高崎智歩
「そうだよっ!憧れるなぁ~、私は物事が長続きしないタイプだからさぁ。じゃあ、やっぱりプロのダンサー目指してるの!?」
私は思わず頷き、肯定しそうになった。しかし、すんでのところで理性を取り戻し、口を閉じた。
「う、う……いや、なんでもない……」
今まで、私の夢を応援してくれる人なんていなかった。私は智歩とずっと一緒にいたい。――そして何より、彼女に夢を否定され時に、立ち上がれると思えない。であれば、このことは言うべきではないはずだ。
「秘密かぁ。まぁ、将来のことって難しいもんね。私もやりたいこと何もないし」
彼女も詮索しようとせずに話を畳むと、再びノートの中身に目をやった。
その時だった。
「珍しいなぁ、モカがコンビニにいるなんて」
私の幸せな時間は、1人の少年によって崩された。
彼は私のクラスメイトで――率先して私をいじめてくる奴だった。
「お前、買い食いとか調子乗ってるだろ」
「ぇ……ぅ……」
私はとっさに智歩の腕を、両手でぎゅっと握った。蛇体も彼女の脚にまきつけて、離さないようにした。
すると、少年の視線が智歩の方に向いた。
「あ?そっちの猿は?」
「モカちゃんの友達ですっ」
智歩お姉ちゃんも状況を察したのか、目つきを鋭くして少年をにらんだ。
私は、この場から逃げようと彼女に提案しようとするが、震えて声が出ない。結果、逃げたいという想いとは正反対に、赤子のごとく必死に彼女にしがみつくことしかできなかった。
彼女は私の方をちらりと見て、「大丈夫だよ。私はモカちゃんの味方だから」と囁いて、小さく笑った。そして、彼女は再び少年の方に目をやり、両者の睨み合いが続いた。
「モカの友達!?お前も馬鹿なんだな」
智歩お姉ちゃんの倍以上の体躯の少年が、尻尾でべたんべたんと地面を叩きながら威嚇する。仮に本気の喧嘩になれば、智歩お姉ちゃんに勝ち目はないだろう。熊に犬が立ち向かうようなものだ。
それなのに、彼女は一歩も引きさがらずに少年に食らいつく。
「は?どうしてモカちゃんと友達になるのが馬鹿なの?」
「4年生にもなって、マヌケな夢を見てるからだよ。そんな奴と一緒にいるお前も馬鹿だ。やべっ、話していると俺にまで馬鹿が移るわ」
「マヌケな夢?意味が分からないんだけど」
「さっき、こいつも自分の夢を言おうとしなかっただろ?それが何よりの証拠だよ。……いや違うわ、こいつまともに人とコミュニケーションできないんだったわ。仕方ない、俺が代わりに教えてやるよ」
「待って、やめてぇっ!」
私はとっさに叫んだが、そんなことで少年は止まらない。彼は力いっぱいに叫んだ。
「こいつは、プロダンサー目指そうとしてるんだぜ?蛇人のダンサーなんていないのに。それも、世界中の人を元気にするとか言ってるんだぜ!?できるわけないだろ!!」
終わった。
私の頭に浮かんだのは、その4文字だった。
真っ暗だった私の世界を照らしていた、小さな灯火が。
誰にもかき消されないように、大切に心の奥底にしまっていた夢が。
強風が吹くこの場所に、晒された。
「お前、まさかバレてないと思ってたのか?普通にバレバレだったからな、放課後に毎日踊っていたの。お前と関わると馬鹿の病原体が移るから、誰も教えなかったんだけどな。俺に感謝しろよ?」
智歩お姉ちゃんが、ノートをぱたんと閉じた。銀色の髪に隠されて彼女の表情は見えなかったが、代わりに1つのことを思い出した。彼女に見せたノートには、自分の夢を忘れないように書き記したページがある。プロダンサーになる方法について調べたことをまとめた箇所もあったはずだ。他人に見せることを想定していなかったから、完全にノーマークだった。
私の夢は、智歩お姉ちゃんに筒抜けだ。
私の顔から血の気が引いた。恐怖で全身が支配されて、智歩お姉ちゃんへの巻き付きにも力が入らなくなった。
「モカちゃん……?」
そんな私を、智歩お姉ちゃんが心配そうに見やった。その時、強い風が音を立てて、再び吹き付けた。
智歩お姉ちゃんが立ち上がった。きっと、私の元を離れるんだろう。私は怖くて目をつむった。
「モカちゃんは、絶対に夢を叶えられるっ!」
「は?」
「……え?」
顔を上げた。智歩お姉ちゃんの背中が、肩より下まで伸びた銀髪が、太陽に照らされていた。
「モカちゃんは沢山頑張ってるっ!こんなこと私には……いや、誰にだってできないっ!……それに、私はモカちゃんのダンスに感動したんだっ!だから、モカちゃんは絶対に、プロダンサーになれるっ!世界中の人を元気にできるっ!!!」
智歩お姉ちゃんは、張り裂けるような声で叫んだ。その姿は堂々としていた。
「っ何なんだよお前、調子乗ってんじゃねぇぞ!」
少年は智歩お姉ちゃんめがけて殴りかかった。それでも、彼女は動じなかった。
彼は智歩お姉ちゃんの目の前で、振りかざした拳を止めた。
「……ちっ。お前、次会った時は覚えてろよ?」
彼は智歩お姉ちゃんの身長より長いだろう蛇体をムチのようにしならせて地面を叩くと、不機嫌そうに帰っていった。
その背中が見えなくなると、智歩お姉ちゃんは振り返り、優しい笑みを浮かべた。
「ごめんね、ノートに書いてある夢、見ちゃった……でも、カッコいいよモカちゃん」
「え……?私が……?」
「ずっと夢のために頑張ってるんでしょ?中々できることじゃないよっ。やっぱり憧れちゃうなぁっ!」
彼女との会話の中で、ずっと我慢してた涙が、どばどばと溢れ出した。
さっきの恐怖だけじゃない。何年も溜めていたいろいろな感情が、一気に爆発した。
「ち”ほ”おねえ”ちゃん!!!」
私はわんわんと泣きながら、智歩お姉ちゃんの胸に飛び込んだ。
「智歩お姉ちゃんっ!ちほ”おね”えちゃん”っっ!!!」
上半身の体重全部を、智歩お姉ちゃんに乗せて抱き着いた。彼女の身体のぬくもりが、私の冷えた蛇の身体を満たした。
◇
それから1日中、私は智歩お姉ちゃんに遊んでもらった。智歩お姉ちゃんは、私が知らなかったことをいくつも教えてくれた。その最たるものが、 『自分のダンスで誰かが喜んでくれることの嬉しさ』だ。
私は智歩お姉ちゃんのリクエストを受け、空地で彼女にダンスを見せていた。
蛇体を豪快に振り、旋回し、跳躍する。それらの技を決めるたびに、智歩お姉ちゃんは手を叩いて誉めてくれた。それが本当に嬉しくて、彼女に喜んでもらうために、私はできる限りの技を披露した。
まだ未完成の大ジャンプにも挑戦した。大ジャンプといっても、自分の身長と同じくらい――2~3m跳ねるだけのものだ。しかし、私にとっては数か月練習しても実現できない、未踏の大技だった。
都合よくすんなり成功することはなかった。何度も失敗して地面にぶつかったけど、彼女は励まし続けてくれた。情けないことに、結局ジャンプは成功させられなかったが、彼女と高みを目指す時間は幸せだった。
彼女と共にいた時間は、半日にも満たなかった。それでも、私にとってもそれまで過ごした1か月――いや、1年よりも2年よりも濃密だった。
◇
気が付いたら、空には橙色が滲んでいた。灰色の雲を背景に、点々とした鳥の群れが動いていた。
土管に腰をかけた智歩お姉ちゃんが、腕時計を見ながら寂しそうに呟いた。
「もう夜の7時かぁ。……ごめんね。私、そろそろ帰らなくちゃ」
「あ、明日も来てくれるよねっ?智歩お姉ちゃんっ」
私は智歩お姉ちゃんの両手をぎゅっと握りしめ、土管に座る彼女の顔を見上げた。
当然のように、明日も明後日も、彼女は隣にいてくれるものだと思っていた。いや、それ以外の選択肢から無理やり目を逸らしていた。それなのに、私の両手は彼女を離さないように必死だった。
智歩お姉ちゃんは、どこか気まずそうだった。
暗くなった空に目を向けて、悲しげな目で野鳥が巣に帰るのを眺めていた。
「智歩お姉ちゃん……?」
私が震えるような声で彼女に迫ると、彼女は表情に影が差したままこちらを向いた。
「…………私、旅行でここに来てるんだ。ここに居られるのは今日だけなの」
「えっ……!?」
心臓が止まったかと思った。
智歩お姉ちゃんの手を握っていた力が抜けた。両手をぶらんとおろして、愕然と立ち尽くした。
静かな空き地に、ヒグラシの寂しげな声が響いた。
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