第18話 小悪魔との再会
テラスから浴室棟の屋根まで、距離にして約1メートル。
昼間見た時よりも、実際はちょっと遠く感じる。でも、跳べない距離じゃない。
「よし……」
俺は慎重に距離を測った。助走をつけすぎると音が出るし、かといって中途半端だと届かない。
天窓からは相変わらず明かりが漏れていて、湯煙に塗れながらも中の様子が微かに見える。
間違いない——小鳥遊真夏が、あの中にいる。
修学旅行が決まってからずっと夢見てきた瞬間が、もう目の前だ。
「いくぞ……」
俺はテラスの柵を乗り越えるように片足を乗せて、飛び移る準備を整えた。なるべく音を立てないよう、でも確実に着地できるよう——
柵に乗せた足を踏切足にするために力を込めた、その時だった。
「あら、佐山くん。こんなところで何してるんですか?」
「うおぁぁぁぁ!?」
背後からかけられた声に驚きを隠せず、思わず声を上げる――だけではすまず、変に片足に体重がかかっていたことでバランスを崩し、テラスに大の字に倒れこんでしまう。
仰向けの状態で目に飛び込んできたのは――やはりと言うべきか、またしてもと言うべきか――鷹宮葵だった。
「……マジ、かよ」
彼女がこちらに歩いてきたことで、全貌が目に入る。白く、すべすべとしていそうなふくらはぎが、膝のあたりでふんわりとした影を落とす。モコモコした素材のショートパンツが、彼女の脚の柔らかなラインを際立たせていた。
腰のあたりから上に目を移すと、同じくモコモコ素材のジップパーカー。ジッパーは胸元まできっちり閉められていて、そのせいか逆に彼女の体躯に不釣り合いな双丘が際立っていた。布地のふくらみの中にある身体の線を、想像でなぞってしまいそうになる。
そして──視線の先には、あの見慣れた黒髪のボブヘア。モコっとしたフードの隙間からのぞく、猫が獲物を見つけた時のようなニンマリとした彼女の顔。
「あの――そんなにじろじろと、どこを見てるんですか?」
どこを見てるかなんてお見通しと言わんばかりの、揶揄いを込めたような声に、俺は慌てて上体を起こす。
「ど、どうしてここに……」
「そうですね……お風呂上がりに涼みに来たっていうのはどうですか?」
……絶対に嘘だ。もう目が嘘だって言ってる。いや、パジャマだし、風呂上がりなのはホントかもしれないけど。
「まぁ、嘘なんですけど」
「ほら見ろ!! やっぱり嘘じゃねぇか!」
「ここにいたのは……佐山くんがこの時間、ここに来るって予想してたからですよ。本当にまんまと来たので、逆に罠かもって疑っちゃったくらいです」
なんだそれ。失礼な。
そんな俺の困惑をよそに、葵は――
「せっかくなので、答え合わせをさせてください」
――と続けた。
「答え合わせって――」
「まずですけど……佐山くんの覗きのターゲットは、小鳥遊さんであっていますよね?」
「――っ!?」
葵の発言に思わず息を呑む。
やっぱり、彼女は見抜いていたのだ。
「……どうしてわかった?」
「これは正直、簡単に予想できました。昨日、佐山くんがあの時間に覗きを企てたという時点で」
葵は人差し指をピンっと立てながら説明を続ける。
その妙に得意げな表情が、かわいいため余計に腹が立ってきてしまう。
「昨日って……」
「あの時間に大浴場に入っていたのは私と、それから小鳥遊さん、そして小鳥遊さんの取り巻きの方々だけなんです」
なっ!? そうだったのか。
換気口からは一部しか見えなかったため、てっきりもっと何人もいるのかと思っていた
「昨日の反応からして、最初にターゲットから除外できるのは私です。これはもはや明白、ですよね」
葵はそう言って、三本立てていた指の一本を折りたたむ。
「そうなると小鳥遊さんか、取り巻きの方々の誰かか――という選択肢になりますが……佐山くんのことです、きっと取り巻きの方々の名前すら覚えていないはずです」
「し、失礼な!」
「では、誰か1人でも名前を知っているんですか?」
「…………」
俺は沈黙で返すしかできなかった。だって、知らないんだから……葵に指摘されたのが無性に悔しくて、反論はしてみたけどさ。
「ですよね。まぁ、安心してください――私も知りませんし」
「いや、お前は知ってろよ。同性なんだから」
「それはさておき――」
さておかれてしまった。
「――つまり、消去法で小鳥遊さんしか残らないというわけです。彼女なら、たしかに覗きたくなるのもわかりますし」
こんなに簡単に看破されていたなんて……正直想定外だった。
「ということで、ターゲットさえわかってしまえば、後は小鳥遊さんと同じコテージになるよう、色々と調整して、佐山くんに情報を流す――それだけでした」
「ま、待ってくれよ! そこまではわかった。でも、俺がこの時間にこのルートで来ることはどうやって予想したんだよ!? 他にも色々――」
俺の疑問に葵は、『そう言うと思っていましたよ』と言わんばかりの表情を浮かべて、口を開く。
「まず、時間帯に関しては私が情報を伝えたので、その時間の少し後には来ると踏んでいました。あまり遅いと、小鳥遊さんが風呂から出てしまう可能性もありますからね」
「……お前の情報を信じずに、もっと早い時間に来る可能性もあっただろ」
「いえいえ、佐山さんの陣営にはどうやら女子側の内通者がいるみたいなので、ね」
「っ――!」
全部バレてる。完全に、全部バレてる。
「ここまでわかってしまえばあとは、どこで覗こうとするかを考えるだけになります」
「ぐっ……」
「昨日の覗き方から、退路のある場所を覗きポイントとしてくると予測しました。おそらく佐山くんというよりは……この作戦を立てた参謀の方の考え方だとは思いますけど」
おい、翔吾――お前の作戦バレてんぞ。
「ということで、直接浴室棟へ侵入するというルートは除外。そうすると覗き口は窓――浴室棟は防犯上の観点から天窓しか付いていません」
「…………」
「浴室棟は外側から上に登れるような造りになっていないので、上に辿り着くには必ずこの2階テラスを経由する必要があります」
「マジで……?」
完璧だった。完璧すぎて、ぐうの音も出ない。
俺たちの計画は最初から最後まで、全て葵に読まれていたということか。
「というわけで、ここにいればあとは勝手に佐山くんが来てくれると考えたわけです」
葵は『いかがですか?』というような表情を浮かべながら上目遣いでこちらを覗き込んでくる。
「参った……完全に参ったよ」
俺は項垂れるようにして頭を抱えた。何もかも、葵の方が一枚上手だった。
「それで――」
葵は両手を後ろでに組み、ピョンっと距離を詰めてくると俺を見上げるように覗き込む。
「――今回の勝負の結果ですが」
「……俺の、負けか」
「はい、佐山くんの2連敗ですね」
京都に続いて、また負けた。しかも今回は、もっと完璧に負けた。
「あ、あのぉ……今回も……見逃してもらいたいなぁ……なんて」
俺は伏せていた目をおそるおそるあげながら、低姿低頭に聞いた。
「もちろん、まだ勝負はあと2日続きますので、見逃してあげますよ」
「ほっ……」
よかった。いや、よかったのか?
よくわからなくなってきた。
「ただし」
え?
「今回、私が勝利した
「ご褒美って……」
激しく嫌な予感がする。昨日も散々翻弄されたのに、今度は何を——
「一体何だよ……?」
俺がそう問いかけた瞬間、葵はいつものように猫のようなニンマリとした笑顔を浮かべたのだった。
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