第一話 ガラスの息をしている 02
イヤーカフの調整が終わって、今は帰り道だ。調整後の今は、前よりもしっかりと守ってくれるのが、肌に伝わる静けさで分かった。息を吐くと、心臓の違和感もすーっとすぐさまひいていく。
――本当にここが私の生まれた街なんだ。実の両親のことは、どれだけ懐かしがりたくても、全く思い出せない。そこだけすっぽり抜けたかのように。元々私の実の両親なんてどこにもいなかったのかな? って思ってしまうくらい、記憶がないのだ。
もちろん小さい時のことだから、覚えてないのは当然のことかもしれない。だけれど幼稚園に通っていた時の記憶はあるのに、そこだけ思い出せないのも変な話だと思わない?
……やっぱり、どうしても落ち着かないな。どうしても病院帰りは気持ちがざわめいちゃう。今までの私自身のことが沸々と掻き回されて、心が勝手に奥に入っていってしまう。トンネルに吸い込まれて出て来れなくなるんじゃって思うほど、気持ちがストンと落ちちゃって、誰とも話せる気分じゃないから。
そんな気持ちを落ち着かせるために、適当にぶらぶらしてから帰るのが、私のルーティンだった。こんな気持ちのまま寮に帰っても上手く対応出来ないし、この気持ちを無理やり立ち直らせるのも、変な感じがするから。
少しでも気持ちを落ち着かせたい。ちょっとおとぎ話に浸ろうかな……好きな人がすぐそばにいてくれる。そんな生活ってどんな感じなんだろう? 全然想像つかないや。みんなの家族の話や彼氏の話を聞いても、夢物語でしかないから。
もし、私を選んでくれる人が現れたら? その時初めて――疫病神を卒業できるかもしれない。けどそんな淡い願望に、待ったがかかった。
私の心の奥底の声に、
本当にそうかな? 本当に……現れるのかな? 現れても――また疫病神になっちゃったら? ふと足が止まる。まるでそれを肯定するみたいに。あーあ、素敵な妄想をしようとすると、いっつもここで止まっちゃう。
私だって、素敵な王子様が現れることを夢見ても問題ないはずだ。だって本当に現れるなんて思ってない。現れてもその人のことを、傷つけるに違いない。だから妄想で終わらせる。また大切な人が死んじゃったら――もう耐えられない。万が一そんなことが起こったら、絶対に私が死んだ方がいい。今度こそ大切な人を守りたい。例えその人に――私が憎まれていたとしても。
私は気分を切り替えようと、あたりの景色を見渡す。病院の通りには街路樹が植えられていて、人々の気持ちを健やかにしてくれる。病院内の花壇にもチューリップとクロッカスが咲いていた。今は四月。季節はいつも巡って人々を楽しませるけど、私は思考のループを繰り返してるだけ。
……こんなこと考えても仕方ない。それよりもちゃんと単位を履修するために、学校のPCから単位履修の登録とか、後輩の面倒を見るとか、色々やらなきゃいけないのに。きっとその方がみんな喜んでくれるよね? 私は真っ青な空にそう問いかける。何も返ってこないのは百も承知だけど、そうでもしないとやってられない。
よし……決めた。今日は
え、なに……これ……。体が動かない。
びりびりなんて可愛いものじゃない。
まるで電撃が私の体を貫いたような感覚が襲う。
それだけじゃない。
そこから恐ろしい何かが迫り来るような――息が詰まる感覚が、ふっと覆い被さってきた。
何も考えられない。
ただただ息が詰まって、苦しくて、でも――待ち侘びた何かが現れたような――そんな予感もあって。
その時、私の体が傾いた。
えっ……? なんで?
ふと視線に止まったのは、コンクリートが剥がれた跡だった。
あれに躓いたんだ。
妙に冷静な頭の片隅からそんな声がした。
けれど体勢を立て直すことなんて出来るわけもなくて。
覚悟を決めた。
跡が残らないといいけど……。
目をぎゅっと瞑って衝撃に備えたその時――ふと、肘に柔らかい温もりが落ちた。
「おい、危ないぞ」
私はその声と同時に後ろから引っ張られ、何かにぶつかった。
でも、痛くない。
振り向こうとしたけど何故かできなくて体を捻っていると、あ、済まないという声と共に、温もりが腕から離れた。
「えっと……」
「ふらついたみたいだが、大丈夫か?」
「あ、はい。すみません」
「ここは危ないから、気をつけたほうがいい」
「あ、ありがとうございました」
私は頭を下げたけど、まるで足が棒になったかのようだった。私より背が高くて、歳も上だろう男の人。シンプルなジャケット姿を見ていると、なんとなく懐かしい雰囲気が、胸の中に染み込んでいく気がした。
だけどそれよりも、印象的なものがあった。あの人の灰銀の目――冷たくも感じるのに、やけに温かさも感じる――がやけに胸に焼きついた。
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