傷だらけのコロンビア 草薙 明のプロボウラー物語
ハイヒール オオイシ
第1話 草薙 明とボウリング
ドキャン ドキャン ドキャン ドキャン クラブよりうるさい金属プレスの騒音は、朝のボウリング場で聞こえるピンセッターの作動音に似ている。
汗臭い男の職場、女性社員は事務員だけ、金属の粉が舞い散る工場(こうば) では機械の出す熱が大きすぎてエアコンは効かず、夏は暖房、冬は冷房の3K仕事であったが、高校を卒業して最初に入った仕事であった為、明は“こんなものか”と割り切り、大して苦には感じなかった。
草薙 明(くさなぎ あきら)は、金属加工の工員で就職したてのひよっ子だ。
大学には興味が無かったし父親が他界し、まだ中学生の妹とパチンコ屋の景品交換所に勤める40代の母親の事を考えると、人並みに専門学校なんてしゃれたことは言っていられなかった。
たまたま近所にあるに工場に求人募集の張り紙があり、面接に行った所、片親ということもあってか、同情して頂いたようで就職にこぎつけた。
社長はワンマンだが情に厚く、良い点は恵まれない者にチャンスを与えてくれる、悪い点は情に厚すぎて、接待でキャバレーに行くと、不遇なホステスを見かける度に入れ込んでしまうことだ。お陰で会社の女性事務員は2人とも元水商売上がりという有様で、社員達は笑うに笑えない。
かといって従業員は決して社長をばかにしない。自分達だって同じ境遇で拾われて来た身の上だからだ。化粧の厚い女性1人が慣れない手つきでオフィスオートメーションと格闘し、もう一人は外周りで営業を苦労して居る様子は、慣れないプレス機を前にびびる新人工員と何も変わりはしない。
12時30分 ウー と終業を告げるサイレンが鳴り響く。像の足程の大きなプレス機は足踏みを止めた。
サイレンが鳴り止んだ所でライン長が皆に声を掛ける。
「さあ、今日は恒例のボウリング大会だ、旨い飯目指してがんばるぞー」
「おー」
職員の福利厚生の一環として社長が毎週土曜日に開催しているボウリング大会は10人足らずの従業員が全員参加するわけではないが、ボウリング代が唯(ただ)な上に食事が腹いっぱい食べられる。力仕事のうさ晴らしにはうってつけだ。
ただし飲み物はジュースのみでアルコールは御法度だ。社長は車好きだが飲酒運転にはひどく厳しい。
事務方が二人、現場が草薙と社長を含めて4人のちっぽけな会社だが、小さい分フットワークは軽くて良い。
つい最近まで“景気が悪くて”が口癖で軽四に乗っていた社長は、営業に雇った元ホステスが小さな仕事を昔の職場のつてで見つけてくると、会社の景気は急激に改善した。
それまでは自身軽四で我慢して居たのだが、今は小型車ながらアクセルを踏めばヒュイーンと快音を鳴らすグルーバードのターボに乗っている。自分が乗っていた軽四は下取りに出さず社用車として営業担当の職員に渡した。
社長も従業員もタイムカードを打つと、さっさと着替えて社長の車に乗り込む。
「汚すなよ!」と言いながらハンドルを持つ社長の手は四人の中で一番真っ黒だ、機械油は石鹸で洗った位では落ちやしない。
一行を乗せた白いグルーバードは靜岡市中吉田にあるボウル アッパーに向かう。
ボウル アッパーは株式会社アルハンが経営するボウリング場で最盛期は日本最大の120レーンを誇った巨大なボウリングだ。
複合施設の名前の由来は、たまたま社長がテレビでボクシングの試合を見ていたところ、挑戦者がコーナーに追い込まれダウン寸前の時、日本チャンピオンが大振りな右ストレートを放った。
意識もうろうだった挑戦者が起死回生のカウンターで放った所、左アッパーが決まり日本チャンピオンをKOにした。社長はこの試合に感動し、自身経営が上手くいかないときも逆転KOを目指して頑張ろうと複合施設の名前をアッパーに決めた。
日本中の他のボウリング場同様に母体となる会社はパチンコ店で、社長は韓国人であったが、副社長は日本人で小石副社長、実は副社長は草薙 明の務める関東金属株式会社の社長と遠縁に当たる。
東京ドーム2つ分位の広い敷地を持つ複合施設アッパーにはアッパー本館の周りにパチンコ店の他、ミスター ドーナッツ、ケンタッキーフライドチキンといった店が立ち並び、アッパー本館も4階建ての中に1階はラーメン屋、雑貨店、レンタルビデオ店、2階はカラオケ店、ビリヤード、ゲームセンターが建ち並ぶ。
4階は60レーンのボウリング場がある。元々は2階にも60レーンのボウリング場があったのだが、昭和48年のオイルショックの際に閉店し今に至る。
4人を乗せたグルーバードがアッパーの駐車場に着くと小石社長は満車寸前の駐車場から空きを探し、車をひょいと停めてみせた。
「けっけ、やっぱり車は5ナンバーに限る」と自分の運転技術を社員に自慢した後「ドア開ける時に隣の車にぶつけるなよ!」とでかい声で叫ぶ。
草薙は後部座席の真ん中に座っていたので他の従業員がドアを開けてくれて車を降りる。
降りた途端に「あ、カンタッキーフライドチキンがある」と社長に負けない大きな声で看板を指差すと、二人の従業員はげらげら笑い、社長も「帰りにおみやげで買ってやるわ」と言い返す。「社長俺も」「俺も」と馬渕と矢崎がねだると「お前たちは自分の金で買え!」と言ってから黙り込み「わかったわかった」と手を挙げた。
車を降りた3人はブルーバードのトランクからキャスターの付いた重いボウリングのボールの入ったキャリーバッグをそっと取り出すと、ガラガラと音を立てて入り口へ向かう。
草薙は“ボウリングに行くのに何であんなに重たい荷物が必要なのか”と不思議に思いながら手ぶらでアピアの正面玄関から中に入る。正面にはコンベンションホールと呼ばれる100人以上も収容可能な大きな宴会場があり、左手には階段が、右手には大人2人で並んで乗るのが難しい狭いエスカレーターがあり4人は1人ずつエスカレーターに乗り込む。
エスカレーターの上、天井部分はアーチ状に湾曲しており小さな電球がちりばめられていて、きらきらと輝く光のドームをくぐりぬけながら2階へ向かう。
2階から上に向かう際には、踊り場を1メートル左に進むと、またエレベーターが続いている。
「あれ!2階の次が4階になっているよ。」初めて来た巨大な複合娯楽施設アッパーに落ち着かず、きょろきょろと辺りを見回していた草薙は2階に設置された表示板に気づき声を上げる。
「そんな事は無いだろ」
「書き間違いじゃないのか」
と従業員の2人は相手にしないが確かに2階の上は4階と表示されている。
4階に上り左手を向くと目の前にボウリング場が見えてくる、さらに左にぐるっと回り込んで進んで行くと60レーンの巨大なボウリング場全体が見えてくる。エレベーターを降りた辺りは50番レーンの前あたりでそこから受付を目指すと一気に巨大なボウリング場が開けて見える。
馬渕と矢崎は慣れた様子で“フロント”と表示された受付に向かい社長は小銭を用意すると「靴を借りてきな」と草薙に300円手渡す。
草薙は自分のサイズに合った靴を、貸し靴の機械に300円入れて借りる。
草薙が靴を選んでいる間、馬淵と矢崎はフロントで指定されたレーンに入り、キャスター付きのボウリング バッグからオーダーメイドのボールを出して、リターンラックと呼ばれるボールを置く場所に置いてゆく。
面白いことに社長は2つそして馬淵と矢崎はボールを3個ずつ持っていて、草薙がボウリング場に最初から置いてあるハウスボールを選んでいるとボールの選び方を馬淵が教えてくれた。
初心者13ポンド位が良いんだけれど、親指を入れる穴が小さくて投げにくいんだ。親指の太さに合わせると15ポンドが良いんだが、初心者には重すぎて投げにくい。どちらでも良いから重さより指の入れやすさを重視して選ぶと良いぞ。
草薙は余り深く考えず13ポンドのボールを選んで居る間、矢崎は機械に4人の投球順と名前を打ち込んでゲームがスタートした。
投球順は社長が最初で馬淵、矢崎と続き最後が草薙だった。明はボウリング場に来るのが初めてではなかったが、社長と先輩がマイボールでストライクとスペアーを次々に決めてゆくのに対して、草薙は第1フレームからスペアすら取れない。
腕の違いもさることながら、ボウリング場に設置されているハウスボールとマイボールでは、ボールの握りやすさは勿論のこと、ボールを手から離すときも圧倒的にマイボールが勝る。
第3フレームまで進んでも1回もスペアが取れない草薙に馬淵がささやいた。
「このボール、もう使っていないからくれてやるよ。13ポンドであんまり曲がらないけどな」
「良いんですか」と確かめながら馬淵先輩がくれたボールをまじまじと眺めてみると紫色のボールにColumbia 300 と印字されていた。
それを見ていた矢崎先輩も
「俺もこのボール使ってないから」と今度は真っ黒な13ポンドのARROWと印字されたボールをくれた。
「このボールは全然曲がらないから2投目に使うと良いぞ」
草薙には“曲がる”とか“2投目”の意味が分らないまま、先輩から2個のボールを譲り受けた。
2人の様子を見ていた社長は「キャスターが壊れたキャリーバッグが会社に置いてある。素手で運ぶよりはマシだろうから今日のボウリング大会が終わったらくれてやる」と3人共、草薙に協力的だ。
オーダーメイドのマイボールを手に入れた草薙がボールに指を入れてみると、違いは明らかだった。
まず親指を入れる穴の大きさが格段に広い。さらに親指と中指、そして親指と薬指までの間隔が広く、中指と薬指の間隔は狭い。当然ハウスボールのように3本の指を奥まで入れる事は出来ない。
「先輩、このボールどうやって持てば良いんですか?」
馬淵と矢崎は交互に笑うこと無く真顔で答えた。
「親指は奥まで入れて、中指と薬指は第1関節だけ入れれば良い」
「コロンビアを投げる時は1投目に使い、投げる瞬間に親指を先に抜いて、手首を少し左に返してから中指と薬指を引っかけたまま投球するんだ。そうするとボールが左に回転してレーンの途中から左に曲がる。
アローを投げる時はストライクが取れなかった時の2投目に使い、3本の指を同時に抜くか、親指を先に抜いても手首を返さずに中指と薬指の力だけで投げるんだ。そうするとボールが真っ直ぐ進む」
社長も熱血指導に加わる。
「そもそも第1投の際に1番ピンを狙うのでは無く、1番ピンと3番ピンの間を狙って投げるんだ」
と言いながら、自分の着ていたポロシャツからメモ帳とボールペンを取り出して1番ピンから10番ピンまでの配置を書いて教えてくれた。
⑦⑧⑨⑩「これがピンの配置図だ、ピンにはそれぞれ名前が付いていて、1番手前
④⑤⑥ が1番ピン、そして2列目の左側が2番ピン。後は同じように数字の後に番
②③ ピンと呼べば全てのピンの名前が分る。
①
初心者はボールを投げる際にレーンの右側から1番ピンと3番ピンの間を狙って投げれば良い。 この場所はポケットと呼ばれ、ストライクが出やすいんだ」
草薙は「はあ?、はあ?」と聞いて居たが、要は1投目にコロンビアを使ってポケットを狙う。2投目はアローを使って真っ直ぐ投げるという事は分った。
実際に投げてみるとハウスボールとの違いは一目瞭然で、特に親指の負担が軽減されて投げやすかった。
とは言え、急にストライクやスペアーがホイホイと取れるわけでは無い、社長と馬淵そして矢崎は毎週3ゲーム投げていた上に、フックが投げやすいマイボールを使っていたから、実力とボールの違いで、1ゲーム当たりのアベレージ(平均点)は200点近い。
当時の男子プロボウラー実技試験は1日20ゲームを3日かけて行い、60ゲームのアベレージが190点で合格あったから、アマチュアでアベレージが200点近く出せれば充分自慢出来た。
それでも草薙は先輩の指導のもと、言われた通りに投球をすると、たまにストライクやスペアーが取れるようになった。
この日のゲームのアベレージは小石社長が210、馬淵は175、矢崎は168、そして草薙は98に留まった。アベレージこそ話にならなかったが、草薙はただで遊べるボウリングが好きになった。
ボウリング大会が終了すると社長は会計を済ませてから1階にあるラーメン店で昼食をおごってくれた。
普段、馬淵と矢崎はカツ丼とラーメンを注文するのだが、この日は昼食の後でカンタッキーフライドチキンをおごってもらえると分っていたので、カツ丼だけで我慢し草薙も見習った。
社長は普段通りカツ丼とラーメンを注文し、豪快に食べた。4人とも早食いで、あっという間に平らげると、小石社長は4人分の代金を支払いレシートをもらい、3人は車の中にボウリング バッグを片付ける。
草薙はバッグを持っていなかったので、車の後部座席にボールを2つそっと置いた。
3人は社長がカンタッキーフライドチキンの事を忘れていないか心配であったが、社長はグルーバードのエンジンを掛ける事無く3人を引きつれてケンタッキーのお店に向かった。
社長は満腹で注文しなかったが、3人は恐る恐る「6ピースを頼んでも良いですか?」と尋(たず)ねると、社長はあっさり「全然良いぞ」と承諾してくれた。
注文した品物が出来上がると、社長は財布から紙幣を出して支払った。当然レシートは忘れずに財布にしまった。
草薙のお陰で普段食べられなかったケンタッキーにありつけた馬淵と矢崎は車内ではしゃいだ、社長もアベレージが200を越えたので上機嫌だった。
車が会社に着くと3人はボウリング バッグを持って会社に入り社長と馬淵そして矢崎はバッグをロッカールームにしまった、両手にコロンビアとアローを持った草薙は社長から本当にキャスターの壊れたキャリーバッグを受け取ると2つのボールを収納した。
幸いなことにバッグに付いたキャスターは2つの内1つは正常で、もう1つのキャスターもガラガラと大きな音は出すものの、かろうじて使えた。
グリースを使えば直るな。明は直感した。
従業員や社長が草薙にここまで親切にしてくれるのには訳があった。
仕事が3K(きつい、汚い、危険)だけならまだしくも、職場は冷暖房が効かない上に騒音にまみれている、しかも従業員が10人未満の零細企業のため福利厚生も乏しく、ボーナスも売り上げによって大きな波があった。
しかし明は高校を卒業したばかりで世間に疎(うと)く、“仕事が見つかっただけでもありがたい”と素直に感謝した。
こうして草薙 明は仕事をしながら、毎週ただでボウリングを楽しめるようになっっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます