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第一印象は「仲良くなれなそうなやつ」。第二印象は「面白いやつ」。そこから先は、もう真っ当に「少しでも親しくなりてえ」の気持ちしかなかった。
月裏と会話をするうちに、遊ぶうちに、共に過ごすうちに、いつしか私は月裏ひよりを他とは違う特別な存在に感じるようになっていた。
月裏の独特な言葉選びが好み、堅苦しい口調が好み、極端な性格が好み、付き合う人間を選んでそうで私を拒まなかったのが好み、映画の趣味が偏っていて好み、丸みを帯びた鼻が好み、無造作なヘアスタイルが好み。
どれもこれも自分にはないもので、でも欲しいなって思うものばかりだったというのが大きかったのだろう。月裏は、私が憧れるものの集合体だった。
◆
大学二年生の春公演で、私は月裏を役者に推薦した。演劇サークルは、どうしたって役者志望が多く、出演するには熾烈なオーディションを勝ち抜かねばならない。そのために、私と月裏はよくサークル室で二人きりの特訓をした。
結果的には落選こそしたが、今でも私は、特訓中の月裏の姿を思い出すことがある。
月裏が舞台上に立っている。私は客席に座って、彼女の演技を眺めている。舞台と客席の間には明確な境界線があって、彼女が演じている間は舞台に上がることは赦されない。しかし、その逆もある。舞台上に立つ人間はストーリーテリングに徹しなければならない。観客席に座る私みたいに、月裏ひよりに見惚れることは赦されない。
境界線を引くことが、この特等席に座り続ける権利を得ることなのだとしたら、それも悪くない。そう思ったあの日の演技を、私は忘れられない。
◆
春公演の準備期間中。三月初旬のことだった。
私と月裏はその日、居酒屋を三軒ハシゴして、それはそれは泥酔していた。このまま四軒目へ突入じゃあ、と息巻いたものの始発間際の学生街に営業中の店はなくて肩を落としたとき、じゃあわたしの家に来るか? と月裏が誘ってくれた。
はじめてお邪魔する月裏の下宿先は、いかにも彼女らしいシンプルな内装だった。ミニマリストを体現したような、必要最低限の家具家電しか取り揃えていない部屋に、解釈一致の四文字がよぎって嬉しくなった。
しかし、ただ一か所。本棚として利用されていたカラーボックスの上だけは、やけに物で溢れかえっていて、無意識に視線が吸い込まれた。近づいて見ると、それは見覚えのあるものばかりだった。CD、アクスタ、マフラータオル、缶バッチ……。
「これ、」と指さして、月裏を見た。「好きなの?」
尋ねると、缶ビールを両手に持ったまま、月裏はその場で硬直していた。
「…………。私島さん、知ってるのか?」
私は肯いた。やっぱりだ。その一角は、国民的歌姫私島の関連グッズばかりだった。見覚えがあるのは、一部、私も持っているからだ。
知ってるもなにも、私島は私たち世代の大スターだ。動画投稿サイトに「【初投稿】らびっと♡ほーる 歌ってみた」を発表してすぐにスターダムを駆けあがり、メジャーデビューと同時に顔出しし、美しすぎる歌声と美貌で、当時の中高生オタクをひとり残らず沼に沈めたものだ。その中に、当然、私も含まれていた。
私島は、私が敬愛している人間。私の「推し」だった。
中学時代、彼女の歌ってみたが投稿されるたびに動画サイトにアクセスした。彼女のCDが発売されるたびに、初回盤を予約した。ライブにも二度ほど足を運んでいるし、私島のアー写をスマホの背景に設定していたことだってある。
だから私は、途端に嬉しくなった。月裏との共通点を見つけたのだ。
けれど、一瞬にして、月裏の表情が陰ったのを私は見逃さなかった。
「まさか、好きとかじゃないよな?」
「……へ、」
妙な訊き方だった。まるで、私が推していたら都合が悪いみたいな口ぶりだ。だから私は曖昧に首を傾げて、様子を見ることにした。
しばらくして、月裏が口を開いた。
「……や、なんでもないんだ。わたし、私島さんが大好きで。それで、帯船と推しが被っていたら、ちょっとな、やりづらいんだ」
「それって、いわゆる同担拒否的な?」
月裏は首を横に振った。
「そうじゃない。むしろ同担歓迎だ。しかし、あくまでわたしのポリシーとして、同担とは距離を置くようにしているんだ。……わたしなりの推し方を強制しないために。あるいは、強制されないために。ああ……理解しなくていい。個人的な話だ」
この後で私は、彼女から『推し活三原則』なるものを聞かされるわけだが、その内容はこの際、どうでもよかった。それが月裏のポリシーだというのなら、何も言うべきじゃない。尊重し、肯定することが大事で、つまり私が取るべき選択はただ一つ、
「私島ね。有名だしそりゃあ知ってるよ。けど、あんま詳しくないや」
あの日、私がした選択を誇らしく思う。
そのおかげでいまも私は、頑固で極端で憧れの、月裏の隣にい続けられている。
特等席に座り続けることができている。
◆
歌みたフェス当日。月裏は、全身に私島グッズを纏った姿で現れた。
「帯船の疑問は分かる。推し活三原則の第二条に抵触しないか、ということだろう」
合流するなり、月裏はまるで見当違いのことを言った。
「二、推し活を衆目に晒すべからず。縁の下から推せ。確かに、フェスイベントで私島さんグッズを身に着けるのは、いささか主張が激しいというか、衆目の的になりかねない。しかしだな、わたしには『熱狂する数字』と化す使命も同時にある。戦闘服に身を包まずして、『熱狂』を体現することはできない。これは苦渋の決断なんだ」
けれど、月裏の揺るがなさに、私の心は落ち着く。たぶん一生、仮にどんな状況に置かれても、確固たる意志を貫く。その様に私は惹かれている。
結局、私島の出演可否について、公式からのアナウンスは無かった。それはつまり、予定通り出演することを意味していた。公式SNSにはタイムテーブルが投稿されており、ちゃんと私島の名前が記載されていた。会場内には三つのステージがあり、私島の出演は一番大きな「スピカステージ」、その四番手だった。
スピカステージに入場制限がかかりそう、というポストがタイムラインに流れてきたのは、他のステージのライブを見ていた時だった。「私島さんを確実に見るためには、もう客席入りした方がいいだろう」と月裏が言うものだから、私たちは慌ててスピカステージへ向かった。
到着した頃には入場制限ギリギリだった。ステージ上では私島の出番一つ前の男性アーティストが有名なボカロ曲をカバーしており、会場のボルテージは最高潮だった。
私と月裏は、大いに盛り上がる観客に紛れて、サイリウムを振り上げた。その男性アーティストは有名だけど、正直あまり詳しくない。歌ってみた動画を二、三本見たことがあるぐらいだ。それでも会場に充満する熱に呼応して、体温は上昇した。
ふいに、月裏の『推し活三原則』の第三条が頭をよぎった。サイリウムを振るう肉塊と化せ。いまの私は、まさにそれだった。この空間もまた、月裏が形容するところの『熱狂する数字』であった。一つ一つの光が、雄大なサイリウムの海を形成している。その光景に圧倒される一方で、私は、この光景の一部であることが誇らしかった。
見始めたのがライブ終盤からだったとはいえ、彼のライブパートは体感にして一瞬だった。それぐらい、心地が良く、何もかもを忘れられる素敵な時間だった。
何もかも。
たとえば、月裏にあの日の嘘を見透かされたかもしれない、ということさえも。
「…………」
ステージ上は暗く青い照明に照らされており、転換作業が行われている。私島のライブの始まりは近づいていた。
もう間もなく、私の推しがステージ上に現れる。そう思うと急に、どんな表情でいればいいか分からなくなった。仮に笑顔を浮かべてしまったら、ただでさえ暴かれかけている嘘の、そのヒントをもうひとつ月裏に開示することになるのではないか。そうなれば、月裏は何に気づいてしまうんだろう。何を想うんだろう。
ふいに去来した不安が肺を満たして、私の視線は床へと落ちた。
その視線を拾い上げたのは、
「なあ、帯船」月裏の、その呼び声。「今日、ずっと気になっていたことがあるんだが、訊いてもいいか?」
月裏にしては、なんだかずいぶん畏まった雰囲気だった。堅い口調なのはいつも通りだが、こうやって丁寧な前置きがあるのは珍しい。
私は肯きを返して、月裏の横顔を見た。
「君の服装、それ。……ユニクロでよかったのか?」
可笑しな質問だな、と思った。いつも通りといえばそうなのだが、にしても着眼点がしょーもなさすぎる。確かに、今日の私はユニクロのTシャツにユニクロのチノパンを履いているが、それがなんだというんだ。別に何を着ようと自由だろう。
だなんて、心のなかで反論を並べ立てながらも私は、今の質問こそがチェックメイトを意味しているのだと、気づいてしまっていた。
「それ、どういう意味、」
言葉を吐き出して、息を吸い込んで、断罪を待つ。たとえば残業確定の友人よりも推しのMVを優先する彼女の、たとえば信念を曲げるくらいなら失職を選ぶ彼女の、他の何よりも私島を推すことが最重要事項である彼女の隣に、私はいる。いまは、いる。けれどそのポジションは、あの日に吐いた嘘が作り上げた客席で、嘘が暴かれてしまえば消滅する幻影だ。
即席で引いた境界線は脆く、指で擦れば消える。月裏の指先は、その線に触れている。退職願の提出と等しく、簡易的な手続きひとつで、月裏は私を失えるのだ。
月裏は、ステージを見ていた。しばらくして、視線を下へと落とし、
「なんというか」月裏が言った、「着たい服を着ればいいのに、と思ったんだ」
その時、だった。
小さな違和感に襲われたのは。
会場内の様子が、月裏越しに視界に映る。それは、直前の男性アーティストのライブ中とかなり違って見えた。なんだか、客と客の間隔が広がっている気がする。
次に、右へと振り向く。その先にはスピカステージの出口があり、そこへと続く人の流れを目撃した。
なにより決定的だったのは、私の耳に飛び込んできた、観客同士の会話だった。
「私島どーする?」近くで、男性の声。かと思えば別の方角、遠くで若い女性の声がする。「ちょうど昼飯の時間じゃね?」「アタシ私島苦手~」また別の方角から、「なんかさカリスマ売りキッツいよね」その隣の男性の返答が、「そうそう。歌い手上がりのくせに何様? って感じ」見れば、それは五人くらいのグループで、「ほかの歌い手に失礼~」「でもマジでそれな。歌みた文化を踏み台にしたのガチでムリ」トドメに、「帰ろうぜ」
ぞろぞろと列をなして退室していく観客の、その一人一人に素手で心臓を掴まれるような錯覚に陥った。忘れかけていたこと……いいや、忘れようとしていたことが記憶の奥から引きずり出されて、目の前に差し出される。
私島の炎上は、終わっていない。推しはまだ燃え盛る炎の中だった。
月裏の顔を振り向いて見る。私島のファングッズに身を包んだ彼女は、ただただ真顔でステージを見つめていた。前方から退室する人の群れが押し寄せてきて、すれ違う人の肩が月裏の肩とぶつかった。
「ねぇ、月裏……」
私は何を言えばいいか、何を思えばいいか分からないほど小さくパニックになっていて、月裏に縋りつくように声をかけた。その先に続く言葉を用意しないまま。
すると、月裏はゆっくり口を開いた。そして、
「帯船。わたしはどうやら」小さく呟くようにして、それから、「君を知ろうとしなさすぎたらしい」
「…………え?」
何の話だ、と尋ねようとして、タイミングを失った。気づけば、月裏が歩き出していたのだ。私が浮かべたクエスチョンマークには反応せず、すれ違う人たちを意に介さず、その合間を抜けて、客席の前方へと進み始めたのだ。
「ちょ、ちょっと待って。月裏っ」
呼び止めようとする私の声を、彼女は聞こうとしない。
文脈が掴めない直前の発言と、突然の猛進。両者に関連は見いだせず、だから私はいっそう混乱する。
とにかく私は、急いで後を追った。月裏に足を止める気配はない。ぐいぐいと進んでいき、ついに彼女は最前列まで到達した。やっとの思いで追いついて、呼吸を整えたあとで、月裏の横顔めがけて声を出す。
「ねぇっ、月裏。マジでどうしたの。壊れちゃった?」
月裏は首を振って、
「なあ帯船。君の力を貸してくれないか?」
またしても、突飛なことを言い出す。
「……ねぇ。マジでなんなの、さっきから。なんか変だよ」
真っ当な進言をしたつもりだった。けれど月裏は、これまた正しく会話を紡ぐ気などさらさら無いようで、
「わたしはこれから、精一杯の声援を送ろうと考えている」
最前列、ステージとの間に設置された柵を両手で掴み、上半身を乗り出した。
「え、ちょっと待って」
「だから、君も声を出せ。一緒に、声援を送ってくれないか」月裏は、こちらへ振り向いた。「このままじゃ、熱狂が足りない」
中途半端な説明だけれど、月裏がやろうとしていることを私は理解した。そのうえで、動揺を隠しきれない。だってそれって……月裏自身のポリシーを、『推し活三原則』を破ることになるじゃないか。
「待って、月裏。ここ、最前列だけど」
「ああ」
「たぶん、私島、すぐそこで歌うんだけど」
「ああ、そうだな」
まさかそれがどれほど危険な行為か、気づいてない? だったら、止めなきゃ。そう思った。私は、彼女の目をまっすぐ見つめる。
「いや、だから。そんなことしたら、絶対に目に留──」
「いつまでもわたしばかり立てるな、帯船」
その私の目を、月裏が、まっすぐ見つめ返した。
「…………」
「君の自我を、わたしに見せろ」
なるほど。どうやら境界線は消されてしまったらしい。
青く暗い照明は、眩しい白に変わる。ステージ上に推しが登場する。爆音が鳴り、演奏が始まる。隣で、月裏が深く息を吸い込んだ。
嘘は見抜かれ、客席は剥奪され、そうして、殺した欲求は息を吹き返した。
あ、そ。どうなっても知らないから。
そう、胸中で独り言ちてから私も、めいいっぱいの酸素を肺に流し込んだ。次の瞬間、隣で月裏が絶叫した。見たことない必死な表情、大胆な声量。ふと、歌唱中の私島と目が合った、気がした。ああ、もう取り返しがつかない。なら仕方ない。私はお腹に力を入れて、溜め込んだ熱狂を、一気に放出した。
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