(七)
年が明けて、三が日が過ぎ、私は課題の海に飲み込まれていた。回答を写してマルをつけるのと、わざと違うことを書いてバツをつけるのをランダムに選んで、ひたすら手を動かす。答えを見ることは意味が無いと強く思う。でも、私はそれを行っている。課題を提出するために。たぶん、私以外の怠惰な生徒も、同じことを考えて同じことをしている。
新しい童話は一行も書けていなかった。頭の中ではほぼできているのだが、紙の上の文字になっていない。課題が信じられないぐらい残っていたから、それは脳みその奥にしまっておき、後回しにしていた。別に書かなくてもいいということでボツにしてもいいのだが、もったいないという思いがあり、捨てないでいる。
そして三学期が始まり、提出物が集められる。私は、他の生徒たちと同様に、たくさんの紙に黒鉛とインクを乗せただけの束をいくつも提出する。時間はかからずに、大量の紙が集まった。それらが教室の後ろで積み重なっている様子は面白く、そして、気持ち悪く見えた。火をつけて全てを台無しにしてしまいたくなるような完璧さを持っていた。提出物は、クイズ王に似ている。早押しクイズで問題文が数文字しか読まれていないところで押して正解するというクイズ王の完璧さが、提出物の完璧さから連想された。
昨日も二時過ぎまで起きた。そうして最後の問題を埋めた時、とんでもない情けなさを感じた。この生活を選んだ自分、それを実行している体、汚い顔、にきび、とにかく全部が嫌いになった。徹夜の原因は明らかに私であると理性はしゃべっていたが、それでも他人のせいにしたいと本能がしゃべっていた。
他人をむやみに恨むとどうなるかは知っていた。大暴投の恨みは、ストレスに変化して戻ってきて、心を苦しめる。または、自己嫌悪に変化して戻ってきて、心を殴る。どちらにしろ、痛い。やらない方がいい。
分かっていたのに、夏休み中何回も寝落ちした私を一度も起こさなかった母に、昨日の私は心の中で悪態をついた。すると、痛かった。母がそうした理由をなんとなく理解できるから、特に痛かった。
一時間目開始まであと一分というところで博美が話しかけてくる。
「だいぶブラックな話を書くのね」
「え?」
「あと、タイトル好きだったよ。『白鳥を飲む月』」
―――ボーン
「じゃあ」
と言って彼女は自分の席へと戻った。
―タイトル違うし。でもそれも良いかも―
と思った。
本当に欲しかった感想は「好きだった」か「好きじゃなかった」だったから、博美が言ったことは期待からは外れていた。分析とまではいかないが、そういう見方をされたのは想定外だった。しかし、それはそれで面白かったから、悪くはない。
あの童話を書く前に、私は宮沢賢治の『ツェねずみ』と『クねずみ』を読んだ。本屋にあった彼の並びから『風の又三郎』の文庫本を買い、それに収録されている中から適当に選んだ二つだった。本物の童話を見ておこうという気持ちでそうした。それらが皮肉たっぷりの作品だったので、影響を受けて、自分のものもそういう話に近づいたのかもしれない。
それらを読んだ時、宮沢賢治はすごいと思った。詳しくは知らないが、彼が死んだのはたぶん百年以上前だ。つまり、彼の作品が書かれたのも百年以上前。それを私が読んで面白いと感じるというのは、なんと驚くべきことか。立ち上がって拍手したくなるような衝撃を受けた。興奮のせいでなかなか眠れず、ベッドの上で困ってしまった。
さて、この時代の宮沢賢治になるのは無理なことだ。
しかし、書くことはやめていなかった。
脳内会議が開かれる。
―なんで書いてんだ―
―夢があるじゃない―
―本気で言ってんのかよ―
―ロマンがあるじゃない―
―成功するわけないでしょ―
結論は「とりあえず書く」になった。
そんなことより、来週はテストだ。今はそれの心配をしなくてはいけない。一つ目は英語。一番苦手な教科だ。とにかく頑張ろうと思うことだけをして、眠った。
そして、テストはあっという間に過ぎた。木曜日の午後、最後の科目である化学が終わった。
さらに次の週の火曜日の午後、十七点の英語が返ってきた。
―これは、仕方ない―
と思うしかないのだ。だって一年生の時、勉強をしていなかったのだから。この点数はまだ成長途中のもの。それは実際そうだ。
英語の勉強は半年ぐらい前から始めた。あまりにも酷かったからだ。その時点より前は、一の位にしか数字が無い点数がよくあった。だからこの十七点は良くなっている過程だ。私はそれを信じている。アイビリーブイット。
テストのことを考えるのはやめた。新しい童話を書き始めた。ふと、童話と小説って何が違うのだろうかと気になった。検索バーに入力する。童話、スペース、小説、スペース、違い。大したことは出てこなかった。違うけれどもそれほど変わらないと分かった。
今書いているものは小説に近いような気がする。
二作目のアイデアを思いついた時のことを思い出してみる。それは、前日に遅くまで本を読んでいたせいでいつもより眠たかった朝のことだった。
その日は人身事故の影響で電車が遅れていた。なんとなく線路の方に視線を向けると、変な状況を発見した。どうやってそうなったのか、鳩が線路と砂利の隙間に頭を突っ込んで死んでいた。そして、もし人身事故が死亡事故だったらということを想像してしまった。人の死体は、鉄道警察隊の人に処理されるのだろう。しかし、目の前の鳩の死体は、鉄道警察隊の人に処理されない。
それを元に書こうと思った。鉄道警察隊の一員を主人公にした。彼は頻繁に死体と関わり、混乱して、命の価値が分からなくなっていく。命に傷をつけることを考える。
私は、書いていて、気分が悪くなっていた。
そういう話を書くのは、ストレスのせいだ。勉強を頑張ってもダメなのを何かに当たりたい。でも、何かを傷付けることにビビッて実行はしない。いらいらと黙り込むだけ。現実で私は弱い。だから好き勝手できるところで暴走しようとする。命に傷をつけようとする。
私は私が嫌いになった。命の大切さは理解していると思っていたのに、実際はそうではなかったのだ。内容がグロくなっていくと、苦しくなっていく。文章を書くことは自分の命に傷をつけることだと気づいた。
面白いかどうかということは一切考えずに、浮かんだ話を書いていた。その文章はもはや童話でも小説でもないようなものになっていたが、それでもよかった。
―とにかく書かなければ―
と思っていた。
原因不明の病気にかかっているように、自分の行動を制御できなかった。
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