第5話 新しいボール
草薙 明がボウリング場に就職して9ヶ月が経過した。
明は全てとは言わないが、仕事をかなり覚えコンピューターの名簿打ちすら難なくこなせるようになった。
店長の配慮で、平日の昼間は無料でボウリングを投げる事が出来る事を知った明は休みが平日の時、毎日20ゲームも投げ続けアベレージの向上に励(はげ)んだ。
しかし関東金属の先輩からもらったマイボールは自分の手にジャストフィットせずアベレージは170~180位で伸び悩んでいた。
明に限らずボウリング場で働く従業員は(メカニックを除けば)ボウリングが好きな人が多く、関東金属で働いていた時は滅茶苦茶なフォームで投げていた。
しかし店長やアルハンの社員では無いが同じボウリング場でプロショップを経営している2人のプロボウラーとも交流することが出来、彼の投球フォームは見違えるように改善された。
特に変化したのは助走の際、体が妙に上下していた事を矯正(きょうせい)され、さらに投球の始めに無意識でボールを斜め下に降ろして居たのだが、むしろ感覚的には右手を真っ直ぐ前に突き出す感じで投げた方が良いと大沢プロに助言されて治した。
プロショップというのはプロボウラーがボウリングの賞金だけでは食べていけないのでボールやキャリーバッグ、はたまた滑り止めのロージンバッグやメカテクター又はマングース(どちらもボールを投げる際に手首を固定して投げやすくする道具)といった多彩なボウリング用品を扱っているお店の事だ。
マイナーなスポーツであるボウリング用品は一般のスポーツ店では手に入らない物を販売している。
プロボウラーは同じボウリング場で働いているので、ボウル アッパーの従業員との仲は良く、新しいボールが欲しい時、マイボール キャンペーンの在庫があればボール代はただで穴を開けるドリル代だけ5000円で販売してくれた。
マイボール キャンペーンというのは、何処(どこ)のボウリング場でも年に1回位行っているサービスの一環で、ボウリングを投げて精算する際に1ゲーム毎に1スタンプ押してもらい、30スタンプ貯めてプロショップに持っていくとドリル代だけでマイボールが手に入るという仕組みだ。
ボールはボウリング場側が代金を支払い仕入れてくれるので、プロショップの負担にはならない。
多少なりともお金に余裕が出来た明は思いきってプロショップの2人に相談をしてみた。
プロショップを経営する2人は男性の多田プロと女性の大沢プロが居たが、新しいボールにドリルで穴を開ける作業は多田プロが行っていた。
「新しいマイボールが欲しいんですが」とたずねると2人は「今まで使っていたボールを見せてごらん」と返事した。
草薙が自分のボールを見せると「このボールはうちで作ったボールね」と大沢プロが言った。
多田プロも「確かにうちで作ったボールだが、かなり前のボールだね。マイボールキャンペーンのボールで良ければすぐにもドリルするよ、何か好みはある?」と尋ねてきた。
草薙は慣れたボールが良かったので、「曲がる方はコロムビア、真っ直ぐに投げるボールはナロー」と答えた。
多田プロはニヤッと笑うと「運が良いな、どちらもキャンペーンのボールで在庫があるよ」と答えた。
明はすぐさま実物を見せてもらうと、重さが違うコロムビアとナローがあった。
「一番重いのは何ポンド」と聞くと2人は同時に「16ポンド」と答えた。
「それじゃあコロムビアは16ポンド、ナローはどうしようかな?」
明が悩んでいると2人のプロは代わる代わるアドバイスをしてくれた。
「もしかして、2投目のボウルは軽くても良いと思ってない?」
「君が使っていたボールはもう寿命だ、新しいボールを作って投げればすぐにわかるさ、今までは2つ共13ポンドだったが、せっかく買い換えるのなら2投目に使うボールも16ポンドがお勧(すす)めだよ。何故かというと、1投目でストライクが出なかった時ピンが3本以上残っていたら重いボールの方がスペアを取りやすいからだよ」
明はプロボウラーが言うんだから間違いは無いだろうと考え2つ共16ポンドにした。ボールはただだがドリル料は1個につき5000円、2つ合わせると1万円の出費になった。ちょっと贅沢(ぜいたく)だなと思いつつもアベレージで200を越えたいという気持ちから思い切って購入した。
多田プロのボールに対するドリルの開け方は独特で、親指を入れる穴はただ単に穴を掘るのでは無く、ボールの表面に近い所だけなめらかに広く開けてあった。こうした技法は、マイボールを作ったお客さんからの感想の中で「親指が痛い」という声が多かった事から、穴の開け直しを何度か依頼されて工夫したものだ。
多田プロは親指、中指、薬指の穴の大きさを、あらかじめ10種類くらいの穴があいたボールに指を入れて好きな大きさを決め、さらに親指と中指、親指と薬指の間隔を指定してもらい、最後に中指と薬指の間隔を決めてもらってからドリルを使った。
明の指定は、親指は充分以上に大きく、中指と薬指は第1関節がピタリと入るように指定。親指と中指、親指と薬指はぎりぎりまで長めに定めた。
2人のプロは一寸(ちょっと)首をかしげながらも明の言う通りに作ってくれた。
ボールが完成するとプロは「違和感がないか投げてみろ」と言って、自分達が普段投げている1,2番レーンを指さした。
明は躊躇(ちゅうちょ)無く1番レーンに立つとコロムビアを持ち普段通りにレーンの右端に立ってフックボールを投げた。
違いは歴然でポケット(1番ピンと3番ピンの間)を通り越して、いきなり2番ピンにヒットした。
「こりゃあ凄い、冗談みたいによく曲がる」
「はい、続けて2投目」と大沢プロが言う。明は言われた通りにナローで2投目を投げると、ものの見事にスペアーが取れた。
「最高です」と明が感心すると2人のプロは「16ポンド重くない?」「指のフィット感は問題ない?」と心配するが「何も問題ありません」と答えた。
「今まで使っていたボールが寿命っていう意味も分ったでしょ、もうボールがオイルを吸収出来なくなっていたの」
明はプロに「ありがとうございました」とお礼を述べてから、今まで使っていた古いボール捨てずにハウス ボールが置いてあるボールラックに片付けてから自分がよく使う41番レーンに向かった。
41番レーンに立ち普段と同じように投げてみると、同じコロムビアとは思えない程良く曲がった。明は立ち位置を変え、普段より少しだけ左側から投球するとボールはオイルが厚いレーンの上を真っ直ぐに転がり、ピンの手前で急速に左に曲がり、きれいにポケットに入った。「この感覚だ」明は自分がイメージしていた通りの軌道を描くボールに感心しながらゲームを楽しんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます