第17話 9番コテージへの潜入

 時計の針が22時35分を指した。


 ――ついに、その時が来た。


「太一、準備はいい?」


 翔吾が小声で確認してくる。


「ああ、バッチリだ」


 俺はリュックに入れた懐中電灯と軍手を改めて確認した。心臓がドキドキと高鳴っている。


「ルートは覚えてる?」


「森を迂回して9番コテージ、雨どいを登って2階テラス、そこから浴室の屋根だろ」


「そう。無理はしないで、危険だと思ったら戻ってきて」


 翔吾が心配そうに言った。


「大丈夫だって」


 俺は深呼吸して心を落ち着けた。


「それじゃあ、行ってくる」


「気をつけて」


 俺はそっとドアを開けて、コテージの外に出た。


 ルームメイトたちはみんな2階の寝室でUNOやらトランプやらに興じており、俺たちが抜け出したことに気づいていない。

 これ幸いと、ドアの開閉音も最小限に抑えて、静かに外に滑り出た。

 


     * * *



 夜の若草山麓は、昼間とは全く違う表情を見せていた。


 月明かりが美しく地面を照らして、満天の星空が広がっている。でも同時に、静寂と暗闇に包まれた森は少し不気味でもあった。


「よし――行くか」


 俺は森側に向かって小走りで進み始めた。


「やっぱり月明かりだけじゃ心許ないな……昼間見た時より、ずっと大変そうだ……」


 でも、今更引き返すわけにはいかない。


 リュックから取り出した懐中電灯のスイッチを入れて、足下を照らしながら森の中に足を踏み入れた。


 足音を立てないよう、道を踏み外さないよう、慎重に一歩一歩進んでいく。


 予想以上に地形が複雑で、根っこや石に足を取られそうになる。


「うお、危ねぇ」


 太い木の根に躓きそうになったが、サッカーで培ったバランス感覚でなんとか回避した。


 こんなところにサッカー部での鍛錬が役に立ってるというのも、何とも皮肉な話だよな。


 森の中は本当に静かで、自分の呼吸音と心臓の鼓動だけが聞こえる。時々、小動物の気配を感じて身を縮めたりもしたが、大きなトラブルはなく進むことができた。


「よし、順調だ」


 途中で立ち止まって方向を確認しながら、慎重に前進を続けた。


 森の向こうに、女子コテージ群の明かりが見えてきた。


「もうすぐだ」


 期待感が高まる。いよいよだ――待ち望んだ光景まで、あと少しだ。


 予想よりも時間はかかったが、なんとか大きなトラブルもなく森を抜けることができた。


「よっしゃ、第一関門突破だ」



     * * *


  

 女子コテージエリアに入ると、俺は慎重に9番コテージを探した。


「7番、8番……あった、9番だ」


 事前にコテージの全体マップで確認した通りの場所に、確かに9番コテージがあった。


 建物の外観は、俺たちのコテージと全く同じ構造だ。これなら、事前にチェックした通りに行けるはず。


「雨どいは……あった」


 建物の側面に、太いパイプの雨どいが地面から2階まで伸びているのを確認した。


 太さも十分で、体重を支えられそうだ。


「よし、問題なさそうだな」


 周囲に人がいないことを確認してから、軍手をしっかりと装着した。


 雨どいに手をかけてみる。俺たちのコテージよりもしっかりしてるか?

 想定以上にしっかりしていて、安心した。


「……いけるぞ」


 俺は雨どいを握り、足場を確保しながら上昇を開始した。


 最初の数メートルは順調だった。手応えもあるし、雨どいもしっかりしている。


「意外といけるもんだな」


 少し余裕が出てきた。


 高度が上がるにつれて、周りの景色も変わってくる。高所恐怖症というわけではないのだが、高いところは人並みに怖さを感じる。あまり下を見ないよう集中して、一歩一歩――いや、一手一手確実に登っていく。


 そのとき、ふと横を見ると——


「おっ!」


 浴室棟の天窓から、明かりが漏れているのが見えた。


 誰かが入浴中だ!


 心臓が激しく打ち始める。事前の情報通りなら、あそこに小鳥遊が——


(よし――いける、いけるぞ!)


 期待感がアドレナリンとなって体中を駆け巡る。疲労なんて忘れて、より素早く登り始めた。


 でも、慎重さは忘れない。音を立てたら台無しだ。


「もうちょっと、もうちょっとだ」


 2階のテラスの手すりが見えてきた。


 あと少しで到達する。


「よし!」


 ついに手がテラスの床に触れた。


 静かに、慎重に、テラスの上に体を引き上げる。


 足をテラスの床に下ろした瞬間、達成感が込み上げてきた。


「よし……これで第二関門もクリアだ」


 俺は2階のテラスに立ち、浴室棟の天窓を見つめた。


 たしかに大きくはないが、中を覗き見るには十分なサイズだ。それに中から時々、水音も聞こえる。


 間違いない、誰かが入浴中だ。


 そして、葵の情報が正しければ、それは——


「小鳥遊……」


 俺の心臓が激しく鼓動した。


 いよいよだ。この修学旅行の話が決まってからずっと夢見てきた瞬間が、もうすぐやってくる。


 浴室棟の屋根まで、あと1メートル。


 ここからが最終関門だ——

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