第2話 外国人研修生

 明が関東金属有限会社に就職してから11ヶ月が経過した。

 

 仕事は営業担当の朱美(あけみ)さんがちょくちょく拾ってくるので順調で人手不足の状態だった。


 象の足と呼ばれるプレス機は5つあったが、プレス工は4人しか居なかったので、1つは空打ち状態でもったいない限りであった。


 大企業ならば即座に求人広告を出して職員を増やす所だが、朱美さんが就職するまでは社長自らが営業マンとして働いていた頃、いくら大企業に自社の製品を売り込みに行っても、梨の礫(つぶて)で仕事が見つからない時期があったので社長は求人に慎重だった。


 理由は明白で、社長が営業をして居た時は、いくらスーツを着てネクタイを締めても機械油で汚れた真っ黒な手で名刺を差し出された相手は良い顔をしなかった。


 その点朱美さんの営業スタイルは社長とは全く違い、膝上20㎝のミニスカートを穿(は)き、菓子折を持って担当者ににこっと白い歯を見せると、商談相手は朱美さんのスカートの中に見とれて、つい他の業者に頼んでも構わない仕事を優先的に回してくれた。


 朱美さんは器量が良いだけではなく、相手と商談する際は白いブラウスのボタンを上から2つ目まで外し、自社の製品カタログを相手に見せる際は、白々しく前傾姿勢となって胸元を晒(さら)した。


 製品のクオリティーが低いのならともかく、大手と変わらない品質である事は先方も承知しており、商談相手は朱美さんの姿を見たいばっかりに、他の下請けを断ってでも関東金属に仕事を回してくれた。


 彼女にしてみれば、ホステスの仕事をしていた時は酔っ払った客に肩を抱かれ、さらに太股をなでて来る嫌な客を相手にしていた事を思えば極めて軽いサービスに過ぎなかった。


 順調な経営が続く中、社長は思いきって社員を増やすことにした。とはいっても零細企業の3K(きつい、危険、汚い)仕事ではハローワークに求人募集を掛けても問い合わせの電話は掛かって来るわけが無い。そこで社長はニュースで報道されていた外国人研修生に目を付けた。


 外国人研修生とは、外人が日本に来て仕事を教えてもらえる代わりに、日本人より賃金が安い事は承知してもらう制度のことで、日本より物価が5倍、10倍安い国からはたとえ年収が手取り200万でも本国に戻れば1000万から2000万の価値があるので、なり手はいくらでも居た。


 会社としても国際貢献が出来る上に人件費が安くなるので一見良い事尽くしの制度に見えた。

 社長は外国人研修生を紹介してくれる日本政府公認の機関を探して、ベトナム人のグエン ヴァンという19歳の男性を受け入れた。


 彼は体格が日本人と同じくらいで髪はストレート、肌は黄色人種としては濃い色をして居たが、黒人に見える程では無く、面接の際にはスーツこそ着ていなかったが、片言(かたこと)の日本語で「ハジメマシテ、グエン ヴァンデス ヨロシクオネガイシマス」と言ってから白い歯を見せて微笑むと愛想良く見えた。


 とは言うものの入社して2~3日で退職されては困るので、社長は自分の会社の酷(ひど)い雑音や、気を抜くとプレス機で挟まれて指を落としてしまう可能性を充分に説明した。しかしグエンは「ベトナムデハ、ジライニヤラレテ、カタアシノナイヒト、タクサンイマス」とくじけなかった。


 社長は念の為、他の従業員にも相談したが、誰もが「悪い印象は感じられない」と評価し、とりあえず時給1000円のアルバイトとして雇用することを決めた。


 グエンは就職した初日から真面目に働き、みるみる仕事を覚えていった。仕事のみならず、土曜日の午後はボウリングにも付き合い、人格的にも問題は無かった。

 社長はグエンを雇ったことは正解だったと判断し1ヶ月後には正社員に昇格させてやろうと心に誓った。


 所が、グエンが働き始めて3週間後に事件は起こった。ごく普通に働いていたグエンは、仕事に慣れてきたせいか一瞬気が緩みプレス機に左手を挟まれてしまった。


 草薙は大きなアクシデントに呆然(ぼうぜん)として何も出来なかったが、馬淵と矢崎はすぐさま緊急停止ボタンを押した。グエンの負った傷はかなり深く、ぱっと見ただけでも左手の親指以外の4本が潰れていた。


 社長はすぐさま救急車を呼び、総合病院の外科で手術が行われたが、傷は4本の指ならず親指の一部も削れており、左の手首ごと切断することとなった。


 手術は局所麻酔で行われたためグエンは意識のある状態で自分の左手首が切断される様子をあきらめて見ていたが、手術室から出てくると社長の顔を見るなり顔をくしゃくしゃにさせ「ゴメンナサイ ゴメンナサイ」と泣きながら謝った。


 社長は「お前が悪い訳では無い、運が悪かったんだ」と慰(なぐさ)めた。

 手術中は局所麻酔が効いていて手首を切断した際にはグエンに痛みは感じられなかったが、局所麻酔が切れてくると、彼は激痛に襲われた。


 看護婦は医師の指示通り、彼の左手に刺さった点滴に三方活栓から麻薬を注入し、グエンの痛みと意識は遠のいていった。


 社長はこれ以上付き添っても何も出来ないことを分って、入院の手続きを病院の事務所で行って、用が済めば会社に帰るつもりであったが、ここで重大な過ちに気付く。グエンはアルバイトなので社会保険に入っていなかった。


 入院料は健康保健が使えないので実費負担となる。それだけならまだしくも、労働災害は適用されるがグエンの左手が欠損してしまった代償は労働災害で補償されなかった費用に関しては会社が全面的に負うこととなる。

 「左手首の代償は一体いくらになるのだろうか?」


 社長はうなだれて会社に戻った。

 社長が会社に帰ると従業員達は何事も無かったように働いていたが、社長の顔が見えると矢崎はプレス機を停止し、社員全員が事の成り行きを知りたがった。


 社長は「グエンの左手首が切断された」と報告した。さてこれからどうしたものかと途方に暮れていると、営業の朱美さんはとっくにホステスをして居た時に知り合った弁護士に相談して手首の弁償代金を試算した所、日本人の場合およそ5000万円、ベトナム人の場合およそ1000万円かかる事、そして労働災害で250万円程度は支給されるを報告した。


「入院費と治療費、さらに義肢とリハビリでおよそ1000万円か、このままでは会社は倒産してしまう」

 社長が眉間にしわを寄せて苦悩していると、経理の珠美(たまみ)さんは電卓を叩き会社が倒産しない方法を模索した。


「社長、倒産を免れる方法はあります。当社は現在黒字ですが、朱美さんが様々なメーカーから仕事を受けたために、プレスの型を何種類も購入したため社内に資産がありません。しかし黒字ですからこの場を凌(しの)ぐ事が出来れば何とかなります」


「だから、どうやってこの場を凌げば良いのか?」

「まず、ボウリング大会は中止してください。次に新車で購入されたグルーバードを中古車店に販売し中古の軽四にして下さい。後は社長の貯金でまかなえませんか?」

「駄目だ、足りない。去年まで赤字すれすれの経営だったから、私の貯金は500万円くらいしか無い、あと500万円足りない」


「いいえ、まだ手はあります。平日の勤務を2時間サービス残業にしてもらいます。そして土曜日は休み、日曜日は平日同様に8時間労働+2時間サービス残業、さらに社員を1人解雇した上で私と矢崎さんそして馬淵さんに170万円ずつ借金をすれば、1年も掛らずに借金は返せます」


「従業員を1人解雇しなくてはならないのか」


 珠美さんの言葉に社長と従業員達は静まりかえった。考えている事は皆同じだった。社長は勿論、営業と経理は首を切れない、残された者は矢崎と馬淵と草薙の三人だった。


 当然誰も自ら手を上げることは無かった。数十秒間沈黙の時が流れたが、3人にとっては数十分に感じた。


 草薙 明は無論、自分がやっと慣れた職場を離れたくは無かったが、親切にしてくれた社長や矢崎先輩そして馬淵先輩もが家庭持ちである事を考えると選択の予知は無いと考えて、条件を付けて退職をしようと決意した。


 「社長、僕の首を切って下さい。但しアルハンのボウル アッパーに就職させてもらえませんか?」


 「明、済まない、正直言って助かる。ただいくら私がアルハンの副社長の親戚と言っても、パチンコ店ならともかくボウリング場一択となると先方の都合次第だ、今すぐ副社長の小石さんに電話をしてみる」


 社長はアルハンの複合施設アッパーに電話をすると、代表番号はボウリング場に繋がった。「副社長に電話を繋(つな)いで欲しい」と言うと、あっさり電話は副社長室に繋がると思ったら、副社長の秘書に繋がった。秘書は丁寧な言葉を使い対応した。


「私、副社長の秘書をしております杉山と申します。どういったご用件でしょうか?」

「関東金属の社長をして居る小石と申します。小石副社長の親戚です。大至急副社長に電話を繋いでもらえませんか?」


「大変申し訳ございませんが、副社長は多忙を極めております。一応、ご用件の概略(がいりゃく)を教えていただけませんか?」

 社長は内心イラッとしたが、年間税込み5000万も稼ぐ副社長が忙しい事位は容易に察知出来たので我慢した。


「実は我が社で事故があり、どうしても1人解雇しなくてはならなくなったのだ、自主的な解雇に応じてくれる社員がアルハンの複合施設アッパーのボウリング場で働きたいと希望しているのだが、何とかならないかと思って電話をしている次第だ、親戚の小石社長と言えば話が通じるから、何とか電話を繋いでもらえないか?」


「少々お待ちください」

 電話は副社長に繋がるまでクラシックの音楽が流れた。秘書は副社長に内容を伝え、電話を繋いで良いかお伺いを立てた。副社長は親戚のよしみと言うことも有りとりあえず話だけでも聞いてやろうと考えた。


 クラシック音楽が途絶え、秘書は小石社長に「ただ今おつなぎいたします」と副社長に電話が繋がった。


「久しぶりだな小石社長、景気はどうだ?」

「お陰様で景気は絶好調なのですが、外国人を雇用したところ左手をプレス機で挟まれてしまい、まだアルバイト扱いだったので社会保険に入れてなかったのです。そこで会社が倒産しないように1人解雇せざるを得なくなったのです」


「お気の毒に、既にご存じだと思うが、我が社は2000人の従業員を抱えている、副社長の私でもパチンコ店ならともかく、ボウリング場となると店長に聞かないと雇用可能かどうか分らない、今すぐボウリング場の店長と話をするから、5分後に今掛ってきた番号にかけ直す。それでよろしいかな」


「結構です」


 電話は切れた。小石副社長は内線を使ってボウリング場の店長に繋いだ。

「副社長の小石だ。佐野店長に変わってくれ」

 ボウリング場の従業員は副社長から直々の電話など取った事が無く、緊張した面持ちで店長に「副社長からの直伝(じきでん)です」と言って電話を繋いだ。


「はい、ボウル アッパー店長の佐野でございます」

「忙しいところ悪いな、副社長の小石だ。早速だが現在正社員を1人雇用できる余裕はあるかね?」


「はい、ございます。ただ、副社長がどうしてもとおっしゃるのならば従いますが、ボウリング場は力仕事が多い上に笑顔で接客しなければならないので、パチンコ店と同様に中途退職者が多い職場でございます。


 従って出来れば一応面接試験だけはさせて頂いた方がこちらにとっても本人にとってもよろしいかと思いますが、いかがなものでしょうか」

「結構だよ。できるだけ早く面接をして頂きたいのだが、さすがに明日では無理かな」


「大丈夫です。それでは明日10時にボウル アッパーのフロントに来るようお伝えください」

「ありがとう。先方に伝えておく」



 小石副社長は社長は関東金属に電話をして社長から「就職の確約は出来ないが、明日面接と決まった。朝10時にボウル アッパーのフロントに履歴書を持って行くようにとの事だ」と草薙に伝えた。


 そして「今日今すぐ退社して背広姿の履歴書用の写真と撮り、履歴書を書いてまず私に見せなさい。履歴書と面接で就職出来るか否か決まるのだから、落ち度がないように私がチェックする」


 草薙は社長の言うがままにタイムカードを押して、自転車にまたがった。自宅のアパートには誰もいなかったが、父親の形見をあさり背広、ズボン、ベルト、白いワイシャツ、ネクタイ、革靴を準備した。しかしネクタイの結び方が分らなかった。


 草薙は他に頼る当ては無く関東金属にとんぼ返りすると、社長が機械油にまみれた汚い手でネクタイの結び方を指導しようとした。しかし経理の珠美さんは

「社長はプレスの仕事をして、ネクタイの結び方と面接の練習は私が責任を持って指導します」


 とストップが入った。ネクタイの結び方は3回も指導すれば覚えられた。問題は面接試験で、現場仕事しか知らない草薙にとって分らない事だらけであった。


「まず、背広のボタンは上のボタンだけ掛ける事、あと接客業なんだから僕とか俺とか言わないで私(わたし)で統一する事。


 何故自分が退職しなければならなかったのかを短時間で説明する事、最後に就職の面接に受かりたい気持ちは分るけど、私が知る限りボウリング場の従業員は中途退職者が多いから、1ヶ月の休日数や給料、ボーナスに関してもきちんと聞く事。最後に面接会場に入るときはノックは3回。はい、それじゃあ面接の練習をするわよ」


 草薙は珠美さんの指示に従って練習を開始した。事務室は防音になっているのでプレス機の音は僅(わず)かに漏れる程度であったが、振動は伝わってきた。草薙は珠美さんの質問に答えようとするが、最初から上手く答えられなかった。


 つい、「ええと」考え込んでしまう事もあり、「本当に分らない事があれば、『ええと』より「分りません」の方が良いわ、それと面接で緊張しても、なるべく笑顔を絶やさないように」と熱血指導を受けた。


 そして翌日アルハンのボウリング場、ボウルアッパーに面接を受けに行った。

 

 





 

 





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