第19話 小悪魔のご褒美

「ご褒美って、一体何だよ……?」


 俺がそう問いかけた瞬間、葵はいつものように猫のようなニンマリとした笑顔を浮かべた。


「そうですね……」


 葵は人差し指を唇に当てて、わざとらしく考え込むような仕草を見せる。


「お風呂上がりなので、日課にしているストレッチを手伝ってもらいましょうかね」


「ストレッチって……」


 なんだそれ。思ったより普通じゃないか――

 そう思って葵の方を見ると、その表情には明らかに『何か企んでます』と書いてあった。


「それじゃあ、中に入りましょう」

 

「な、中!? そんなことしたらバレちま――」

 

「大丈夫です。他の皆さんは1階で……恋バナに夢中ですから」


 そう言って葵はくるりと振り返ると、テラスの窓に向かって歩き始めた。モコモコのショートパンツに包まれたお尻が、歩くたびに小さく揺れる。


 本当に猫みたいだなぁ、と思わず見とれていると——


「あの、佐山くん? 早く来てください」


「あ、ああ!」


 慌てて葵の後を追った。

 

 

     * * *



 コテージの2階は薄暗く、月明かりが窓から差し込んでいる。葵の言う通り、他の女子たちはみんな1階にいるようで、階下からは時折笑い声が聞こえてくる。


 この場には俺と葵、2人だけ――そう実感した瞬間、なんだか妙にドキドキしてきた。


「ここでやりましょうか」


 葵はいくつかあるベッドのうちの1つを指差した。俺たちのコテージはシングルベッドだったけど、このコテージはダブルベッドのようで、それなりの広さがあった。


「お、おい……ベッドはさすがに―—」


「これは一応、私のベッドということになっているので大丈夫ですよ。それに、下が柔らかい方がやりやすいんです」


 葵はそう言いながら、ベッドへ登っていきペタンと座り込んだため、俺も続いて隣へと腰掛ける。

 なんだか普段とは違った一面を見ているような気がして、少し新鮮だった。


「それじゃあ、まずは軽いストレッチから。背中を押してもらえますか?」


「せ、背中!?」


「私が前屈しますので、背中を押してください」


 葵はそう言うと、足を前に伸ばして座り、ゆっくりと上体を前に倒し始めた。

 

 俺は恐る恐る葵の背中に手を置いた。

 モコモコのパジャマ越しに伝わってくるたしかな体温と、思っていたよりもずっと柔らかい感触。

 

(い、いいのか……これ?)


 思った以上に深く前屈していく葵。普通の人なら途中で止まりそうなものだが、葵は軽々と頭が足首あたりまで届いている。


「す、すげぇ……」


「もう少し強く押してください」


「え? でも……」


「大丈夫です。遠慮しないで」


 言われた通りに、少し体重を乗せて強く押していく。

 手がパジャマの生地越しに、よりしっかりと葵と触れ合っていく。


「んっ……っ」


 葵の口から小さな吐息が漏れた。


「だ、大丈夫か?」


「はい……んっ……そのくらいで、丁度いいです。ふっ……さすが男の子、力が強いですね」


 葵は顔を上げずに答えた。髪が顔にかかって表情は見えないが、なにやら含みのある雰囲気を感じる。


(……くそっ――これはただのストレッチ、ストレッチなんだ……)


 葵が何事もないように振る舞っているので、俺もそう思い続け、無心で手を動かした。

 

 

     * * *



「次は、開脚しながら、向かい合って手を繋いでください」


「か、開脚? 手を繋ぐ? どうやって……?」


「――こうです」


 葵は俺の向かいに開脚をしながら座ると、両手を差し出してきた。小さくて白い手だ。


 俺が恐る恐る手を伸ばすと、葵の手が俺の手を包み込んだ。昼間にも感じたことだけど、柔らかくて、少し冷たい。


「それじゃあ、佐山くんが引っ張ってください」


「あ、ああ」


 葵は俺の手を握ったまま、背中をゆっくり倒していく。

 するとそのぶんだけ、葵の体が前に傾いてくる。腕を伝って、彼女の体温がじんわりと移ってくるような感覚。

 

 近づく顔。

 ふわりと揺れる髪。

 ほんのりと香るシャンプーのにおい。


 ――息をのむような距離で、俺は思わずまばたきを忘れた。


「もっと引っ張って大丈夫ですよ」


「ま、マジで?」


「はい」


 俺は少し力を込めて葵の手を引いた。すると葵の体がさらに俺の胸元に近づいてくる。

 すると、羽織っているパーカーの胸元から首筋や鎖骨、さらにはその奥にある桃源郷がちらっと覗く。


「っ――!」


 ヤバいと思い無理やり視線を横に逸らすと、そこには真っ直ぐに伸ばされた彼女の足が目に入る。

 180度近く開かれたその足は、どこもかしこも柔らかそうで――


「佐山くん、どこ見てるんですか?」


「な、何でもねぇよ!」


 慌てて目を逸らしたが、葵は楽しそうに笑っていた。


「……にしてもお前、体柔らかいんだな」


「そうだと思います。昔、新体操とかやってましたから、そのおかげかもしれないです」

 

 そうだったのか。

 葵の思いがけない一面の発見に、どこかくすぐったいような気持ちになった。

 

「じゃあ、あれか? Y字バランスとかできんの?」


「できると思いますよ」


 葵はそう言うと、立ち上がってベッドの中央に移動した。


 そして——


「どうですか?」


 片足を真上に向けて上げ、完璧なY字バランスを決めてみせた。


「うぉぉ……」


 自分から話を振っておいてあれだけど、これは目にくる。

 ショートパンツから伸びる太ももが、完全に露出している。白くて細くて、それでいて適度に肉付きがあって——


 目が離せない。完全に目が離せない状況だ。


「ふふっ、佐山くん? 大丈夫ですか? 顔、真っ赤ですよ?」


「だ、大丈夫だ! 全然大丈夫!」


 俺は必死に視線を逸らそうとしたが、どうしても葵の方に目が向いてしまう。


「ふふ、まさかこんなのが。男の子ってよくわからないですね」


 葵は足をゆっくりと下ろすと、再びベッドに座った。


「も、もういいか?」


 俺はもう限界だった。これ以上続けたら、本当にどうにかなってしまいそうだ。

 

 しかし、葵は少し考え込むような表情を浮かべる。その瞳からは、まだ逃さないぞと言う意思が垣間見えたような気がした。そして――


「せっかくなので、佐山くんもやりましょうよ」


「……え? 俺が?」


「はい、今度は私がお手伝いする側です」


 今度は俺がストレッチされる側に?


「体、硬そうですもんね」


 葵はそう言いながら立ち上がると、俺の方に近づいてきた。


「いや、それは……」


「さぁ、遠慮しないでください。せっかくですから――」


 そして――葵の手が、俺の肩にそっと置かれたのだった。

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