第7話 年上の後輩

 昭和57年4月1日は木曜日、花形美 鶴は複合施設アッパーでタイムカードを押した。

 考える事は沢山あったが、とりあえず業務全般を覚えなくてはと考え、入社1日目なので念の為100万円を使ったオーダーメイド(既製品では無く本人の寸法計測して作る注文服)の背広を着て行った。


 一般社員から見れば、そもそも最初からおかしかった。

 ボウリング場の休憩室で背広を脱いで制服に着替える、5万円の革靴を脱いで運動靴に履き替えると他の従業員達も出勤してきた。


「今日からお世話になります花形美 鶴と申します。よろしくお願いします」


 従業員達の反応は人それぞれであったが「とりあえず朝の仕事をして朝礼に参加しよう」と先輩に言われ鶴は従った。ネームバンドには石切と書かれていた。


 石切先輩はまず最初に部屋の片隅に置かれた金庫に手を付けた。

「番号を教えるからメモしておいて」


 彼は金庫のダイヤルに指を添えると、81を3回、25を3回、11を3回右に回した後持参した鍵(かぎ)を鍵穴に刺して右に回すと金庫の取っ手を下に降ろした。ガチャンという小さな音の後、取っ手を引くと金庫が開き、中には釣り銭が10万円入っていた。


「ハイ、ニコニコ、イイネって覚えると簡単に覚えられるよ」と言いながら釣り銭をレジと両替機にしまった。


「次にはボウル リターンの掃除から、次にレーン上の蛍光灯をチェックして切れている蛍光灯は全て交換をする。朝は忙しいから仕事を指示した通りに行なって」


 ボウルリターンの掃除を行っていると、メカニックを担当している瞬間湯沸かし器の神谷が通りかかった。鶴は迷うこと無く「おはようございます」と挨拶をしたが相手の反応は意外だった。


「何処 (どこ) のお坊ちゃんだか知らねえが、俺は容赦しねえぞ」

 しかし鶴は冷静に判断し返事をした。


「フロントのお仕事はボウリング場の顔ならば、メカニックはボウリング場の心臓部に値します。何かとお世話になりますが、よろしくお願いします」


 ボウリングの心臓部と言われると悪い気はしない、神谷の殺気は急速に低下した。

「ああ、そう言ってもらえると一寸うれしいよ、まあよろしく頼むな」


 鶴は話術も得意で瞬間湯沸かし器の神谷さえ一瞬で大人しくさせてしまった。


 60レーンもあるボウリング場の掃除は4月1日であるにもかからわず、あっという間に汗をかく。次に蛍光灯の交換だが、高い脚立によじ登って手作業で行なわれる為、多少の苦労は覚悟して居た鶴であったが、想像以上に冷や汗をかいた。


 ここまで終わると作業は一段落し、石切さんはフロントにある機械を操作して60レーン全てのボウリングピンをセットした。

 ピンセッターと呼ばれる機械を操作してピンを並べるのだが、この時ボウリング場は轟音 (ごうおん) が鳴り響く。


「この作業はまだ覚えなくて良いから、さっさと1階に降りて朝礼に参加しよう」

 鶴は「はい」と答え指示に従った。


 1階では全員では無いが、その日の日勤者が波川課長を待って居た。課長が現れると「皆さんおはようございます」と自ら挨拶(あいさつ)をし従業員も大きな声で元気良く「おはようございます」と挨拶を返した。


 課長は草薙を右手の平で示し「今日からボウル アッパーに勤務する花形美 鶴君だ、よろしく頼みます」と言い、鶴も自ら挨拶をした。

「皆さんと同じ会社に勤める事になりました花形美 鶴です。よろしくお願いします」


 皆がざわついた、花形美という苗字は滅多にお目にかかれない。もしかしたら……と朝礼に参加した職員が考えていた所、本人から説明があった。


「皆さんのご想像の通り花形美モータースの4男でございます。もし花形美モータースのお車をご購入されたい方がいらっしゃいましたら私にお声かけください。どの車種でも車両本体価格から20%値引きをさせて頂きます」


「トーヨーダ2000GTに乗ってみたい」


「私が通勤用に使っておりますから、助手席でよろしければ試乗なさいますか?」


 ここで波川課長から声が掛った。


「花形美 君への質問はそこまで。それではいつものように用語練習と社訓を唱和(しょうわ)してもらう。花形美君これに従って読んでくれ」

 鶴はラミネート加工されたカンニンングぺーパーを手渡され、一瞬目を通しただけで印刷された通りに読んだ。


「いらっしゃいませ」他の職員も同じように繰り返す「いらっしゃいませ」


「どうかなさいましたか」「どうかなさいましたか」

「少々お待ち下さいませ」「少々お待ち下さいませ」

「申し訳ございません」 「申し訳ございません」

「ありがとうございました。またのご来店をおまちしております」

「ありがとうございました。またのご来店をおまちしております」


「社訓」と波川課長が一声いれてから、鶴は続けた。

「我が社は娯楽産業を通し人々に潤(うるおい)いの場を提供し、社会に貢献してまいります」

 社訓だけは他の職員も同時に声に出した。


「本日何か他の部署と連絡する事柄はあるか?……無いようなら各自持ち場に戻って職務を全うするように。解散」

 波川課長の「解散」の後従業員達はあれこれと憶測しながら、それぞれの持ち場に帰って行った。


 4階に戻った所、先輩の石切さんは興奮した様子で色々と話しかけてきた。


「花形美って珍しい苗字(みょうじ)だと思ったら、花形美モータースの御曹司なのか?」


「御曹司と言うよりただの4男です」


「凄(すご)い金持ちだと世間では噂(うわさ)になっているけれど、本当なの?」


「何をもって金持ちと定義するかによりますが、もし石切先輩が私の立場であった場合、最終的に父親が経営する会社に就職を強要され、数百人の従業員が路頭(ろとう)に迷う事無く永続的に会社を繁栄(はんえい)させる事が生まれたときからの義務であったら楽しいですか? 


 別に話をはぐらかすつもりはございません。私個人の資産は数十億円程度です。資産の半分以上は株で運用して居るので、今いくらの資産があるかと尋ねられても正確な数字は計算してみないと分りません」


「本当なんだ。ちなみにトーヨーダ2000GTの助手席に乗せてもらえる話も本当?」


「はい喜んで。但し正確にはトーヨーダ2000GTではなく『プロデュース バイ 花形美 トーヨーダ2000GT』です。外観はそっくりですが、ロールバーを標準装備しエンジンは20RGを使っています。キャブレターでは無くトーヨーダ純正のEFI(電子制御燃料噴射装置)を搭載しておりレギュラーガソリン仕様なので140馬力ですが、LSD(リミテッド スリップ デフ)も備わっているので走りは快適ですよ」


「コロン2000GTのエンジンを積んだトーヨーダ2000GTか、よっぽど高かっただろうな?」


「いえ、車両本体価格は2000万円です。『父親が4男だからお前がと馬鹿にされないように』と私が車の免許を取得したその日に自宅に届いておりました。私は花形美モータースの社長の4男ですので特別に2割引にして頂きましたが、諸経費を含めるとやはり2000万円もします。父は私を甘やかさないように2000万円は自分で払いました」


「え! 自分で払ったの?」


「はい、小学校の時から株取引を行なっておりまして2000万円位なら痛くも痒(かゆ)くも無い事を父は知っておりましたから」


「そうか、金持ちといっても親のお金をジャブジャブと使っていた訳では無いんだね。それじゃあ一般人と何も変わらないじゃないか」


「ええ、2つだけ違っていたのはお得意様が桁違いのお年玉のをくださった事と、3人の兄弟が株式での運用を指南してくれたので、中学の頃には億単位の資産を持てたと言う事です」


「中学生で億単位の資産?」


「はい、最初は長男が株の運用に成功し、次男、長女、そして4男の私も上手くいきました。最初のうちは兄や姉と同じ銘柄を売り買いして居たのですが、こつを掴(つか)んでからは自分流に運用が出来るようになり、100万円が1000万円に1000万円が1億円に1億円が10億円にと雪だるま式にお金が増えて現在に至ります」


「それじゃあ君と2人のお兄さんそしてお姉さんは元々天才なのか?」


「天才の定義によりますが、株の運用は新聞だけ読んでいればほぼ勝てますし、私のように大学在学中に司法試験に合格される方は珍しくありません。私には2人の兄と1人の姉がおりますが、私は株式運用に関しては3人の兄弟の真似をしただけ、大学受験と司法試験は過去の問題から出題傾向を分析しただけです。


 但(ただ)し姉は別格で、現在東京大学の付属病院に勤務しておりますが、将来は自分の医大と医大の附属病院を設立する予定で、あらゆる診療科目の専門医を取得出来るよう日夜励(はげ)んでおります」


「それでは自分では金持ちでも天才でも無いと思っているんだ」


「わたしのアパートは3階建ての1LDKですよ」


「あれ、意外と庶民的な生活をして居るじゃないか」


「万が一父親が経営して居る会社にアクシデントが起こった場合、私達4人兄弟は何が何でも会社を守らなくてはなりません。ですから資産がいくらあったとしてもまるっきり自由にお金を使える訳では無いのです」


「富豪ってそんなものか?」


「皆さん誤解していますが、お金持ちになるには沢山稼ぐ事よりも支出を減らす事の方が重要です。ですから花形美モータースのお客様も、何百億の資産をお持ちでも敢(あ)えてバンツやフェラリーをディーラーで購入せず、花形美モータースで安く購入して下さるのです。


 世界の名車は花形美モータースと提携(ていけい)を組んで下さいまして、古い外車や入手困難な国産車のデザインをそのままに現代の国産エンジンやミッションに載せ替えてトーヨーダ、ニッスン、オンダといったディーラーでも車検が通るようになっています。


 条件として元の車のデザイン料として車料価格の10パーセントを国内外のメーカーに支払っています」


「口で言うのは容易(たやす)いけれど、資産運用から大学受験、そして司法試験や医師国家試験。全て普通の人ではそう簡単に出来る事では無いよ」


「お誉(ほ)めの言葉と受け取ってよろしいでしょうか?」


「正直尊敬するよ、君はいとも簡単にやってのけたようだけど、普通の人は資産運用の段階で躓(つまづ)く、最も僕が君の立場だったらと考えると羨(うらや)ましいとは思わないな」


「理解して頂いて恐縮です」


石切さんは鶴君ともっと話がしたかったが、お客様が来ない間ずっと世間話をして居てはいけないと感じ、レーンの石ころ拾いを教えた。


「今お客様が居ないので、早番で暇(ひま)な時はレーンの上に埋(う)まっている石を拾ってレーン コンディションを整えるんだよ。確か10番レーンまでは済んでいると聞いて居るから、11番レーンから始めるよ」

 と言って、花形美をレーン上に案内した。


「このレーンに石が埋まっているのが見えるかな」


「石?」


「これだよ」と言って木製のレーンに埋まった砂粒ほどの小さな石を拾って見せた。


「こんな小さな石ころでも、新品のマイ ボールを買ったばかりのお客さんがゲームをした際にボールに傷が付くと嫌だろ、だから暇(ひま)な時を見計(みはか)らって石拾いをするのさ。


 僕は事務所で予約客の名簿をコンピューターに打ち込むから、その間石を拾っていて、事務所のドアはストッパーを掛けておくから、お客さんが来店されて僕が気が付かなかったら事務所まで走ってきて、レジの打ち方も教えるから」と言って事務所に引っ込んでしまった。


 花形美は石切先輩の言う通りに石拾いに従事した。

 

 退屈な作業の連続であったが、職人家系の花形美にとってそれ程苦痛な事では無く、大人しく延々に同じ作業を繰り返した。


 花形美がレーンの石拾いをして居る最中、同じボウリング場に勤める草薙 明が練習に来た。石切先輩は花形美を呼ぶと、彼はレーンから走ってきた。


 丁度良いや、お客さんが来た時の対応を教えてあげるよ。今来たのはうちのボウリング場の社員で草薙君と言うんだ。


 草薙は花形美を見るなり「君が噂(うわさ)の新人か」と声を掛けてきた。


 「花形美 鶴と申します。よろしくお願いします」

 草薙も「草薙 明です、よろしく」と返事を返してから「駐車場に停まっているトーヨーダ2000GTは花形美君の車?」と尋ねてきた。


「はい左様(さよう)でございます」


「それじゃあ君は本当に花形美モータースの御曹司なんだ」


「正確には2点違います。まず駐車場に停まっている車はトーヨーダ2000GTでは無く、プロデュース バイ 花形美 トーヨーダ2000GTでございます。本物のトーヨーダ2000GTとは違い、トーヨーダ製20RGのエンジンを搭載しております。次に私は花形美家族の4男に過ぎません。現在株式会社アルハンの正社員なので御曹司と言った処遇ではございません」


「いや参ったなあ、君の言葉遣(づか)いは大したもんだ。御曹司と呼ばずにサラブレッドと呼ぶべきかな?」


「いえ、単に花形美君でも鶴君でも結構です」


「分った。取りあえず花形美君と呼ばせてもらうよ」


「お心遣(づか)い、感謝致します」


 花形美が12時まで同じ作業を繰り返している間、草薙 明以外のお客は1人も来なかった。

 その代わりに中番の社員1人とプロショップを経営して居る2人のプロボウラーが出勤してきた。


 花形美は静岡大学の1年生と2年生の時、静岡市に住んでおり、マイボールもボウル アッパーのプロショップで作ったのでプロボウラーの顔は覚えていたが、プロボウラーの2人は佐野店長から話を聞いていたらしく、見慣れない顔の従業員に対して深々とお辞儀(じぎ)をした。


 花形美は中番の社員に「おはようございます」と挨拶をした。中番の女性社員は天然記念物でも見るかのようにじっと彼の顔を拝(おが)んでから「おはよう、よろしくね」とフレンドリーな挨拶を返してくれた。


 プロショップの2人は必要以上に大袈裟(おおげさ)に頭を下げ「おはようございます。よろしくお願いします」と挨拶をしてきたので、彼は多田プロと大沢プロに「お久しぶりでございます、花形美 鶴でございます」と丁寧に挨拶を返した。


 2人がキョトンとした顔をしていると、「静岡大学で1年生の時、こちらでマイボールを作って頂きました」と言うなり2人ははっと顔を見合わせて「鶴君か」と懐(なつ)かしそうに声を掛けてきた。


 中番の職員が「お知り合い」と尋ねると、「フロントの職員は顔ぶれが変わってしまったようですが、私は静岡大学在学中1、2年生の時ボウル アッパーに通い詰めて居たのです」と答えた。


「それで2人のプロボウラーを覚えていた訳か」

「左様(さよう)でございます」と答えた。


 話が長引きそうだなと察した石切先輩は「中番が来たから取りあえず昼休みにしよう。食事の後にゆっくり話をしてくれ」と花形美に声を掛け、本人は1階のショップに昼食を買いに出掛けた。花形美も先輩の後を追って1階に出掛けたが、食事は質素でおにぎり2つと野菜ジュース1本だけだった。


 休憩室でサクサクと食事を食べると洗面所に向かい歯を磨(みが)く、歯磨きは丁寧に行っていたが、異常にスピードが速くあっという間に片付けてプロショップに向かって行った。


 2人のプロは花形美を待ち構えて居たようで、タバコをふかしながら手持ち無沙汰(ぶさた)の様子であったが、彼の姿を見かけると2人共タバコをもみ消した。


「元気にしてたか?」「ボウリングの腕は上がったか?」

と矢継(つ)ぎ早に質問が飛び交う。


「いや実は静大の工学部は3年生と4年生に限り浜松校に通わねばならず、その上さらに大学在学中のうちに司法試験に合格するため、ろくにボウリングが出来ませんでした。改めてレッスンして下さい」


「え!家業を継がなかったの?」

「大学在学中の4年間の中で弁護士の資格を取得したの?」


「ええ、2人の兄が東大を卒業するまでに司法試験に合格したので、ノウハウは2人の兄から教わり無事在学中に資格を取得出来ました」

「え!在学中に司法試験に合格したのか。相変わらずただのボンボンじゃなくて天才だな」


「いや、二人の兄と一人の姉に比べればただの凡人に過ぎません」

「それで、わざわざプロショップに足を運んでくれたのには訳があるんだろ」

「ええ、せっかくボウル アッパーに就職出来たのですから、プロテストを受けたいと考えご相談に来た次第でございます」


「君ならプロテストに合格できるよ。しかし2年間のブランクがあるから、まずマイボールを持ってきて、ボールのコンディションを見せて欲しい」

「ボールは車の中にしまってありますから、今持ってきます」


 と言うなり花形美は愛車の助手席に積んでおいたマイボールを駐車場から持ってきた。


「上手に投げて居たな」

「何処を見て分るんですか」

「君はカーブを投げて居るからボールを横に回転させる時に小さな傷が出来る。このボールは傷が直線的に出来て居る。これは同じフォームで投げ続けた証拠だ」


「言われて見ればその通りですね」

「ただ残念な事にこの2つのボールは寿命が近い。悪い事は言わないから2つとも新しいボールを作った方がスコアが伸びるぞ、多少値段が高いがものすごく曲がるボールもある。しかし、プロテストを受ける際はカーブよりフックの方が合格率が上がるよ」


「それは何故でしょう?」

「プロテストのレーンコンディションはわざと意地悪く後からレーンの上にオイルをじょろで蒔いたようになっているんだ。


 通常ボウリング場のレーンコンディションはハイスコレーン(ハイ スコアー レーンの略)と言って、中央に厚く端(はし)に行く程薄く、そしてレーンの左右両端とピンの手前はオイルが塗っていない状態になって居るのだが、ハイスコレーンと同じ投げ方をすると曲がり過ぎたり、逆に肝腎(肝腎)な所で曲がらなかったりと苦労するんだ。


 私はかろうじて一発で受かったが、大沢プロは1回では受からず2回目で合格した程だ」

「それではどうすればよろしいでしょうか?」


「今、41番レーンで草薙君が投げているだろう。彼が使っているボールと同じボールを購入し、プロテストを受験する際はカーブでプロテスト合格後はもっと曲がるボールを購入してフックで投げれば良い」

「それでは草薙先輩と同じボールを作ってください」

「よし来た、すぐに作ってやる」


 多田プロは「前と同じ開け方で良いか、重さも16ポンドで良いか?」と尋ね、花形美が頷(うなず)くと彼のボールを作った際のメジャーシート(個々のボウラーの指穴のサイズ、スパン、ピッチバランスなどを記録したシート)を元に独自の方法でドリルを開けて、あっという間に2つのボールを仕上げて見せた。


「おいくらになるでしょうか?」

「このボールは2つ共キャンペーンボールの在庫だから、ドリル代1個につき5000円、2個で1万円で良い」

「本当にそれだけでよろしいのでしょうか?」

「良いよ、その代わり俺が車を買い換えるときはディーラーと交渉して安くしてくれ」

「はい。喜んでお引き受け致します」


 花形美は古いボールを草薙のようにハウスボールが置いてあるボールラックに片付けると、意気揚々(いきようよう)に去って行った。

 花形美が去った後、2人のボウラーは彼の事を絶賛した。


「花形美君は言うこと無しの人材ね、草薙君とは比べものにならないわ」

「大沢、花形美を誉(ほ)めるのは良いが草薙を馬鹿にするのはよした方が良い」

「えー、ついこの前まで草薙君のフォームを散々馬鹿にしていたくせに」


「いや今でも変なフォームだと思っているよ。特に投球寸前に軸足をアプローチ上で滑らせずに完全に停止した状態で投げて居るんだから。まるでアメリカのプロボウラーみたいだ。それに大沢と違って全身に一本の軸が入って居るように体の柔軟性を使わずに投げて居る。


 でも今頃気づいたんだけど、私達2人も完全なフォームとは言えない。小島 純一や東城 正明、小山 律子や素田 加代子に比べたら比較対象にならないだろう。特に小山 律子さんは曲がらないボールを使ってストレートで投げてパーフェクトを達成したんだから草薙が自分流の投げ方をしても別に構わないと思わないか」


「あら、急に言う事が変わったわね」

「花形美と再会して気づいたんだ、ボウリングは元々メジャーなスポーツでは無い。マイナーなスポーツを活性化させるには私達プロのレッスンを鵜呑(うの)みにするだけでは無く、我流があっても良いんじゃないかとね」


「まあそうね、と言いたい所だけれど、草薙君は私達の言うことは今では全然耳を貸さないわ」

「納得いかないみたいだな、大沢試しに1番レーンの左にある大きな脚立を持ってごらん」


 大沢プロはまだ何か言いたげであったが、多田プロが言う以上、とりあえず脚立を持ち上げて見た。

「重い、これじゃあ男の人でも2人掛かりで無ければ持ち上がらないわ」


「実は店長から教えてもらったんだが、草薙は早番の時、この重い脚立を1人で持ち上げたままレーン上を走って居る。草薙のフォームは素人(しろうと)に良く見られる典型的な力投(ちからな)げだ、だから私達プロから見るととても不自然に映る。


 だがこの重い脚立を1人で持ち上げたままレーン上を走れる筋力があれば力投げでも悪くは無いと思わないか?」

「実際持ち上げて見て良く分ったわ。もう草薙君の事を悪く言わない」


 草薙は店長や2人のプロから指導を受け、元々滅茶苦茶なフォームを矯正(きょうせい)したのだが、平日で休日の度(たび)に毎日20ゲーム投げて居た所、どうしても2人のプロボウラーを見ていて『自分が目指すフォームと違う』と考えて、自己流のフォームに切り替えた経緯があった。


 プロは資格を持っているためプライドが高く、草薙がプロボウラーを目指している事に気付いてから自分達のフォームを強制しようとしたが、アマチュアボウラーが1度は体験するスコア170~180から伸びなくなる170~180の壁を自力で脱出してからプロの言う事を聞かなくなった。


 そのため2人は草薙の事を冷ややかな態度で接していたのだが、久しぶりに花形美と再会して話を聞いているうちに、多田プロは自分達の行いが大人げないと感じ大沢プロをたしなめたのだった。


 草薙は(自分では全然気が付かなかったのだが花形美のお陰で)プロとの関係を改善し、2人でプロボウラーを目指す事となった。


 この日は平日のため午前0時に閉店となる。

 午後3時になると遅番の職員が出勤してきた。花形美が丁寧に「おはようございます、花形美 鶴でございます。よろしくお願い致します」と挨拶をすると、遅番の職員の2人の内1人は店長だった。

 店長はニコニコと微笑みながら花形美に声を掛けた。


「おはよう、何か報告する事はあるかね」

 花形美は躊躇(ちゅうちょ)する事無く、はきはきと答えた。


「3点ございます。まず初めに平日の昼間レーンの稼働状況が良くありません。そこで平日の10時から6時に掛けて3ゲームで1000円の3ゲームパックを実施したら良いかと思われます。


 次にボウル アッパーの会員についてですが、会員になる際料金が発生しますが、せっかくのお得意様なのですから会員登録の際には料金が発生せず無料で登録した方がよろしいのでは無いでしょうか?


 また会員はボウル アッパーに限らず複合施設全体で使えるようにして、ボウリング場以外の施設をご利用の際は100円に付き1ポイントが付与されるようにすれば、複合施設アッパー全体のお客様にダイレクトメールを送付する事が出来ます。


 最後にお客様用のロッカーが少な過ぎます。ロッカーは長持ちするだけでは無く、自分のボールを預ける事によって他店にお客様が流失する事を防げます。見返りを考えれば初期投資は微々たるものと存じます」


 佐野店長は目を丸くした。(想像以上だ、成る程副社長が直々に面接しただけの事はある)

「たった1日でこれだけ気が付いたのか?」

「いえ、静岡大学在学中に当店に足を運び疑問に思った事を申し上げたまでです」


「言いたい事は分った、済まないがもう1度ゆっくり話してもらえるかね」

「こちらをどうぞ」と花形美はA4サイズの用紙に表紙を含めて3枚、左の角はホッチキスで留めたレポートを提出した。明らかに手書きでない事が見て取れる文字を見て店長は改めて花形美に質問をした。


「ワープロを使ったのか?それとも専用のコンピューターを使って書いたのか?」

「静岡大学で廃棄処分になったワープロを自分で修理して使えるようにしました」

 店長が改めて内容を確認すると、先程述べた事以外に収益性についても言及されて居た。


「この収益性の根拠は何かね」

「花形美家の次男は東大の経営学科を卒業しておりますので、時折(ときおり)兄が使った教科書を読んで経営学の勉強も致しました。何か不備はございますか?」


「私も一応大学は出ているが、君の書いたレポートは内心私が考えた事と一致する。全てを直(ただ)ちに実施する事は困難だが、3ゲームパックとロッカーの増設位なら第2営業部の課長が承諾してくれればすぐにでも出来る。私は今から第2営業部に向かい君の提案を報告してくる」


 と言うなり店長は駆け足で第2営業部に向かった。

 第2営業部では瀬川係長と波川課長がたたずんで居たが、佐野店長が訪問する前から(いつ来るか)という顔で報告を待っていた。


 店長は興奮気味な顔でドアを3回ノックしてから入室した。

「お忙しい所失礼します。副社長から花形美君が提案する事があったら直(ただ)ちに第2営業部に報告するよう命じられておりましたので参上致しました」


 花形美が書いたレポートを係長と課長は目を皿のようにして食い入って読んだ。


 まずは課長から

「3ゲームパックとロッカーに関しては何の異存も無い、しかしボウル アッパーの会員に関しては無償化はともかくアッパー全館で使えるようにするにはかなり大規模な改修が必要ですぐには出来ない」


 次に係長から

「ボウル アッパーの会員無償化は私も同じ事を考えて居たよ。良いじゃないか速く実行しよう。課長異存はございませんか?」


「無い、3ゲームパックとロッカーの増設、並びに会員の無償化に関して稟議書(りんぎしょ)を書く、事務方の経理が許可を出し次第報告するから、それまで待って欲しい」


「かしこまりました」

 店長は話が終わったのでこのまま帰ろうとしたが、課長が話を続けた。


「花形美君をどう思う」

「誠実で真面目、知識だけでは無く実践能力も抜群です」

「私達は面接に立ち会っていないのだが、実践能力とは何かな?」


「お年玉貯金を株式で運用して、大学入学以来親の仕送り無しで暮らし、今では数十億の資産をお持ちだそうです」 

「22歳で数十億の個人資産!我が社の社長でも叶(かな)わない。よく親御さんがボウル アッパーに就職する事を許可したなあ」


「本人の希望もさることながら、父親の希望だったそうです。長男と次男は既に花形美モータースの本社にお勤めで経営改革を行なっており売上高も急上昇、それに伴って第2,第3工場も銀行から借り入れ無しで行なったそうです。


 長女は東京大学の医学部附属病院で勤務されており、あらゆる科目の専門医を取得した後、医大と医大の附属病院を個人で設立する予定だそうです」


「何も申し分無いじゃないか」


「鶴君の父親は代々コツコツと商売を繁栄させて来たのに対し、長男と次男が会社を急成長させた事が心配で、せめて4男だけは下積みを経験させて会社の現場を理解させる為にアルハンに就職させたようです」


「下積なら花形美モータースでも出来ただろうに」


「本人の話では、名前が花形美なので長男も次男も周囲の職員が気を遣(つか)ってしまい下積みがさせられなかったそうです」


「親御さんの気持ちはよく分る。副社長の3女がボウル アッパーで働いた時は佐野君が気を利かせてくれて、『普通のアルバイトとして働かせてもらえた』と副社長はご満悦であったよ」


「恐縮です」

「要件は済んだ。ボウリング場に戻り給(たま)え」

「はい、失礼します」


 佐野店長が帰った後で係長と課長は話をした。

「予想以上の化け物だな」

「複合施設アッパーに良い影響がありそうでワクワクします」


 2人は自分達が井の中の蛙(かわず)だと思い知らされた。


























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る