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月裏ひよりと親しくなったのは、ちょうど一年前。大学一年生の秋のことだった。
二日前に大学祭を終えて、文化棟は閑散としていた。私が所属する演劇サークルのサークル室は文化棟の一階に位置している。その日、私がサークル室に顔を出すと、他には誰もいなかった。
演劇サークルでは年四回、季ごとに定期公演を行う。そのうち秋公演が大学祭にあわせて行われた。上演期間直後は、次の公演の準備が始まるまでの空白期間にあたるわけで、サークル活動は一時休止中。よほど暇な人しか顔を出さないものらしい。つまり私は「よほど暇な人」に該当していた。
月裏の来訪は、私の到着から一時間後。誰もいないサークル室でひとり、ノートパソコンで、翌日提出のレポートを書いているときのことだった。
月裏は、演劇サークルの同期だ。けれど私は、彼女の人となりをあまり知らなかった。感情表現に乏しい、という印象だけあって、役者には向かないタイプだと思った。実際、春の演劇公演では大道具の担当で、ひたすら無言でビス打ちとベニヤ板の切断をしていた覚えがある。
「……ん、誰もいない」
だから月裏のその発言には、特段驚かなかった。明らかに目が合っていたし、無視されているのか、と不機嫌になりかけたけれど、月裏ならば言いそうなことだ。
正直、あまり仲良くできるタイプじゃないと思っていた。せっかくの来訪者だけど、彼女と雑談する気は起きない。私は無言で、ノートパソコンへ視線を戻した。
すると、月裏が「あっ」と小声を出してから、「ほかに」と付け足した。そして、
「すまない。いちおう言い訳させてほしい。さっきのは、七十人規模のサークルであることを前提とした発言であって、つまりサークル室に一人っていう状況は、近似値ゼロと呼んで差し支えない、と思っただけなんだ。悪気はない」
月裏の発言に、顔があがる。こんなに喋る月裏を、私は初めて見た。言っている内容は、丁寧な前置きをも無に帰すほど言い訳じみている。一方で、相変わらず表情に色はなくて、申し訳なさは微塵も見て取れない。
そのチグハグさがなんだか可笑しかった。私は少しだけ、彼女に興味が湧いた。
「それ、なにデレ?」
「? 何の話」
「本心ではない強い言葉の後で必死に訂正する感じ、すごくツンデレっぽくあるけど、私への愛はないからツンデレじゃない。なら、なにデレかなって」
言うまでもなく、これはそういうジョークだ。本気で月裏を萌え属性でカテゴライズしたいわけじゃない。だのに、彼女は腕組みをして、なにやら真剣に考え出した。
そしてしばらくして、何かを思いついたかのようにまっすぐ私を見つめ、
「そもそも、デレの二文字を適用することに違和感がある」
「おー、コペルニクス的転回」
こんな面白いやつだって知っていたら、もっと早く話しかけたのに、と私は思った。
◆
退職願を提出してから最低一か月間は出勤しなくてはならない。それがバイト先のルールだった。そういうわけで、私島の来店から三週間経った今も、月裏は週四のシフトを週二まで減らしながら、出勤し続けていた。
「帯船。これは新しいタイプの拷問ではなかろうか」
レジ金の点検作業中の月裏が、私に問いかける。私は出版社から届いた店舗特典を仕分けながら、そういえば先日、店長も似た文脈で拷問という言葉を使ってたっけな、と思い出した。
「あーね。労働は拷問、おっしゃる通りだよ。大学卒業したら、週五でこれしなきゃいけないなんて、考えたくもないよね」
「そうじゃない。そうじゃないんだ、帯船。わたしが言っているのは、」
と身を乗り出して、必死に訴えかける月裏にため息が出た。冗談、通じてない。
「だー、もう。安心しなよ、私島はあれから来てない。『また来るわ』ってのも、フツーに考えて社交辞令だって」
「……。だと、いいんだが」
言って、月裏の視線が手元のコインカウンターへと戻る。
「まるでホラーゲームをプレイしているみたいだ。いつ私島さんが来店してくるかと思うと気が気じゃない。まともな精神状態で働いてなんていられない」
「推しと悪霊を並列に語るのはどうかと思うね」
「帯船、君はしょうもないツイッタラーみたいな揚げ足取りをする。ホラーゲームの例は常に緊張状態が続いていることの喩えで、推しを貶める意図はない……がしかし、世の炎上はこうして始まるものだしな……ううむ。難しいな」
と月裏は頭をかいた。たかが喩えをひねりだすのに、そこまで考え込むものかね。やはり、月裏は極端だ。総てにおいて真剣、と言い換えてもいい。かと思えば、
「できることなら、『歌みたフェス』直前の来店だけは勘弁してほしいものだ」
唐突に思考を放棄することもある。とにかく、月裏の言動は予想がつかない。
月裏の言う『歌みたフェス』とは、人気の歌い手やインターネット出身の歌手が一堂に会するフェスイベントのことだった。今年で五回目の開催になるのだが、私島は去年に引き続き出演が決まっていた。もちろん、月裏は参加予定だ。
ちなみに私も同行することになっていた。月裏は、私島のライブに行くときはひとりで、と決めているらしいのだが、「フェスイベントだし、どうせなら君も行かないか?」と奇跡のお誘いをもらった。
「なんで直前が嫌なの」
「そりゃあ、当日まで顔を覚えられたままである可能性がグッと上がるだろ」
「心配しすぎじゃない? てか、いちいち客席まで見てないでしょ。私島も」
「そうかもしれないが、知り合いの顔は街中で目に留まりやすい論というのがある。とにかく、書店員として認知されるのは無罪との境目、あるいは執行猶予つきの判決だが、ファンとしてのわたしと結び付けられてしまったら、完全アウト。実刑確定だ」
あいかわらずよく分からないけど、月裏の『推し活三原則』には厳密な適法ラインがあるらしい。
「大丈夫だよ。そうなったら、私が肉壁になってやる」
「ふむ、なるほど。悪くない作戦だ。持つべきは非オタの同行者、ってやつだな」
「そんな諺、無いと思う」
月裏が、レジドロアーに数え終えた小銭を戻し始めた。レジ点検が終わったらしい。
時計を見れば、午後十時すぎ。私と月裏は退勤時間を迎えていた。
「無事、今日も推しから逃げきった」本日最後の業務を終えた月裏は、そう言ってぐぐーっと背伸びをした。「帯船は? まだ仕事残ってるのか」
「んー、もうちょいかな。手伝ってくれてもいいんだよ?」
「じゃあ、先にあがるぞ。お疲れ」
慈悲もない。まあ、月裏は文芸担当で、私は雑誌担当。部門別で仕事内容が異なるから、手伝ってってのも難しいんだけど、優しさくらいは見せてほしいものだ。
とはいえ、
「私島さんの新曲MV、プレミア公開まであと二十分か」
その独り言を聞いてしまったら、何も言えない。
月裏の生活は、私島を中心に回っているのだ。残業確定の友人よりも推しを優先するのは、彼女にとって当然の帰結だ。
右手、納品リストに目を落とす。左手、仕分け前の店舗特典の封筒がまだ沢山残っていて、思わずため息が出た。ふいに、月裏に八つ当たりしたくもなった。
「あのさ、月裏」それで私は、「私もバイト辞めようかなあ」
本音でもない言葉を口にしてしまった。
すると月裏は、事務所へ向かう途中で足を止めた。それから、私の方を見て、
「うん。二人で新しいバイト探すのも、悪くない」
なんて平然と言ってのけるものだから、またしても私は、一年前のあの日、月裏に興味を持った自分を褒めてやりたくなる。
◆
三十分の残業の末、タイムカードを切った。
休憩室に月裏はいなかった。案の定、私をおいて先に帰ったらしい。
スマホで動画アプリを起動すると、私島の新曲MVがちょうどプレミア公開中だった。せっかくだし帰り道に聴こうと決めて、サムネイルをタップした。
その直後、SNSの通知が鳴った。見れば、バナーに私島のアカウントが表示されている。私は私島のSNS通知をオンにしていた。
プレミア公開中のタイミングだし、おそらく告知ポストだろう。そう思って、バナーをタップした。すると目に飛び込んできたのは、予想外の投稿だった。
それは、私島とプライベートでも交友のある女性声優への引用ポストだった。私島が投稿したのは、ただ一言、
『こんなことでわざわざ謝る必要はない』
そうして私は胸騒ぎを覚える。
一昨日のことだ。とある週刊誌が、その女性声優の不倫を報じていたのだ。引用元のポストは、その件に対する謝罪と、当面の活動自粛を伝える公的な文書であった。
左上の矢印をタップ、私島のポストへ戻る。すると下部分に、さきほどまでは無かった『この投稿は削除されました』の一文を見つけた。不倫擁護とも取れるその発言は、すぐさま削除されたらしい。
いてもたってもいられず、月裏に電話をする。彼女は、ワンコールで通話に出た。
「帯船、もしかして君も見たか」
電話に出てすぐ、月裏はそう言った。当然、月裏は投稿を確認していたようだ。
肯き返すと、月裏は深く息を吸い込んだのちに、
「そうか。……どう思う。ライン越えだろうか。もちろん、わたしは許容する。私島さんだって、感情的になることもある」
「そうだね。でも、」
「ああ。一部の人にとっては格好の餌食だろう」
変わらず冷静沈着なトーンで話し続けた、
「ちょっと、燃えるかも」
月裏の予想通り、この夜、私島は炎上した。
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