【現代異能恋愛】焔の契(ほむらのちかい)〜硝子細工の乙女と不器用な黒焔使い〜【あらすじに用語掲載】

水銀あんじゅ

第一幕 縺糸に触れる

第一章 ガラスの心に息をして

第一話 ガラスの息をしている 01

榊風華さかきふうかさーん、五番の部屋に入ってください」


 心療内科の診察室前のソファに座っていた私は、静かに席を立つ。廊下のソファには、患者さんが所狭しと座っている。その人たちが視界に入った瞬間――ピリッと肌が鳴いた。痺れは私の全身を駆け巡り、体を疼かせる。


 これは縺糸れんしから不安が入ってきた感覚だ。心臓をさすって、ふうと息を吐き出す。一抜けすみませんと頭を下げ扉をノックし、銀色のドアハンドルを引いた。


「お久しぶりです、先生」

「そこに座って、バッグはそこのカゴに入れて」


 私は丸いキャスター付きの椅子に座った。前に来たのは一ヶ月前で、ここの患者になってもう結構経つ。ここは全く変わってない。先生の白衣はもちろん、備え付けのデスクも、そこにあるPCも、奥に揺れる白いカーテンも。カーテン越しにチラチラ見える流し台も。看護師さんが少し早足で歩く音も。

 緊張はするけれども馴染みがある場所に、私は久々に自然な笑みを浮かべた。主治医の溝口みぞぐち先生は温かな笑顔で出迎えてくれる。


「さっき……あっちの科からの検査結果が、こっちに来たよ」


先生が言葉を切って、探るように問いかけてくる。


「……縺糸れんしがいつもよりも反応しやすいみたいだけれど、何かあった?」


 先生の視線がカルテに落ちて、それに釣られる。縺糸の部分に赤い線が引かれていたのが分かった。


 ……この反応って、新年度のストレスってこと? 内心で首を傾げた。


「えっと、今年からその……履修する教科を、選ばなきゃいけないんです」


 心当たりらしき出来事を言ってみる。言わなきゃここでは何も始まらないからね。


「そっか……そういえば、風華さんの学校は彩翼さいよくだっけ?」

「はい。それでちょっと……どうしようかなって」


 私は高校二年生になった。全然実感ないけど。二年生はあっという間に過ぎていくって紫乃しの先輩も言っていたし、早めに進路のことも考えたほうがいいんだろうな。


「四月だもんね、部活に後輩は入ってきた?」

「はい。それで新人の子達が緊張してるので、私も緊張しちゃって」

「その時縺糸れんしは反応した?」

「……はい。意識しないようにって、言い聞かせてたんですけど、うまくいかなくて……」


 思わず頭を下げると、先生が笑みを浮かべる。ふっとこちらの肩の重みも和らいだ。


「仕方ないよ、こればっかりはね」

「だと、いいんですけど」

「榊さんのことだから、フォローはしてあげたんでしょ?」

「見学をしにきた子には、声をかけました。楽しんでねって」


 新入生だった時はすごく緊張した。制服の着慣れなさ。校舎と寮、クラスメイト。天文学部や糸環会しかんかいの先輩たちや、久々の――結庭ゆいにわ県の空気にも。だからこそ怖がらせないように、慎重に声をかけたつもりだった。


「そっか……きっと安心したと思うよ」

「そう、ですかね?」


 先生の傾聴で胸のつかえが取れた時、先生が「あっ」と何かを思い出したかのように言った。……なんだろう? 変なことしちゃったかな。


「そういえば、焔身具えんしんぐはどう? 調整は前はいつだったっけ」

「半年くらい前だった気が……」

「じゃあ折角だから、今調整できるか聞いておこうか。澤野さわのさーん、修理屋さん帰ってないか確認おねがーい。ちょっと診察室の前で待っててね。そんなに人がいないなら三十分くらいで終わるはずだから」

「分かりました」


 私は頭を下げて、診療室を後にする。待合室の人は少し顔ぶれが変わっていた。いつもより回転率がいいみたいだ。心療内科の常連の私は、こんなことばかり得意になっていく。人との関わり方を身につけた方がいいのに。


 私は左耳のイヤーカフを触りながら、腰まである黒髪で顔の半分を隠す。長い黒髪がカーテンになって、騒音から守ってくれることを祈った。

 先生の呼び出しを今か今かと待つ。この調子で焔身具外しても大丈夫かな? ちょっと心配だけど、寮で調整が狂って縺糸れんしの感覚過敏で倒れるくらいなら、ここで倒れた方がいいはず。


 このイヤーカフは焔身具えんしんぐで、余計な感覚をカットしてくれる優れものだ。これがなかったら、私は外出できないくらいの必需品――いわば命綱だ。だから壊れたら困るのは私。絶対ここで我慢しても、直してもらったほうがいい。


「榊さん」

「あ、澤野さん」


 思わず立ち上がると、澤野さんは目線で座るように促してきた。それに倣って静かに腰を下ろす。


「ごめんね、待たせて」

「いえ、大丈夫です」


 看護師の澤野さんが見つめてくる。眉根を下げて、瞳も揺らして。そんなに具合が悪そうに見えるのかな?


「顔色悪いね、修理屋さんは大丈夫みたいだけど、今日はやめておこうか?」

「平気です」


 何も考える間もなく、そんな言葉が口をついて出る。


「修理代は分かってるし、今のうちに会計済ませちゃおうか。処方箋はいつも通りで大丈夫? 足りないものはない?」

「問題ないです」


 私が命綱イヤーカフを渡すと、澤野さんはカルテを持って会計へと向かっていった。本当なら自分で持っていかなきゃいけないのに……気を遣わせちゃったな。私は不甲斐なさを感じながら、ため息をつい

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