(六)

【タイトル】

月を飲む白鳥

【作者】

浅島加恋

【本文】

 大きな森がありました。

 聴覚を澄ませば良い鳥の声が聞こえ、嗅覚を澄ませば良い果実の香りがします。穏やかな空気が溢れていました。

 そんな世界の東側には、一つ湖があります。そしてそこには多くの白鳥が浮かんで、優雅に存在しています。これは今だけ見られるもので、時期が終わると全て北に移動します。金では買えない景色でした。

 ある一羽の白鳥は月に見惚れていました。

「ああ、素晴らしい。何よりも美しいと思う」

彼にとってそれは一番の憧れでした。

「月を食べてしまえば、それはずっと僕のものになるのに。手に入れることはできないだろうか」

どうにかしてそれを叶えられないかと何度も思考しました。しかし、もちろん彼自身にはどうしようもないのでした。だから、毎日祈るようにしました。

「神様、欲しいものがあります。月です。あの月をもらえないでしょうか」

 そして、白鳥の前に神様が現れました。次の日に北に出発することになっていたので、彼は祈るのを今日で最後にしようと決めていました。信じていて良かったと思い、たいへん喜びました。

「君はずっと祈り続けていたね。欲しいものがあるようだが、それを本当に与えよう」

そう言うと神様は夜空に手をのばします。そこには月が浮かんでいました。ちょうど満月でした。それを右手の親指と人差し指で挟むと、左手で隠しました。そしてそこから両手を動かすと、もう夜空に月は存在しないのでした。

 白鳥は言葉を失いました。

「そう驚くことはない。ここにあるのだ」

神様が見せた手の上には小さな月がありました。それは小さいですが間違いなく月なのでした。

「さあ、飲み込みたければ飲むがいい」

そう言われたので、白鳥は首を曲げて差し出されたそれを口に入れ、丸飲みしました。

 すると、彼の体は水の中に沈みそうになりました。慌てて岸に避難します。神様はもう消えていました。

 白鳥は、月の重さで水に浮かぶことができなくなってしまったのでした。

 次の日まで彼は岸辺で過ごしました。また、水に浮かぶことだけでなく、飛ぶことも難しくなっていました。

 しかし、出発の日は変わりません。遂にその時刻は来て、他のみんなは次々と羽ばたいていきました。

 彼は最後になってしまいました。ついていかないと、一人ぼっちになってしまいます。どうしようもなく、なんとか体を持ち上げ、翼を強く動かし、どうにか飛びました。その様子は、とても不安定でした。

 やがて、海に出ました。それから太陽が、円の真ん中を百二十個に等しく分けたぐらいの角度に傾いた時、彼の高度は落ち始めました。足が水につきました。股が水につきました。白鳥はもがきましたが、その体力は失われていきます。ぶくぶくと水に飲まれました。

 彼は一つ咳き込み、そして息絶えました。世界はとてもとても静かでした。

 夜になって、白鳥の体は溶け始めました。羽、皮膚、筋肉、と外側から順番に消えていきました。最後まで存在したのは、胃。しかしそれも同様に、無くなりました。そして、体内にあった月だけが残り、静かに沈んでいきました。

 その一部始終を見ていたものがいます。月を与えた神様でした。手は出さず、白鳥の末路をただ黙って観察していただけでした。

 神様はそれが完全に溶けたのを確認すると、ようやく動きました。海の中の月をつまみ、元の夜空に戻して、言いました。

「今夜の月は、これまで以上に綺麗だ」

 よく晴れた空の白鳥座の横に、月は皓皓と輝いています。天体の下では白鳥の大群が北に向かって飛んでいきます。その光景は本当に、本当に美しいのでした。

(完)

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