集う道

 こうして、『NEO蛇祭』プロジェクトは、正式名称『百花繚乱祭』として本格的に動き出した。

 年末に、プロジェクトの方針が決定された。智歩やユリカの事務所のイベント部門が運営を担当することになり、開催予定時期は翌年の7月となった。およそ半年後である。


 智歩も運営メンバーの1人として活動することになった。

 こうして、激動の2026年が幕を開けた。



   ◇

 


 『百花繚乱祭』まで、残り6か月。


 智歩と共に編み出した新たな形態のパフォーマンスを習得する

 

 智歩は演者への出演交渉のために各地を赴いた。調整の結果、 『百花繚乱祭』の第一回目に関しては、事前に招待したパフォーマーを中心に開催することになったのだ。まずは去年の『新蛇祭』への参加資格を勝ち取ったと公言していたパフォーマーらに声をかけ、その多くから快諾してもらった。しかし、必要な人数には満たなかった。


 そんな時に、ムカデのダンサーである赤城から連絡があった。「日本各地でポテンシャルのある新人ダンサーを見つけたから紹介できる」と。彼女は「世界のあらゆるダンスから学びたい」という自身の夢の実現のため、手始めに日本中を旅して、知られざるダンサーを発掘する活動をしていたのだ。


 智歩は紹介されたダンサーたちの元を訪ねた。翼や尾や多数の脚といった、各々の身体の特徴を引き出したまだ見ぬダンスに、智歩は魅力を感じた。彼らのダンスについて他の関係者にプレゼンをしたのちに、改めて彼らをイベントに招待した。

 

 

     ◇


 

 『百花繚乱祭』まで、残り5か月。


 冬の寒さが最も厳しい時期になり、蛇人の街では人を見かけることが大幅に減った。彼らにとっては、短時間の外出も厳しいようなのだ。

 それでも菜調は外での練習を止めなかった。最近はも増やしたが、それでも蛇体を全力で動かすには外出が必要だ。常識的な練習時間で切り上げていることは確認していたが、そのストイックさと熱意に智歩は感銘を受けた。


 一方で、イベント運営では大きなトラブルが発生していた。演者の候補である、ある伝統舞踊の踊り子の出演可否に関するものだった。赤城が「イチオシ」として紹介したその人物のパフォーマンスは、無名でありながらも運営陣に特に評価されていた。踊り子本人も何かしらのイベントで踊りたいと表明していたので、是非とも呼ぼうという方向性で話が進んでいた。

 しかし、その舞踊の関係者が「文化存続のためにイベントでPRしたい」「所定の場所以外での舞は認められない」という2つの意見で対立したのだ。その仲裁には事務所の人間もお手上げで、件の踊り子の招待は断念することが決まりつつあった。


 そんな時に智歩を助けたのが、アオダイショウの蛇人で神儀の継承者である青井だった。

 彼には、舞踊の文化の保護とPRの両立について向き合い、関係者への説得・調整をも自ら達成した経験があった。彼自身は『百花繚乱祭』には出ない決断をしたものの、伝統舞踊を守りたいという想いから、智歩に真摯なサポートをした。彼の的確な助言の結果、穏便な形で件の踊り子の出演を取り付けることができた。



     ◇



 『百花繚乱祭』まで、残り4か月。


 冬が明け、外を歩けば色とりどりの花が目に入るようになっていた。

 暖かくなって蛇人の動きが活性化するのに呼応するように、菜調のダンサー活動も勢いを増していた。


 かつては路上パフォーマンスだけで活動していた彼女だったが、今では月に1~2回のペースで、イベントで演技を披露していたのだ。もちろん、その実現のために尽力しているのは、専属プロデューサーの智歩だ。『百花繚乱祭』のために菜調のプロデュースを諦めるという選択肢は、智歩の眼中に無かった。菜調の飛躍は智歩の夢でもあるのだ。


 その逆も然りで、菜調のプロデュースをしながらも、『百花繚乱祭』の運営にも妥協しなかった。――他のプロジェクト関係者に比べると割り当てられた仕事量が小さいことは想像がついたが、自分が取り組むべき仕事はしっかりと果たした。

 この日、智歩はイベントの広報活動を手配するべく、ある商業施設のもとを訪ねた。菜調がはじめて招待を受けてパフォーマンスをした場所だ。


 

 当時、2人はこの施設のイベント担当者に、何かとお世話になっていた。智歩は彼に何度も営業をかけ、拙いプレゼンをしては、その度に厳しいダメ出しを受けていたのだ。智歩のプロデューサーの手腕を育てた人物の1人と言っても過言ではない。そんな彼と久々に再開すると、彼は智歩がイベントプロデューサーとして活動していることに驚きつつも、「目つきが変わった気がする」と称した。


 商業施設で『百花繚乱祭』をPRするキャンペーンができないかと智歩は提案。コンセプトや施設の親和性、費用といった要素をしっかり練りこんだ企画案をはきはきとプレゼンする智歩の姿に、担当者は目を丸くした。「変わったのは雰囲気だけではないですね」と、担当者は改めて智歩を評価した。それから議論は順調に進行。「いちど上層部の確認のために企画案を持ち帰るが、必ず契約締結にこぎつけさせます」と担当者は微笑んだ。


 交渉の帰り際で、担当者は智歩に「菜調さんの活動は順調ですか?」と尋ねた。それを聞くや否や、智歩は満面の笑みを浮かべた。

 

「もちろんですっ!最近はも演目に入って、ますますパワーアップですっ!」

「それは楽しみですね。そういえば、見つかったんですか?――菜調さんが”目指すもの”は」


 その質問への答えは迷わなかった。

 今の菜調には明確なビジョンがある。智歩は弾けるような声で応えた。

 

「はいっ!菜調さんは世界中を巡り、パフォーマンスで色んな種族の人に希望を与えることを目指していますっ!」


 最近の菜調は、この夢を強く意識していた。もちろんその夢の実現には、海外で通用される実力と、それを裏付ける評価や実績を得ることが必要だ。とりわけ、菜調は周囲の人に危険がおよぶ可能性があるパフォーマンスをする以上、路上パフォーマンスであっても正式な手続きが必要な場合が多い。そのため、パフォーマーとして信頼されるためにも実績が必要なのだ。特に言語や文化の壁がある海外では、無名ダンサーのままでは満足に許可は得られないだろう。

 だから、現在はあくまで国内の活動、および『百花繚乱祭』に注力している。それを経て、ゆくゆくは海外で活動したいというビジョンが明確に存在しているのだ。


「素敵な目標ですね。私も菜調さんが海外で活躍するのを楽しみにしています」

「ありがとうございますっ!私が必ず菜調さんの夢を叶えてみせますっ!近々での活躍もあるので、楽しみにしていてくださいねっ!」


 智歩が意気込むと、施設の担当者は何かに落ちたような表情を見せた。


「なるほど。だから、彼女はあれだけ懸命だったのですね」

「へ?……何のことですか」

「彼女が真冬でも毎日、日中ずっと外で特訓していたことですよ」

「えっ!?」

「あれ、ご存じなかったのですか?」

「はい。私が練習に同伴した時は数時間で引き返していたのですが、日中ずっと!?」

「そうです。通勤中に彼女の姿をよく見かけたので、気になって声をかけたのですが……」


『菜調さん、お久しぶりです』

『……商業施設の方ですか』

『はい。覚えてくれて光栄です。ダンスの練習ですか?』

『そうです』

『ですよね。もしかして、朝からずっと練習していたんですか?』

『はい。何故わかったのですか』

『朝にも貴女の姿を見かけたので。しかし、よく何時間も外にいられますね。私なんか、1時間だけ凍えてしまいそうです』

『鍛えているので大丈夫です。それに、プロデューサーが私のために全力を尽くしてくれていますから』

『プロデューサー……ああ、高崎さんですね』

『彼女も寒がりなのに、私のために毎日遠くで頑張っているんです。だから、私もできることはしないと』


「菜調さんは、疲労しているであろうにも関わらず凛々しい顔つきでした。……私には目を合わせてくれませんでしたけどね。この時は彼女の表情を不思議に思ったのですが、久々に高崎さんにお会いして、納得できました。貴女のような素敵な相方がいるのなら、どんな環境でも努力を惜しまないのも頷けます」


 智歩は菜調に畏敬の念を覚えた。それと共に、彼女の夢を必ず実現させるという想いがいっそう強まった。

 自分も負けていられない。彼女の想いに絶対に応えてみせる。


 ぐっと拳を握り、背筋を伸ばした。



    ◇



 『百花繚乱祭』まで、残り3か月。


 遂に、『百花繚乱祭』の概要が公開され、チケット販売も開始した。

 プロモーション施策も功を奏して、大会は大きな話題に。SNSでもトレンドにあがった。チケットの売り上げも好調だ。

 

 しかし、うかうかしている暇はない。この日の智歩も、事務員にして運営幹部の九里と共に、事務所でイベントの準備を進めていた。――いや、そこにいたのは智歩と九里だけではなかった。

 何人もの事務所スタッフが、智歩と共に『百花繚乱祭』について議論していたのだ。その舞台になるのも、薄暗い小部屋から広くて明るい会議室へと移っていた。


 『百花繚乱祭』はもはや、智歩の個人的な計画ではなかった。事務所が掲げる一大プロジェクトなのだ。その渦中に智歩は立ち、自分よりも経験豊かな大人たちに必死に喰らいついていた。


 議論は白熱し、時間が過ぎるのも一瞬のように智歩は感じた。気がついた時には日が暮れていた。


 今日の仕事を終えた智歩は、社員証を扉にかざしてロックを解除し、部屋から出た。その後ろに九里が続いた。2人は絨毯じゅうたんが敷かれた廊下を進んだ。廊下を挟む左右の壁は黒色で、天井からは暖色の照明が灯っていた。開けた場所に出ると、九里が小声で話し始めた。


「今日も大活躍でしたね、高崎さん」

「いえいえ、九里さんがバックアップしてくださったお陰です」

「ありがとうございます。確かに今日の私の助言は適切でした。でも、高崎さんの手腕も見事でした。まるで何年も前から当社で働いているかのようです」


 九里の喋りは相変わらず機械のようだったが、その言葉に智歩は暖かさを感じた。

 片手で眼鏡をかけ直している九里に智歩は微笑みかけてから、ひっそりと尋ねた。


「九里さん、企画書を練っていた時の話なのですが……」

「はい、なんでしょう」

「あの時、データの開示の許可をもらうために、ユリ……三根さんの他に協力してくださった方が、もう1人いらっしゃったんですよね?」

「そうですね。機密事項なので誰なのかは言えませんが」

「その人ってもしかして……九里さん、ですか?」

「えっ」


 九里の細い脚が動くのを止めた。顔から赤い眼鏡がずり落ちた。彼女は少しフリーズした後、やたら勢いのある動きで眼鏡を戻してから、わざとらしく咳払い。


「あの、何のことでしょう?高崎さん」

「九里さんには何かとお世話になっていますから、もしかしてと思ったんです」

「……これ以上隠しても仕方ありませんね。おっしゃる通り、私が上司を説得しました。…………あまり公にはしないでくださいね?」

「わかりました。でも、何で私に入れ込むんですか?」

「……一旦外に出ましょうか。廊下で長話は邪魔になります」

「はいっ」

 

 2人は事務所から出て、近隣にある海岸沿いの公園に足を運んだ。

 夜の街の喧騒から少し離れた場所で、波の音が静かに響いている。


 アスファルトで固められた遊歩道を歩き、道の脇にあるベンチに腰かけた。

 対面に見える黒い海は、去年見た姿と変わらなかった。

 

「……私が理想としていた姿が、貴女に重なったんです」

 

 九里は膝に手を置いてから、ゆっくり話し始めた。

 

「私は若手時代から、嶋田氏に次期幹部候補の太鼓判を押されていました。そんな私は、当社の音楽プロデューサーとして働くことになりました」

「若手でプロの音楽プロデューサーなんて凄いです。普通はキャリアを積んだ人しかなれないはずなのに」

「……嶋田氏の推薦を受けたのです。そこで私は、とあるロックバンドを担当しました。彼らは自身の音楽に誇りを持っていて、私も彼らの音楽は必ず世間に評価されると信じていました。……しかし、現実は私の期待に応えてくれませんでした。当然、私は自身の手腕に責任を感じ、打開策を探しました。そこに、嶋田氏が現れ、私にこう告げました」


 智歩は息を詰まらせるような表情をした。話の展開に嫌な予感を覚えたのだ。

 九里は顔に小さく影を落としながら、それでも淡々と話し続けた。


「『あのバンドの音楽性ではこれ以上評価されない』と。その言葉を信じるのは嫌でしたが、次々と根拠を挙げる彼女に反論する余地はありませんでした。そして嶋田氏はこう続けました。『これはスカウトした私の失態だ。責任をもってするから、九里さんは他の有望なアーティストに当たってくれ』と……」


 うつむきながら話す九里は、眼鏡の裏にどこか怯えたような目つきを見せていた。


「私は、それを止めることはできませんでした。自分のバンドを信じぬけなかったのです。気づいた時には、は実行されていました。バンドのメンバーはすぐに勘付き、テコ入れへの対応で彼らは揉め、最後には散り散りになりました。……その日から、誰かに伴走することが怖くなりました。でも、芸能界への未練は捨てきれず、結局はイベントプロデュース部門への異動を希望しました。単一のタレントとの結びつきが弱いコンテスト形式の案件ばかりを選びながら黙々と仕事を続け、十年以上が経ちました」


 九里は顔を上げて眼鏡の位置を直すと、智歩を見やった。

 

「嶋田氏が貴女を連れてきました。若くして嶋田氏から大きな期待を寄せられる貴女の姿が、かつての私と重なりました。居ても立っても居られなくなり、私は貴女の動向を影から見守りました」

「私が九里さんのようにならないか心配だった……ということですか?」

「はい。結果としては、杞憂でしたね。……嶋田氏から聞きました。貴女は、最後まで菜調さんのことを信じ続け、自身の信念も曲げなかったと。私が諦めたことを、貴女は成し遂げてみせたのです。そしてこの先も、貴女は私がたどり着けなかった場所に進んでいくはず。私は、その道の先の景色を知りたい。……そう思っている時に、三根さんから相談を受けました。高崎さんの計画を自社のプロジェクトとして動かしたいと。そこで私は、貴女に想いを託すことに決めたのです」


 九里は話し終えると、落ち着いた表情で海を見つめた。話を始めた時と変わらずに、波の音は響いていた。

 

「……なんて、私情を突然押し付けられても困りますよね」

「いえ、私のことをそんなに想っていただけているなんて、嬉しいです。ますます頑張らないとですね。……あっ、でも、九里さんの道もまだ続いていると思いますよ」

「え?」

「九里さんは色々なリスクを背負いながらも、私のことを想って、私を支援していただいた。つまり、九里さんはまだ人を信じられるってことですよっ!もちろん、私は九里さんの担当バンドの代わりにはなれません。でも、九里さんの代わりを私がやる必要もないんです。九里さんが、自分の道を歩いてくださいっ」

 

 九里は再びうつむいた。眼鏡に光が反射して、その目元は見えなかった。


「……ありがとうございます」


 しばらくの間、耳元を波音だけが撫でていった。

 春先の夜の風が、心地よく足元を吹き抜けた。

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