願い
青井のパフォーマンスは無事に終了。夏祭りは大盛況で閉幕。
屋台の撤収も完了し、手伝いに駆け付けた地元の方々も帰路についた。
人々の賑やかな声はすっかり聞こえなくなり、涼しげな虫の鳴き声だけが響く。
設備が片付けれてまっさらになった境内に、冷たい夜風が吹き付ける。
智歩と菜調は、本殿の入り口前にある、石の階段に腰かけていた。
その2人に元に青井がやってきて、声をかける。
「2人ともありがとうございます~!こんな遅くまで片付けを手伝っていただいて」
「いえいえ、お祭りの手伝いができなかった分、ですっ!やっぱり関係者として、当日も何かしたかったのでっ!」
智歩はにこりと笑顔を浮かべるが、その目元にはうっすら”クマ”がかかっていた。
当然だ。菜調のプロデュースと並行して、何時間も青井のプロモーションに協力する生活を毎日続けたのだ、無理もない。
そんな智歩の顔から視線をずらしながら、青井は口を開いた。
「……高崎さんは、どうしてボクのために、ここまでしてくれたのですか?」
「え?」
「高崎さんはもともと、菜調さんのプロデュースで相当忙しいはずですよね。……菜調さんから演技指導を受ける時に聞きました。高崎さんが毎日、街を駆け回って営業をしたり、寝る間を惜しんでリサーチしたり……菜調さんのために全力を尽くしてるって」
智歩は菜調の方を向いて「そんなこと言ってたんですか!?」というと、菜調は”何か問題でも?”と言いたげな眼つきで、静かに頷いた。
「……高崎さんは菜調さんのために全力で、それなのに何で、ボクにもこれだけ協力してくれたんですか?」
智歩は腕を組み、「うーん」と声を漏らしながら、目をつぶって考える。
なんで、そこまで頑張るのか。
意識したことはなかった……が、答えは案外、すんなりと頭に浮かんだ。
いや、考えずとも、すらすらと口から出せるという予感がした。
智歩はゆっくり顔を上げると、いたずらな笑顔を浮かべた。
「ま、報酬貰っちゃいましたからねっ。やると言っちゃったからには、しっかりお仕事するのが責任ってやつです」
えっ、と声を漏らしながら青井がぽかんと口を開ける。
彼は何かコメントしようと舌を動かすが、その寸前で、吊り上がった智歩の口角が下がる。落ち着いた表情になった彼女は、言葉を続ける。
「……勿論、それもあります。けれど……私、夢や大切な想いに向き合う人の”輝き”が大好きなんです!」
「輝き……ですか?」
智歩は腰を持ち上げて階段から立ち上がると、両手を広げながら顔を直角に曲げて、天を見上げた。
澄み切った夜空には、数えきれないほどの星々。
強烈な存在感を放つ3つの光が無意識の内に線を紡いで、夏の大三角形と呼ばれるカタチを作る。そんな目立った光の周囲には、黒い床に小麦粉をまぶしたみたいに、名前もしならない星々が煌めいている。
どれだけ目を凝らしても、それらは動いたり点滅したりしない。人工衛星じゃない、正真正銘の星の輝きが、夜空を埋め尽くしている。
「はい!見ているだけで”私も頑張ろう”と思わせてくれる……私たちの道しるべになってくれるような、キラキラの輝きですっ!私は輝いている人が大好きで、つい応援したくなっちゃうんです!だから、青井さんが大切な夢に近づくためのお手伝いができて、これ以上なく幸せでした!」
智歩は夜空の星に向けて、腕をぐんと伸ばす。浴衣の袖が重力に従ってずるっと落ち、腕の付け根に重たさを覚える。むき出しになった細い腕を、冷たい夜風がかすめて気持ちがいい。
智歩の動作につられて、青井も本殿の柱に螺旋状に巻き付いて、うねうねと屋根の上に登る。冷たい瓦の上に這い上がり、光沢のある下半身をだらんと垂らしながら、夜空を見上げた。
彼の眼にも、満天の星空が映った。彼にとっては日常の光景。しかし、智歩の言葉に感化されてか、今日だけはそれらが特別に見えた。
「良いですね。”輝き”って」
「……それに、皆さんと一緒に夢を追って走っている間は、なんだか自分自身も、皆さんと同じように輝けているような感覚になれたんです」
智歩は伸ばした手を、ぎゅっと握りしめる。
別に、実態のある何かをつかんだわけではない。手のひらの上には、さらさらと夜風が留まることなく流れているだけ。だが、握った手の中には、確かな”感触”があった。その気持ちにこたえるかのように、夜の空気で冷えた手のひらが、自分の体温で温かくなった。
智歩はそのまま振り返り、銀色のショートボブがはらりと揺れる。
「……だから、私は青井さんのお手伝いができて良かったです!」
「高崎さん、生粋のプロデューサーなんですね」
「いえ、青井さんのお陰で気づけたことですっ!ありがとうございますっ!」
智歩は顔を屋根のほうに向けて、アオダイショウの少年に笑顔を見せる。
青井に見せた智歩の笑顔は、澄んだ夜空にきらめく一等星にも負けないくらい輝いていた。
「よかった、道は見つかったようだな」
智歩と青井の後ろから、石段に座っていた菜調が穏やかな声をかける。
「そういえば智歩、今後はどうするんだ?」
「お祭りが一段落ついたので、しばらくは菜調さんのプロデュースに専念、ということになってます」
”そうですよね”と言うかのように、智歩は青井にアイコンタクト。それに答えて、”すとん”と静かに屋根の上から飛び降りた青井が、智歩の説明に続く。
「お陰様で沢山の方に神社への興味を持っていただけましたし、住民の皆さんからも一層の協力を申し出ていただけました!それに、少額ながら寄付をしてくれる企業様も現れたんです!」
青井は神社の建物を蛇体で優しく撫でながら、明るい口調で話を続ける。
「……完全復興に向けてはまだまだ遠いですけれど、お二人のお陰で、少しずつ希望が見えてきました!これからはボクの……ボク達の力で、夢を叶えて見せます!まずは、月イチを目安にで儀式の公開を続けるところからやっていきます!」
「応援してますよ、青井さん!付きっきりのプロデュースはしばらくできなさそうですけれど、友人としていつでも話は聞きますから!」
智歩は中腰になって青井を見つめる。
それに続いて、菜調も静かに青井の傍に近づく。菜月も視線を下げて青井をやさしく見つめると、口角を小さく上げた。
「青井、私からも礼を言わせてくれ。私の作った道が、君の助けになれて、私は嬉しい」
はじめて青井個人に向けられた、菜調の笑顔。……といっても、口角が少し上がっただけではあったのだが、それを捉えた青井の顔は真っ赤になった。彼は思わずとぐろを巻くと、その中心に自分の顔を埋めた。
菜調は、少年の顔が異常に熱くなっているのを”視て”、きょとんとする。
一方で智歩は青井の様子を見て、優しく微笑んだ。
自分も菜調に強い憧れを抱いているから、彼の気持ちには共感できる、と彼女は思った。
「……さて、私たちも負けてられませんねっ!『新蛇祭』まであと1か月!頑張りましょうっ!」
「ああ」
それを耳に入れた青井が、蛇体をもぞもぞ動かしながら、顔を上げる。
「そうだ、2人ともお参りしたらどうですか?」
智歩は菜調と顔を見合わせると、”ああーっ!”と叫び出しそうな勢いで口を開けた。
――深夜に大声で叫ぶわけにもいかないので、両手を口に当てながら声は抑えたのだが。
「私たち……お参りしてないっ!」
「言われてみれば、していないな。神社を巡っている途中に青井から神社再興の話を持ち掛けられたから、タイミングを逃していたのか」
「はい……すっかり参拝した気になってました……」
「ボクも説明したつもりになってました……大事な仕事なのに……」
智歩は頭を抱え、青井はしゅんとした顔で、尻尾をいじいじと曲げ始める。特に青井にとっては、”参拝のことを忘れていた”というkとは結構なダメージになっているようだ。
平静を保っているのは、相変わらず菜調だった。彼女が脱線しつつある話を戻す。
「青井、この神社には何を願えばいいのか?」
青井は菜調の声を聞いて、背筋と尻尾をぴんと張る。
「え、えと……特に重要なのは健康ですが……仕事運とか開運などにも効果がありますぅ!」
「なるほど。助かる」
「は、は、はぃ~」
再び赤くなった青井は逃げるように2人の背中に回り込むと、うつむきながら左右の腕で2人の背中を”とん”と押した。
「ささ、お二人とも早く~!」
智歩と菜調は顔を見合わせると、歩調を合わせて石階段を上り始めた。
◇
「お二人とも本当にありがとうございました~!今度、菜調さんのパフォーマンス見に行きますねぇ~」
「こちらこそ、ありがとうございました~!頑張ってくださいねっ!」
神社の正門とされる大きな鳥居の下。
青井は赤い袴からはみ出た蛇体をぶんぶん振りながら、笑顔で2人を見送っていた。
智歩もそれに答えるように、空に掲げた右腕を大きく振る。紅色の浴衣の生地が、藍色の夜空の下で映える。
その横で菜調も静かに、青井に微笑みかけた。
「行きましょうか、菜調さんっ」
智歩は石の階段を、跳ねるように元気よく駆け降りる。そんな彼女に効果音をつけるかのように、下駄がかたんかたんと心地よい音を刻む。下駄と浴衣で動きずらいはずだけど、そんなことでは弾む心を止められない。
菜調はゆっくりと彼女を追いながら、「転ぶなよ」と半分呆れたような声を出す。
しかし、ため息をつくような声色とは裏腹に、彼女の表情には安堵が浮かんでいた。
智歩は”かたたたたっ”と音を出しながら、建物5~6階分はありそうな階段を、中腹まで一気に駆け降りる。そして、”たんっ!”と力強い音を弾かせながら、くるりとUターン。
遅れてやってきた菜調が近づくのを確認。顔を上に傾けて菜調の顔を見ながら、口を開いた。
「ありがとうございます、菜調さん」
「何のことだ」
「私は青井さんのプロデュースに挑んで、プロデューサーとして成長できた……いや、人として前に進めました。それも、菜調さんが背中を押してくれたお陰ですっ!」
智歩は視線を前に向ける。
石の階段の先には、1本の道がどこまでも続いており、まばらな外灯や民家の光でぼんやりと照らされている。背景には、幻想的な夜空の星々。遮られることなく広がる月光が、その景色全体をぼんやりと照らしている。
自然豊かな土地では夜でも月光で明るい、という事象は知識としては知っていた。しかし、実際にその目で見ると、くっきりと周囲が見えることに驚かされる。
地図がなくても、迷わずに進んでいけそうだ。
そのことを意識したとき、自然と口が開いた。
「私、芸能プロデューサーを目指しますっ!」
夜風が強く吹き、2人の左右に壁を作っていた木々がざわざわと音を立てる。
それに呼応してか、胸がどくどくと高鳴る。意のままに、舌が動いていく。
「青井さんのプロデュースで、自信を持てたんです。プロデューサーとしての活動に!――そして、いつか一流のプロデューサーになって、菜調さんの夢を叶えてみせますっ!」
「……智歩ならなれるさ。必ず」
「はい。必ずなってみせます」
音を立てずにゆっくりと降りてきた菜調が、智歩の横に並んだ。
菜調は智歩と共に星空を眺めながら、口を開いた。
「……そういえば、智歩は何を願ったんだ?」
「そりゃあ勿論、”菜調さんの夢が叶うように”ですっ!」
智歩は両手を腰に当てる。どこか自慢げだ。
「私はちゃんと言いましたよっ!菜調さんも教えてくださいっ!」
彼女はくるり腰を捻って菜調の方を向くと、浴衣の袖越しに菜調の腕をぐっと掴んだ。智歩の指に押された藍色の布が、何重ものしわを作った。
菜調は前を向いたまま、静かに口を開いた。
「…………いつまでも、智歩と一緒に歩みたい」
智歩は思わず「えっ!?」と声を出した。
意外だった。彼女なら、ストレートに「夢を叶えたい」と言うだろうと思っていた。自分がそこに登場することなど、想定外だ。
「なんで……私……?」
「……智歩と一緒なら、私の夢は叶うだろ」
菜調は落ち着いた口調で答えた。
少し回りくどいようにも思えたが、菜調はいたって真剣なようだ。
”夢の実現そのものに関しては神頼みしたくない”というポリシーなのだろうか。
でも、憧れの彼女にここまで頼ってもらえることは、間違いないく嬉しい。
智歩は”すぅぅっ”と大きく息を吸い込む。冷たくて透き通った空気が、肺の中に満ちるのを感じる。
”はぁ”と息を開放してから、右手でとんとん、と小さく自らの胸をたたく。
彼女にここまで信頼されているなら、なおさら頑張らなくては。
「私、頑張りますっ!」
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