璧な回答だな。君の父親が心配する理由がよく分った。最後に君がアルハンの社員になって、もし幹部候補になったら何をする?」
「最終目標は株式上場です。成功すれば多額の資金が容易に調達出来ます」
「一寸(ちょっと)待った、それが出来ればとっくにやっているよ」
「お言葉を返すようで恐縮ですが、パチンコの富洋(ふよう)グループはとっくに株式を上場しております。富洋グループが株式上場する事が出来たのは、パチンコ産業以外に親会社があるからです。それならばアルハングループも親会社を作れば良いかと存じます。
具体的にはせっかく複合施設をお持ちなのですから、複合施設の中にスーパーやATMを設置すれば娯楽施設で楽しんだ後に買い物ができます。
当然スーパーと言っても食料品のみならず百貨店のように衣類の販売も行ないます。衣類は高価なブランド商品は販売せずウニクロに代表されるような低価格で高品質な物に限って販売します。
次に全ての店舗において駐車場は屋根下に設置し、台風の日でも雨に濡れる心配なく複合施設にアクセス出来るようにします。さらに駐車場のスペースは1台当たりの面積を拡大します。
3ナンバーのお車で来店された方が楽に駐車場に停められるようにします。当然立体駐車場として複合施設アッパーの施設面積が狭くなるような事はしません。
最後に花形美モータースの大衆向けブランド、パブリック ハナガタミを立ち上げて御社の複合施設で軽四だけを販売します。当然他の花形美ブランドと同様に外観とエンジンには手を付けず、全ての軽四にロールバーを標準装備し安全性能を飛躍的にアップします。如何(いかが)な物でしょうか?」
「君がもし花形美 鶴君で無ければ、机上の空論と笑っていただろう。しかし君はまだ22歳という若さで数十億円の資産を持ち、大学には4年しか在学をしなかったのに弁護士の資格まで持っている。
お金と資格、末恐(すえおそ)ろしい。間違っても敵には回したくない。しかしそれ程の構想があるのなら何故我が社のボウリング場に就職を希望するのかな?」
「花形美モータースは2次産業の会社です。一般論として国が栄えると1次産業、2次産業、3次産業と順番に発展して行きます。
御社は3次産業としてサービス業を営(いとな)んでいらっしゃいます。私は父の会社を継ぐにあたり3次産業を立ち上げる為に、実際に労働者として雇用される立場となり、1次産業と3次産業の分野を立ち上げる前に現場で3次産業の労働者は何を苦労するのか、この目で確かめたいと存じます」
「阿野さん、君から何か確かめておく事はあるかな?」
阿野店長は (言いたい事は沢山あったが、あえて3つに絞って尋ねてみた)
「言うまでも無いが私を含めアルハンの社員は君を特別扱いしない。力仕事も沢山あるが大丈夫か?」
「力仕事なら喜んで承(うけたまわ)ります。実は静大の工学部では2年間は静岡で過ごしボウル アッパーにもお世話になりました。この際ですからプロボウラーの試験にも合格したいと考えております」
「もう一つ、アルバイトをした事はあるかね?」
「静岡に居た時は登呂にある磯(いそ)おろしの蕎麦屋(そばや)でアルバイトをしておりました」
ここで副社長が割って入った。
「磯おろしの蕎麦はうまいことで有名だが、アルバイトにはきついと聞いて居るが、大変では無かったか?」
「熱いどんぶりを運ぶのは大変でしたが、すぐに慣れました」
「最後に1つ。君は4年間で大学を卒業し司法試験にも合格している。確か司法試験は合格してから司法研修所に通わなくてはならない筈(はず)だがどうやって両立したのかな?」
「佐野店長は大卒のようですね。大学の単位は医学部を除けば基本3年間で取得出来ます。ですから大学の単位は3年間で取得しながらアルバイトもしつつ、司法試験の勉強もして4年生の時司法試験に合格し司法研修所に通いました」
「申し分ないなあ。副社長このまま採用と言う事でよろしいでしょうか?」
「いや、私からあと1つ質問がある。なぜ東大の工学部では無く静大の工学部に進学したのかね?」
「現在世界の大学ランキングでは東大は100番以内に入っていません。1番はマサチューセッツ工科大学です。しかしながら、静岡大学の工学部は第2次世界大戦中ほんの一瞬ながらマサチューセッツ工科大学を抜いた事がございます。
高柳 健次郎氏が率(ひき)いるチームが世界で初めてテレビを作りました。高柳 健次郎氏よって静岡大学の工学部は偏差値や大学ランキングでは計り知れない高度な技術を学ぶ事が出来ます」
「私からは申し分ない、この場で採用を決定しよう」
「ありがとうございます」
花形美 鶴が退席すると、副社長と店長は鶴君の処遇について話をした。
「副社長、本当に特別扱いをしないでよろしいのでしょうか?」
「本人と父親が承諾(しょうだく)しているのだから構わない、それより彼の静岡大学の成績を見たか?」
「はい、拝見(はいけん)させて頂きました。オールAですね、それも体育を含めて」
「面接試験に大学の成績表を持ってきた者はアルハンでは彼が初めてだ」
「文武両道(ぶんぶりょうどう)をアピールしたかったのかな?」
「阿野店長、特別扱いはしなくて良いが、彼から経営上の提案があったら第2営業部を通して速やかに実行して頂きたい。正直な所、彼がアルハンで学べる事とアルハンが彼から学べる事では比較にならない。
鶴君は既にアルハンの社長レベルを越えた経営能力を持っている。22歳で数十億の資産、とても我々では太刀打ち出来ない、出来る事なら経理に就職させて資産運用を任せたい位だ」
「副社長の仰る通りでございます。余りにも出来すぎている、親御(おやご)さんが心配する訳です。もし私が彼の立場なら資産運用だけで生活をしたと思いますが、恵まれた立場を貧しい人々の為に費(つい)やそうとは大した理念でございます」
こうして 花形美 鶴は昭和57年4月1日木曜日にボウル アッパーに就職が決まった。
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