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必要なのは想像力です。他者の哀しむ姿を想像できること、それが優しさだと思います。優しくありたいですね。
三年前、自身が初めて歌詞を書き下ろした曲について語る、私島のインタビュー記事。それが掘り起こされて、引用ポストのスクショと一緒に晒されたことが火種となった。私島の失言は、またたく間に拡散された。
SNSの炎上は、一度火が付くと止めどなく燃え盛るものだ。過去の発言が端から掘り起こされて、失言と結び付けられる。「倫理観のズレた人間の思想」とレッテル貼りされた言葉が、文脈と切り離された状態で、ネット上に溢れかえる。
今回の件もそうだった。不倫騒動の被害者、つまり相手方の妻の心境を慮る「想像力」があったのならば、擁護ともとれる発言は出来ないだろう、というのが世間の言い分だった。他者の哀しむ姿を想像できることが優しさというのならば、私島は優しさのない人間だ、と責め立てる声が日に日に大きくなっていった。
見るも無残な光景だった。投稿から十七時間後には、もはや不倫をした女性声優を叩く者よりも、私島を叩く者の方が多くなっていた。トレンドは『不倫擁護』『女の連帯』『想像力の欠如』など、今騒動の関連ワードで埋め尽くされていた。
なかでも、特に物議を醸していたのが『歌みたフェス』についてだった。二週間後に開催を控えた『歌みたフェス』への参加の是非が、SNS上で議論されていたのだ。
『こんな発言をして出演強行したらさすがに笑う』『歌みたフェス、マジで行く気失せた。私島が出ないなら行く』『イベント直前にこれは自覚ない、運営が一番かわいそう』『こんな大事になってて、まだ出演告知を固定にしてるのヤバすぎ』……タイムラインを遡るほど、次から次へと批判が目に飛び込んできた。
私島の炎上は二日目にピークを迎えた。フェス当日まで一週間を切った頃には、いちおうの鎮静化の兆しを見せた。しかし、まだ『歌みたフェス』出演可否に関する公式からの言及はなく、私島のアカウントも沈黙したままで、そのことに対する批判の声は止んでいなかった。
その日は月曜日だった。バイト先でレジ打ちをしていると、店長から「んー、帯船。なんか元気ねーな。笑顔、笑顔で頼むよ」と声をかけられた。しかたなく笑顔を作ると、店長は満足したように「うし、おけ」と肯き、去っていった。
その直後のことだった。
「会計、お願いできるかしら」
目の前で鳴った女性の声に顔を上げ、刹那、呼吸が止まった。
そこに立っていたのは私島だった。
思わず、手に汗が滲む。握っていたハンドスキャナーを、レジ台に落としてしまった。慌ててそれを拾い上げて、私島に動揺が伝わらないように「いらっしゃいませ」とフラットなトーンで発した。
私島の「また来るわ」が社交辞令でなかったことに驚くと同時に、彼女のマスク姿に良くない想像をしてしまった。そのマスクは、おそらく変装だ。プライベートの芸能人がよくやると言われている、けれど前回来店した時にはしていなかった、それ。変装が必要な理由は、明明白白だった。
終始、私は私島の顔をちゃんと見ることができなかった。研修で読んだマニュアルには「接客中はお客様の目を見て、丁寧に行うこと」と書いてあった気がするけれど、その時の私にはひどく難しいことだった。またお越しください、の接客用語さえ口に出せたか定かじゃない。
その夜、私は月裏に電話をかけた。彼女は、ワンコールで通話に出てくれた。
「どうした、帯船。腹でも減ったのか? ラーメン行くか?」
初手、的外れな優しさが飛び込んできて、心のもやがちょっとだけ晴れた。彼女はいつも通りで安心する。そのせいだろう、本当は前置きを挟んでから話そうと思っていた本題が口から飛び出す。
「そうじゃなくて。あのさ、今日、バイト先に私島が来たよ」
すると間髪入れず、月裏は声を出した。
「おー、そうか。そいつは吉報だ。つまり、わたしは逃げのびたらしい」
「逃げのびた?」
「ああ。前回の来店が約一か月前だから、おそらく次回も一か月後とかだろう。その頃にはバイトを辞めている。これで、接点を持たずに済んだわけだ。大勝利だ」
「えっと、まあ、それはそう、だね」
相槌を打ちながら、私は月裏との温度差に風邪をひきそうだった。彼女が気にしているのは変わらず、己の『推し活三原則』のことなのだ。
世間では、そんなことよりも重大な事件が起きたというのに。まるで記憶を失ったみたいに、あるいは最初から炎上なんて無かったみたいに、月裏は振る舞う。
「ってか、そうじゃなくて」それが、私には違和感だった。「今日、私がレジで対応したんだ。でも、目とか見れなくて。なにか言いたかったんだけど、言えなくて」
「安心しろ、君は正常だ。実を言うとな、前に私島さんが来店した時、わたしも相当に疲弊したんだ。必死に平静を装ったが、あれはかなりの気力を使う」
話がかみ合ってない。なんだか、怒りが湧いてくる。
「だからっ、そうじゃないってばッ」そして、私は声を荒げてしまった。「月裏がそこにいて欲しかったんだって話で……っ!」
感情よりもだいぶ遅れて、理性はやってくる。これじゃ、まるで子供の駄々だ。私は深呼吸をして、精一杯心を落ち着かせようともがいた。
しばらく沈黙があった。それを、私の声で裂く。
「……せっかく私島がそこにいたんだから、なにか言うべきだって思ったのに、できなかった。もし月裏だったら傷ついた私島を救えたのかな、って思ったんだよ。だって月裏は、誰よりも真摯に推し活をしているから。私島への愛は、人一倍だから」
またしても沈黙が流れる。今度は、月裏の声がそれを裂いた。
「なるほど。君は、私島さんに同情しているんだな」
月裏は、揺らぐことのない、輪郭のハッキリした声で言った。
「しかしだな、帯船。仮にそこにいたとしても、わたしは何も言わなかっただろう」
「……推し活三原則、があるから?」
「それもある。でも、核心は別だ」
ただし、いつも以上に語気が強い。強い意志を感じる。
「私島さんが傷ついているというのは君の勝手な推測だし、傷ついていたとして、わたしに救えるとも思えない。無関係な人間の言葉は非力だ。……それとも、なんだ。救いたかったのは無力な帯船自身か? だったら余計、力になれることはない。わたしに期待するな」
「……あの、違くて」
「それに、帯船」
月裏の強い語気が鼓膜を揺らす。その瞬間、月裏が提唱する『推し活三原則』が脳裏をかすめた。それと同時に、これまでのすべてが崩壊する予感がして、私は怯えた。
月裏ひよりのポリシーであり、彼女の頑固さの象徴であるそれ。その第一条が、私の頭の中で響き渡る。
「君は、いつから私島さんのファンになったんだ?」
一、同担と群れるべからず。オタクは孤独たれ。
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