第二話 静寂の裂け目 02
何故か――胸騒ぎがする。だから登校前くらい、一人になりたかった。だからこそ早めに身支度を整える。耳にはイヤーカフ、胸元には
少しだけ横になったら、今日は誰にも声をかけずに出発だ。みんな過敏体質な子ばかりだから、こういう時に無理して声をかけてくる人はいない。誰にだってそういうことがあるのが当然だから、いい感じに放っておいてくれる。この優しさが身に染みるほどありがたい。
中学校の時に暮らしていた児童養護施設は、そんなわけにはいかなかった。
小学生時代は六人部屋だったから人の影響を受けてしまって、気持ちがよくわからないことがあった。人の気持ちが
具体的に言うと、肌から何かが入ってきて、その感覚が皮膚の中で蠢いている感覚がする。まるで蛇みたいに私の中に入って暴れそうになる。それは本当に気持ちが悪い。
私にとっては感情を爆発させることなんて滅多にないことだから、喜怒哀楽どれをとっても激しすぎる感情を見ると、私の心身が侵食される気がしてしまう。私の思いがそれに塗りつぶされて、元々の色すら判別できないみたいに。
みんな体の変化が起こる時期に差し掛かる時だったから、体の影響に引っ張られて余計に不安定になりやすかった。
それは誰のせいでもない仕方のないことだったけど、私は辛くて仕方がなかった。理解されないことも結構あったしね。その度に変なことを言うなとか、仮病とかって言われてきつかった。もちろんそんな子ばかりじゃないけど。
それに献立に沿ってご飯を食べないといけないし、人の声が常に聞こえる環境が結構ストレスだった。また自分の気持ちが分からなくなるんじゃって思っていたし、今はもう気持ちが乗っ取られることはないけれど、それでも自分の気持ちが分かるようにはならなかった。きっと完全に――私の気持ちは塗り潰されたんだと思う。他の絵の具にね。
だけどやっぱりまだ四月。下ろしたての制服姿の初々しい姿の子達がいて、まさに新学期って感じがする。
だけどなんとなく、私とは別の生き物のように感じてしまう。気分が悪い時はいつもそうだ。同じ制服を着ているからこそ、違いが明白になる。全く違う人間だというのに、制服で統一されることに凄く違和感を覚えて、胸の辺りがざらりとする。……別に制服自体は嫌じゃないし、むしろ服装を考えなくていいのは凄くありがたいんだけどね。
私はかぶりを振って、静かに埋没するようにその集団の中に混じっていく。そんな時だ、後ろから声をかけられたのは。
「
「おはようございます。
声をかけてきたのは、天文学部の部長の
首元に少しかかるくらいの髪は、
それだけでも凄いのに先輩は身長は百八十メートルもある。体格もものすごく筋肉質って感じじゃないけど、しっかりしている雰囲気があって、緊張感を覚える。そんな感じだから、先輩が歩くだけで、周囲がどこかざわめく。
先輩は別に家族に海外の人がいるってわけじゃないらしいんだけど、凄く日本人離れした容姿をしてるんだよね。だから結構女子にモテるんだけど、先輩の一番の特徴はそこじゃない。
私は内心声をかけてくれたのが、白岐先輩でよかったと胸を撫で下ろす。先輩は良くも悪くも、色々と気にしない人だから。
「顔色が悪いね」
「そうです、か?」
「君はうちのイシスだ。君は他者の痛みは知っていても、自身の痛みは知らないから、とても危ない」
「え、えっと? よく意味が」
白岐先輩は私に目を留めていった。先輩は神話学のオタクだ。天文学部に入ったのはギリシャ神話と親和性があるかららしい。だから人を、神話の登場人物で例えるところがある。イシスはエジプト神話の女神様で、豊穣や魔術、玉座を司るらしい。先輩曰く、私はそういったイメージのようだった。
「君の鈍さは、時に他者を傷つける。君の過敏さは自身にも使われるべきだ。……今日は校内の空気も良くない。部活は中止だ。休むように」
「……分かりました」
先輩は何事もなかったように、鞄を肩に背負いながら去っていった。うん、言いたいことだけ言って去っていくのは、我ら天文学部の特徴だ。
だけど、それでも先輩があそこまで意味深なことを言ったのは初めてで……先輩には何が見えてるんだろう? 先輩の意図が分からなくて、なんとなく、心臓のあたりに手が触れる。胸のざわめきがそこにはあって、やっと……違和感に気づく。この感覚――朝から感じてた気がする。でも、行かなきゃ。私もこのまま本校舎棟へ向かうことにした。
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