第二話 静寂の裂け目 01


 土曜が受診日だったから、日曜はゆっくり過ごした。だけど今日は月曜。ずっと寝てるわけには行かない。

 朝の光は私の瞼には届かなくて、寮母の芙蓉ふようさんの声が廊下から僅かに響く。ちょっと頭が痛い。朝は三日に一回の割合でそうだから仕方ない。

 私は朝が弱いけど、なんとかやっていけるのは、芙蓉さんや、フロア長の御堂みどう先輩のおかげだ。今日もバタバタと、でも不快じゃない足音が聞こえてきた。


「風華ー生きてるかっ!」

「い、生きてます」

「よし!」


 御堂先輩は艶々のボブカットの髪を靡かせて現れた。ノックもせず、バン、と扉を開けたかと思うと、起きてることに満足して去っていった。うん、いつも通りだ。


 私が完全に起きてなくて寝ぼけ眼でも御堂先輩は気にしない。


 生きてりゃいいのよ、生きてりゃが口癖の御堂先輩は、すごく豪快だ。最初は面食らったけど、すごく心地のいい人だ。緊張でいっぱいだった寮生活がうまくいっているのも御堂先輩の存在が大きい。


「顔、洗お」


 私は洗顔フォームと洗顔用ヘアバンドとハンドタオル、そして歯磨きセットを片手に、部屋を出た。


「おはよー」

「おはよう、風華ふうか

「ん……」


 洗面所では寮のみんなが、歯磨きだったり、洗顔だったりをしていた。終わった人は次の人のために場所をすぐさま開けていく。私も挨拶もほどほどに洗顔する。

 私は髪が腰まであるから、ヘアバンドでしっかり髪をまとめて、慎重に顔を洗う。でもその度に、いつも髪に水が掛からないかって、そわそわしちゃう。でも、なんとなく髪を切る気にはなれなくて、ずっと長いままだった。


 なんとなくだけど、この髪を切ったら、本当に全てが終わってしまう気がしてる。


 ……って、ダメダメ! それより、今は朝支度を終わらせなきゃ。どうしても私は、何かを思うだけでその考えの中に入っていっちゃって、その考えに没入しちゃう。我に返るのに時間がすごくかかって、何をすればいいのかわからなくなる時も多かった。だからよくぼーっとしてるって言われるみたい。私の頭の中はものすごく忙しいのに、何も考えていない風に思われるのって、とっても不思議。私はそんな思いで洗顔料を洗い落とす。


 実は以前、大半の人が実家に帰るお正月ごろに騒動があった。人が少なくなると寮全体が寒くて、凍えそうだった一月中旬ごろの話だ。もう卒業しちゃった美葉みよ先輩が、盛大に歯磨き粉で顔を洗った事件があった。みんなで大笑いして、美葉先輩に怒られたのはいい思い出だ。私は先輩の目が心配で、笑うどころじゃなかったけど。


 顔をハンドタオルでしっかり拭いたら、個室に戻ってスキンケアとヘアケアだ。やっぱり髪が長いと乾かすのは面倒だけど、寝癖がつきにくいのはいいところだ。ちょっとブローして髪を梳かして、軽く毛先にワックスをつければもう終わり!

 私はブラウスとスカート姿で廊下を掃いて、先日まとめていたゴミを出す。そのままカーディガンを羽織って、施錠して食堂へ向かう。


       *


 食堂の人はまだ少なかった。この食堂は寮ごとになっている。寮生は毒焔どくえん縺蜜れんみつの子が多い。人に影響を与えやすかったり、過敏だったりすると、ちょっとした移動にも気を遣ってしまう。だからこそ、こういう寮はすごくありがたい。

 食堂フロアは二つあって、私はあえて遠い方を選んだ。人が少ないことを見越してだ。今日は何にしよう。


「あら、風華ふうかちゃんおはよう。今日は早いわね」

「おはようございます。今日はAコースでお願いします」

「分かったわ」


 食堂の調理員の山川やまかわさんが笑顔で出迎えてくれた。今日も私は玄米粥コースで、だし巻き卵と豆腐と三つ葉のすまし汁がセットになっている。朝はあんまり食べられないので、こういう消化のいいものを食べることが多い。今日はいつも以上にぼんやりする。やっぱり早く目が覚めても、朝は苦手みたい。


「はい、お待たせ」

「ありがとうございます」


 私は長いテーブルのところに着席して頂きますと手を合わせて、静かに食べ始めた。

 すまし汁の鰹節の匂いが鼻腔をくすぐって、胸のつかえが取れた気がする。どうしてこの匂いって落ち着くんだろう。飲むだけで、体が徐々に起きてくる気がする。


 豆腐もいい感じだ。小さめに切られた豆腐は箸で掴むのにちょうどいい大きさで、食べやすい。次にだし巻き卵だ。私はあんまり甘い卵焼きは好きじゃなくて、出汁の効いているものの方が好きなんだよね。優しく寄り添ってくれる味が、静けさを感じさせる。


 お粥をれんげでゆっくり食べる。塩味えんみが体が目覚めてくるにつれて、少しずつ濃くなっていく気がした。まぶたもやっと開いてきた気がして、目の前が鮮やかになってくる。


 お粥を食べ終わってトレイを返却すると、山川さんが新しくティーポットとティーカップを乗せたトレイを出してくれた。


「風華ちゃん、大丈夫?」

「え?」

「ぼんやりしてるみたいね、ほら、これでも飲みなさい」

「あ、ありがとうございます」


 差し出されたのは、縺蜜れんみつ体質の子向けの特製ブレンドのハーブティーだ。これは……玻璃の安息はりのあんそくってやつだっけ? カモミールがメインの。こんなふうにいつも縺蜜体質の子には、少しでも過敏な体質を和らげる工夫が施されている。こんなふうに、いつもご飯の後にはハーブティーがつくのだ。


 私はトレイを受け取ると先ほどの席に向かって、ホッと一息つく。カモミールの穏やかな香りが、口の中から鼻に抜けてじんわりと胸が温まる。


 うん、今日も優しい味がする。縺糸も周囲が静かなせいか、とても穏やかだ。山川さんの思いやりが詰まっているハーブティーは、安らぎの味といってもいい。このまま眠っちゃいそう。


「ごちそうさまでした」

「今日も無理しちゃダメよ」


 私は飲み終わったティーカップを片付けて、その場で一礼して寮の部屋に帰っていった。

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