第6話 作戦開始
21:10。
設定していたアラームが鳴ると同時に、俺は懐中電灯とタオルを手に、立ち上がる。
「それじゃあ太一、グッドラック――幸運を祈るよ」
「おう!」
翔吾のエールを胸に部屋から一歩を踏み出した。
これでもう後戻りはできない。
まぁ、元よりそんな気は毛頭ないけど。
* * *
廊下には人影がなかった。みんなもうお風呂に入っているか、部屋でくつろいでいる時間帯だ。
俺は足音を殺しながら、中庭への出入り口に向かった。
扉を開ける時の軋み音が、異常に大きく聞こえる。心臓がバクバクと鳴って、手が震えそうになった。
でも、もう進むしかない。
中庭に出た瞬間、秋夜の冷たい空気が俺の頬を撫でた。
月明かりが石畳を照らし、庭園全体が幻想的な雰囲気に包まれている。池の水面には月が映っていて、時々錦鯉が作る波紋が光を揺らしている。
美しい光景だったが、俺にはそれを楽しむ余裕はなかった。
懐中電灯を最小限の明るさにして、石灯籠の影を利用しながら慎重に進んだ。足音を殺すために、石畳の継ぎ目を避けて歩く。
池の錦鯉がパシャッと音を立てるたびに、俺の心臓が跳ねた。
「落ち着け、落ち着け……」
心の中で自分に言い聞かせながら、俺はボイラー室に向かった。
男湯の外壁沿いに進むと、中から楽しそうな話し声が漏れ聞こえてくる。クラスメイトたちが大浴場を満喫しているようだ。
そして当然、女湯の方からも――
「真夏ちゃん、やっぱりスタイルやばいね! 何食べたらそんなに細くなれんの!?」
「え、うーんと……わかんない、かな」
「これが生まれ持ったモノの差ってやつかぁ」
小鳥遊とその取り巻きの声だ。間違いない。
俺の心臓が激しく鳴り始めた。いよいよだ。
* * *
ボイラー室の扉の前に立つと、俺は最後の警戒確認をした。
周りに人影はない。女湯からは相変わらず、小鳥遊たちの楽しそうな話し声が聞こえている。
扉に手をかけて、ゆっくりと開けた。軋む音が夜の静寂に響く。
「頼む、誰にも気づかれるな……」
室内に入ると、思った以上に明るかった。給湯設備の計器類から漏れる光で、人の顔をはっきりと認識できるほどだ。外のような暗闇ではないため懐中電灯は不要と判断し、その電源を落とした。
さらにボイラー室の中は蒸気で湿度が高く、暑かった。タオルを持ってきて正解だった。
「よし……」
俺は夕方に翔吾と探索した時のことを思い出しながら換気口を探した。女湯の方向を向いているはずの――
あった。
給湯設備の横に、ちょうど人が覗けるくらいの高さに換気口がある。踏み台になりそうな設備もある。
「完璧だ、翔吾……」
俺は感謝の気持ちを込めて呟いた。
慎重に踏み台に足をかけて、換気口に顔を近づけた。
心臓が破裂しそうなくらい激しく鳴っている。手は震え、口の中はカラカラに乾いていた。
そして――俺は恐る恐る覗いた。
「……っ!!!!」
目の前に広がったのは、紛れもなく、湯気に包まれた女湯だった。
複数の人影が見え、みんな楽しそうに話している。そして――
「真夏ちゃんの髪、本当に綺麗だよね」
「えー、そんなことないよ。ちーちゃんだって綺麗なインナーカラーだよ」
小鳥遊の声だ。間違いない。彼女がいる。
俺の全身に電流が走った。ついに、この瞬間が来たんだ。
でも、湯気が仕事をしすぎている。人影は確認できるが、肝心の
「くそっ! もう少し、もう少しで……」
俺は息を殺して、湯気の動きを見つめた。誰かが脱衣所の扉を開けたりしているのか、時々、風の影響で湯気が薄くなる瞬間がある。その時を狙えば――
しばらく待っていると、湯気が少し晴れた。
「――!!」
一瞬、薄肌色が見えた。白くて美しい肌が、湯気の向こうにちらりと。
俺の心臓が止まりそうになった。額に汗が浮かぶ。暑さと緊張の両方で、全身から汗が噴き出している。
「すげぇ……見える、見えるぞ……」
でも、まだはっきりとは見えない。もう少し湯気が晴れるか、もしくは小鳥遊が移動さえすれば――
その時だった。
「あ、トリートメント忘れちゃった。ちょっと取ってくるね」
小鳥遊の声がした。そして、湯船から上がる水音も――
「来る……!」
俺の集中力が最高潮に達した。もうすぐだ。もうすぐ小鳥遊の美しい裸体を見ることができる。
男として宣言したこと、翔吾の完璧な計画、おまけに美島の協力――すべてが報われる瞬間が。
湯気が少しずつ晴れて、人影がより鮮明に見えてきた。
「あと少し……あと少しで……」
俺は息を止めて、その瞬間を待った。
心臓が破裂しそうだ。手が震えて、足も震えている。でも、目だけは離せない。
そして――
ギィィ……
ボイラー室の入り口で、ドアが開く音がした。
「!!!」
俺の血の気が一瞬で引いた。咄嗟に覗き穴から顔を剥がしてその方向を見やるが、給湯設備の陰になっており、誰が入ってきたのかを確認することはできなかった。
(お、終わった……か? くそっ、どうせバレるならせめて顔を離さずに拝んでおくべきだった……)
ある種の絶望感と後悔を尻目に、ヒタヒタという足音は確実に近づいてくる。
俺は、逃げることも隠れることもできずにいたのだった。
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