足跡を辿って
『百花繚乱祭』まで、残り2か月。
イベントが公示されてから、『百花繚乱祭』運営はSNSで出演者のプロモーションを行うようになった。その効果もあって、出演者たちの注目度も上がっていた。
この機を逃すまいと、智歩は菜調のプロデュースにもいっそう精を出した。菜調のSNSアカウントで、公演の切り抜き動画の投稿などを連日行った。ちなみに「菜調のプロデューサーが『百花繚乱祭』の運営にも噛んでいる」とイベント概要公示の時点で公言したので、後ろめたいものはない。多少の批判はあったが、智歩はもとより覚悟していた。
いつの間にか、SNSのフォロワーは3万人に届こうとしていた。智歩が最初に菜調と会った時には500人程度だったので、およそ60倍である。その数字を見るだけでも、2人は感慨深さを覚えた。
その効果か、路上パフォーマンスの許可も昔より取りやすくなっていた。去年に智歩が「許可が下りるはずがない」と諦めていた会場の候補地でも、パフォーマンスが実現した。自宅周辺で公演できる機会も増え、各地に菜調のパフォーマンスを届けられた。「ダンスで世界中に希望を与える」という夢の実現に着実に近づいている手ごたえを感じていた。
もちろん、近隣での公演も欠かしていない。ある日、菜調は家の近くににある海岸沿いの公園で踊った。いつしかドキュメンタリー動画を撮った場所である。ステージを囲む子供たちが、羨望の眼差しを彼女に送った。
パフォーマンスの後、ある子供が菜調のもとにかけつけ、こう言った。
「自分も将来は、菜調お姉さんみたいなダンサーになりたいっ!」
菜調は信じられないというように目をぱちぱち開けた。しばらくしてから、彼女はゆっくりと屈むと、穏やかな笑みを浮かべながら、子供の頭を撫でた。
「ああ、必ずなれる」
その日の帰り道、夕日を浴びて海岸沿いを進む菜調は、やけに上機嫌だった。例によって表情は凛としていたが、足元に目を向けると尻尾の先端がぶんぶんと揺れていた。
「やっぱり嬉しかったんですね。あの子の応援」
「そうだが……何故子供が理由だってわかったんだ?」
「見ればわかりますよっ。あの子と話してから、明らかにモカさんの様子が違いましたもん」
「なるほど。この前にやった、感情を顔に出す練習の成果が出たのか」
「それは違いますっ!……それにしても、モカさんがファン絡みのことでこんなに嬉しそうにするのは珍しいですね。もしかしてぇ、子供好きなんですか?」
「そういうわけではないが……でも、子供の夢になれたのは嬉しい」
菜調が海を見ながら微笑んだ。強い海風が吹き抜けて、長い青髪の毛先を揺らした。手元に少し寒さを感じて、智歩は菜調の手をぎゅっと握った。
指の節々に
「どうかしたのか?智歩」
「モカさんの手がべたついているのが面白くて。蛇なのに汗かいてるみたいです」
「ずっと潮風に当てられていたからな。汗をかいたらこうなるのか?」
「かもしれませんねっ!」
2人は顔を合わせると、思わず笑いあった。
潮風で全身がべたついているのに、それが気にならないほど清々しい気分だった。
◇
『百花繚乱祭』まで、残り1か月を切った。
自宅の壁にかけられたカレンダーの右下に、赤いマーカーペンで強調された日付があった。
その日こそが、『百花繚乱祭』当日だ。一度寝て起きるたびに、その日が近づいていくという実感を肌で感じさせられる。
いよいよラストスパートということで、智歩はイベント運営に全力を出した。ラストではないが、もちろん菜調のプロデュースにも全霊だ。
今日は夜から、近隣の駅で菜調がパフォーマンスをする予定があった。智歩が初めて菜調の本気の舞を見た、そして彼女のプロデューサーになった場所だ。そして、思い出の場所であると共に”かつては”彼女のホームグラウンドとも呼べたような、馴染みのあるパフォーマンス会場である。
しかし、最近はここでの公演はめっきり無くなっていた。というのも、あまりに人が集まりすぎて通行の妨げになると言われていたのだ。幸せな悩みである。そんなわけで、この駅での公演は2か月ほどできていなかったのである。
しかし、今日だけは例外だった。
2人が駅の建物に入ると、駅員が出迎えてくれた。
「2人とも、お待ちしておりました」
「今日はありがとうございますっ!まさか駅主催で、菜調さんのパフォーマンスをバックアップしてくれるなんて!」
「我々なりの恩返しです。毎日ここで踊られていた菜調さんには、私も勇気を貰っていましたから。……なんて、今更言い出すのはズルいですね。正直心苦しかったんですよ、人が集まりすぎるからダメって言わなきゃいけないのは」
「大丈夫です。何年も前から許可をくださっただけでも十分すぎます」
「そうですっ。元より私達が無茶を言っていたのでっ」
菜調と智歩が口をそろえると、駅員は朗らかに笑った。
「私のことは良いから、お客さん達のところに行ってきてください」
「はい」
「はいっ!」
改札前を横切り、駅の建物をくぐり抜けて反対側に顔を出した。
そこにはなんと、両手で数えきれない程の人だかりができていた。いや、脚の指を足しても足りるかわからない。
智歩以外の観客がいなかった閑散としたステージは、もうそこには無かった。
あの日に通行人から向けられた冷たい視線は、ステージに到着した菜調への熱視線に変わっていた。
ファンの群衆の中には、菜調にいちゃもんをつけていたゴロツキの姿も見えた。彼がどこか恥ずかしそうに菜調を見ると、菜調は堂々とした表情のまま彼に視線を向けた。そして、群衆の中心に堂々と進んでいった。
◇
『百花繚乱祭』まで、あと1日。
その日の朝。小鳥のさえずりを聞きながら智歩は目覚めた。
開かれた大窓からそよ風が吹き込んで、レースのカーテンを揺らしている。その隙間から柔らかい日差しが差し込んで、部屋の中を満たしている。気持ちが良い光景に思わず布団から上半身を出し、両腕をうんと伸ばす。
隣に並んだ大きな布団には、光を浴びたマムシの身体が横たわっている。それを辿って目線を動かすと、菜調が目を細めながらカレンダーを眺めていた。
「ふわぁ、おはようございます~」
「おはよう、智歩」
寝起きで眼がしょぼしょぼしたままの智歩とは違い、彼女はしゃきっとした顔つきだった。
智歩は菜調の隣に回り込み、一緒にカレンダーを見つめた。
「やっぱりモカさんも本番が楽しみなんですか?」
「それもあるな。だけど、それだけではなく、今この瞬間も楽しいんだ」
「なるほど、準備が楽しいってことですねっ。私もわかります」
「いや、それとも少し違うな」
「んー、どういうことです?」
智歩は頭の上に疑問符を浮かべながら、菜調の横顔を見やる。彼女の口がゆっくり開く。
「確かな目標に向かって進めていることが嬉しいんだ。――私はずっと、朧げな夢を追っていた。暗闇の中、自分の居場所も分からないまま、一筋の日の光をひたすら掴もうとするようだった。その時は夢中で気が付かなかったけれど、どこかで苦しさを感じていた」
菜調の左手が、智歩の右手をしっかりと掴んだ。
青い髪をふわりと揺らし、彼女はこちらに振り向くと握った手を胸元まで持ち上げた。細い瞳孔が浮かんだ藍色の瞳は、どこまでも透き通っていた。
「だから今、智歩と一緒に確かな夢を追いかけられて、本当に嬉しい」
菜調は目を細め、牙が見えるような笑みを浮かべた。
「ありがとう、智歩。――そして、これからもよろしく」
「勿論ですっ!」
数時間後。智歩は黒いスーツをぴしっと身にまとい、玄関に立っていた。その右手には、スーツケース。
智歩はこれから、イベントの最終準備に向かう。そして今日の夜は事務所が用意した施設に泊り、翌朝の早朝から会場に向かうのだ。
これからは菜調と別行動。彼女も当然リハーサルに参加するが、その時間帯の智歩は裏方で忙しい。だから、大会前に彼女と直接話せる機会は、おそらくこれが最後だ。
「ごめんなさい、直前まで最終調整に付き添えなくて」
「問題ない。これまで何か月もかけて、明日のパフォーマンスを智歩と一緒に磨き上げてきたじゃないか。私なら大丈夫だ。だから、安心して行ってこい。智歩の夢に近づくために」
「ありがとうございます。……なんだか変ですね、プロデューサーの私がパフォーマーに送り出されるなんて」
「それもそうだな」
2人は目を合わせて笑いあった。
それから智歩は背筋を伸ばすと、金色の瞳をきりっと開けた。
「モカさん、最高のステージを期待していてください」
「私も、最高のパフォーマンスで応えてみせる」
青色の瞳をじっと見つめながら、智歩は静かにうなづいた。
そして、腹の底から声を出した。
「……では、行ってきますっ!」
扉を一気に解き放ち、智歩は駆けだした。
初夏のギラギラとした日差しが、青空の奥で輝いていた。
◇蛇足のコーナー◇
日本には、タカチホヘビという珍しい蛇が生息している。色は個体や成長度合いによるが、黄色から灰色。光沢が強く、銀色に輝いて見えることもある。夜行性。
湿度が高い環境を好み、普段は地中や落ち葉の下にいる。雨上がりの時には地上でも見つけやすいという報告がある。
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