日常と新たな30日
~祭の翌日~
今日は9月1日。残暑は残っているものの、お昼時でも涼しい気候の日が増えてきたのを感じる。その影響もあってか、最近はお昼ご飯の箸が進むことも多い。
そして今は12時。外気温は約29度、絶好のランチ日和である。そんな日に相応しく、渾身の昼食が完成した――と、蛇体の付け根にエプロンを巻いた菜調は、自信に満ちた眼で料理を眺めていた。
自分自身と智歩の昼食を自宅のリビングへと運んでいた。
菜調が向かった先のダイニングテーブルでは、智歩はテーブル上に乗せたPC画面に、じっと見入っていた。
「智歩、できたぞ」
かたん、と音を立てて智歩の食事がテーブルに置かれる。香ばしい香りがテーブルの表層に充満して、智歩の鼻を四方からくすぐる。
しかし、智歩の視線は依然として液晶画面に釘付けだ。
菜調は不思議に思った。智歩は匂いに敏感かつ、普段は食事の準備も積極的に手伝ってくれる。そんな彼女が、料理が準備されるまで無反応なのは珍しい。
……となると、やはり何かに没頭しているのだろう。智歩が、一度集中すると周りが見えなくなるタイプなのはよく知っている。ただ、PCに向き合う彼女の手が、キーボードに触れていないのはレアケースだ。
菜調は自分用の昼食――智歩の何倍もある巨体を支えるのに相応しいボリュームのそれを卓上に置く。
”ごとん”と重量感のある音が響くと、智歩はようやく昼食に気づいたのか、きょろきょろと慌ただしく周囲を眺めた。
「ごめんなさい菜調さんっ!気づきませんでしたっ」
智歩は慌ててノートパソコンを閉じ、部屋の奥側に駆けていった。
その直後、床のほうから”すとん”という音。どうやら自分が伸ばしていた蛇体を、智歩がジャンプして飛び越えたみたいだ。
「すまない」と声をかけるが、智歩は全く気にしていない様子。「良いですよ~っ」と軽く流しながらノートパソコンを所定の位置に戻すと、何もないところを飛び跳ねながらこっちに向かってくる。
智歩はレストランに連れられた子供みたいに、はしゃいだ様子で着席。
それを目を細めて見届けてから、自分もゆっくりと丸椅子に腰かけた。
「いただきますっ!」
「いただきます」
今日のメニューは焼きそばだ。
先日の夏祭りで屋台に出ていたのを見てから、ずっと頭の片隅が”焼きそばを食べたい”と主張していたのだ。
折角なので、業務用のソースを仕入れて、屋台の味の再現を試みてみた。家庭用のソースよりもスパイスの主張が強いものだ。
さらに屋台の焼きそばが鉄板で作られるのを再現すべく、フライパンではなく中華鍋を使用。豪快な強火でざっと仕上げた。温度調整は自分の得意分野だ。
味見をした結果、自分としては納得のいく仕上がりを実現できた。そうなると、気になるのは智歩のリアクションだ。
智歩は滝を逆再生するみたいに、大量の麺をずずずと吸い込む。口内に麺をため込み、シマリスみたいに頬を膨らませながら咀嚼。
そんな様子を固唾を――ソース味になったそれを飲みながら見守る。
若干苦しそうに沢山の麺を飲み込むと、”ぷはぁ”と幸せそうに一息。
そして、智歩は口の中を空っぽにしてから、口を開いた。
「うおっ、屋台の味だぁっ!」
期待通りにして、最高のリアクション。料理をする人間として、これほど嬉しいことはない。心の中で思わずガッツポーズをしてしまう。――恥ずかしいので、実際にはやらないが。
「いつもの焼きそばよりも、ソースの味が濃く感じますっ!まさに屋台の焼きそばって感じですっ!どうやってつくたんですか!?」
「屋台用のソースを使った。あとは、具材を減らしたんだ」
「確かに、焼きそばにはお野菜があんまり入ってなくて、代わりにサラダが置いてある……。でも、どうしてお野菜を抜くと味が変わるんですか?」
「野菜が沢山入ると、良くも悪くも野菜の味がソースを中和してしまうんだ。一方で屋台の焼きそばは具材が簡素になりがちだから、ソースの味がストレートに効いてくる」
「なるほどっ!菜調さん凄いですっ!完全に屋台の味だぁっ!……それに、なんだか面がぱらぱらしてる!私が家で作ると”べちゃっ”としちゃうのにっ!」
「鉄板焼きで作るときみたいに高火力で仕上げたんだ」
「あぁ、炒飯と同じ理屈ってことですねっ!」
智歩はいつでも、自分が工夫したところに的確に言及してくれる。そんな彼女のコメントは、間違いなく自分の料理の原動力になっている。今思えば、自炊はかなり前から行っているが、アレンジの幅を広げたのは智歩に料理を振舞うようになってからだ。
――もしかしたら、それは料理には限ったことではないかもしれない。
そんな思いを馳せている内に、智歩は焼きそばの半分を平らげていた。
危うく、”アレ”を忘れるところだった。
「智歩、少し待ってくれ」
きょとんとした顔で箸を置いた智歩を横目に台所に向かい、蓋をしたフライパンを左手に持つ。
フライパンの蓋を開け、ぼわっと溢れる蒸気を浴びる。左手にフライパン、右手にフライ返しを装備してテーブルに駆け戻る。そして、フライパン上のアレを、ぺろんとすくい上げ、智歩の焼きそばの上に乗せる。
「目玉焼きだぁっ!」
そう、用意していたのは目玉焼きだ。
半熟の黄身が、プリンのようにぷるんぷるんと震えている。
その美しく繊細な真円を見ていると、可能な限りそれを守ってやりたい気持ちがどこかから湧いてくる。しかし、この目玉焼きには”役割”がある。菜調は自分の焼きそばにも目玉焼きを載せると、その頂点に箸を向ける。
智歩が不安と期待が半々になったような目で、黄身に箸が突きつけられた様を見つめる。
薄いガーゼに包まれたような黄身だけがぷるぷる踊る中で、それ以外の時間が止まっているかのように思えた。しかし、覚悟はどうに決めている。
箸を突き立てる。儚く、黄身が決壊する。
とろとろとした黄色い汁が、麺の表面を嘗め尽くしていくかのように、焼きそばの隅々に染み渡っていく。それと同時に、背徳感のようなものが背筋を伝う。
「菜調さん、こ、これは……」
「味変だ。濃いソース味だけで一皿は飽きるだろう」
智歩に説明した通り、屋台の焼きそばはソースの味が前面に出るので、とにかく”濃い”。
屋台の焼きそばパックが食事一回分よりも量が少ないこと、そして綿あめやりんご飴などの強烈な甘味が焼きそばの前後で食べられることを考えれば、屋台の焼きそばが濃いのは問題ない。
ただ、家で食べる焼きそばとなれば、話は別だ。
そこで味変の手段を――濃いソースの味を緩和することができ、かつ”屋台らしさ”というコンセプトにも反さない都合の良い存在を探したところ、白羽の矢が立ったのが目玉焼きだ。というよりは、稀に屋台の焼きそばで採用されている目玉焼きにも、そもそもそういった意図があるのかもしれないが。とにかく、目玉焼きは丁度よかったのだ。
ちなみに、食べている途中で目玉焼きを持ち込んだのは、最初から目玉焼きを崩されては、元の屋台再現焼きそばのコンセプトが半壊するからである。
智歩も恐る恐る黄身を箸で2,3回突いてから、思い切りよく黄身を貫いた。
黄色い火山が噴火。黄身が崩壊した代わりのように金色の瞳をまん丸にして、智歩は黄金のマグマが広がる様子を眺めている。
菜調は自分の焼きそばに視線を戻す。黄身が十分に行き渡ったところで、箸を使って白身の部分も分解。そのまま焼きそばをかき混ぜて、白身を皿の全体に分散させる。別にこの工程は黄身を崩すのと同時に行っても良いのだが、黄身が染み渡るのを見届けたいのだ。
黄色く染まった焼きそばを、目玉焼きをの白身と一緒に口の中にほおばった。
うん、旨い!
しょっぱい口の中で、卵のやさしい甘さがいっそう引き立っている。
それに、白身のぷるぷるした触感も良いアクセントだ。歯ごたえのある麺とぷるぷるの卵がお互いを引き立てている。それでいて卵は強い主張をせずにすっと口の中に溶けるから、主役である麺の邪魔になることもない。まさにアクセントとして過不足のない、絶妙な働きだ!
「うわぁーっ!卵の甘さが口の中に染みますぅ!それに目玉焼きの触感も良いスパイスになってますねっ!」
相変わらず、智歩のコメントは適格だ。自分の脳内を覗いて実況中継されているのかと思ってしまう。
食事以外でそんなことされたら流石に困るが、今だけは素直に嬉しいものだ。
◇
菜調も智歩も、あっという間に焼きそばを平らげた。
智歩は皿洗いを済ませた後、PCを再び開いていた。どうやら、食事前にしていたことを再開するようだ。
「そうだっ!菜調さんも見ます?”嶋田さん”の記者会見」
智歩はイヤホンの片方を外しながら、PC画面を菜調のほうに傾けた。
菜調は”嶋田”という人物にはピンと来なかったが、とりあえず智歩のおススメに従ってみることにした。
懐から眼鏡を取り出して顔にかけ、蛇体をぐにっと曲げて画面を凝視する。
液晶画面には、スーツの大人が話している動画が映し出された。
「嶋田というのは誰なんだ?」
「日光旅行の前後でお世話になったプロデューサーの方ですよ!」
「ああ……思い出した」
智歩に言われて、やっと嶋田という人物の輪郭が頭の中に浮かんでいた。
もう一度画面を確認すると、確かに見覚えのある、白髪の蛇人女性が立っている。
智歩は菜調と肩を擦り合わせるようにしてぴたっとくっつくと、腕を伸ばしてイヤホンの片割れを菜調の耳に回した。
「で、その嶋田がどうしたんだ?」
「嶋田さんは芸能事務所の代表もしていて、今日はその事務所の設立から15周年なんですっ!……それで、今放送されているのが、それに伴うインタビューです!」
菜調は智歩から受け取ったイヤホンを耳にはめて、嶋田と記者とのやり取りに耳を澄ませる。
『本日、”しまへびプロダクション”は15周年を迎えることができました。所属タレントや関係者の皆様、そして応援してくださる皆様のお陰です』
画面の中では、気品のある中年女性が無数のフラッシュを浴びていた。画面の中の空間に白い光が溢れて、嶋田の黄土色の蛇体に反射していた。そんな彼女に、記者からコメントが投げかけられる。
『しまへびプロダクションは、設立からどんどん活動領域を広げられていますね。最近ですと、昨年そちらに所属されたピアニストの三根さんの活躍が著しいです』
『はい、音楽分野は手が回っていなかったので、悲願です』
『現在はアイドルを自らプロデュースされていますよね。ジャンルが変わればプロデュースの勝手も大きく変わるはずなのに、様々なジャンルでスターを輩出されているのは流石です何か秘訣はあるんですか?』
『特にテクニックのようなものはありません。強いて言うなら、”夢”が原動力になっていることですかね』
画面の中の嶋田は間を置きながら、会場全体を見渡した。
『私の夢は、私自身の手であらゆるジャンルのスターを輩出して、全ての人々を夢中にすることです。幅広いジャンルのことを学ぶことも、夢の実現のためと思えば、苦ではありません』
彼女が言葉を結ぶとともに、猛烈なシャッターの嵐が彼女を襲った。それでも嶋田は一切の動揺を見せず、優雅な振る舞いを保っている。画面越しだから彼女の表面温度はわからないが、平常心のままなのだろう。”視なくても”わかる。
『ありがとうございます。では最後に、今後の活動についてお話していただけますでしょうか?』
『現在、私の夢の実現に向けた”新しい挑戦”として、計画していることがあります。近いうちに詳細をご報告できると思いますので、楽しみにしていてください』
『ありがとうございます。設立15年を経てもなお進化を止めない”しまへびプロダクション”の今後に期待ですね!嶋田代表、ありがとうございました!』
画面内で咲き乱れる拍手に、笑顔でお辞儀して答える嶋田。
菜調はイヤホンを外すと、解放感を感じて”はぁ”と息を吐く。イヤホンをつけて映像を見ていると不思議と疲れるものだ。
眼鏡をはずし、目頭を人差し指でぐっと圧迫。凝り固まった眼がほぐれて、眼球の隅々に血流みたいなものが染み渡るのを感じる。
そのまま身体をゆったり伸ばそうとした時、隣から熱い眼差しが飛んでくるのを感じた。
隣を見ると、智歩がキラキラした瞳でこちらを見ている。
「カッコよかったなぁ~っ!嶋田さんっ!」
智歩は鼻息を荒くしながら、菜調の両手を握る。そのまま、勢いよく彼女の腕をぶんぶん振って、興奮した様子を見せる。
「凄いんですよ嶋田さんっ!”自分の手でスターを生み出す”という夢のために、事務所が大きくなった今でも、嶋田さん自身がタレントのスカウトやプロデューサーに関わってるんですっ!そして、そんな嶋田さんが次はどんなスターを輩出するか妄想するのを楽しむ”嶋田さんのファン”も多いみたいで……かく言う私も今はその1人で……」
「なるほど。それで、智歩はいつの間に、彼女のファンになったんだ?」
「日光の後にパフォーマンスを見ていただいた後に嶋田さんのことを調べたのがキッカケですっ!プロデューサーの端くれとして、尊敬しちゃいますよっ。いつか、嶋田さんみたいなギラギラ輝くプロデューサーになりたいなぁ……」
智歩は希望に満ちた表情で、具体的なプロデューサー像としての憧れを語っていた。すっかり、プロデューサーが板についてきたようだ。そんな智歩の様子を見ると、思わず顔が綻んでしまう。
「あれ、何で今笑ったんですか?菜調さん」
「いや、智歩がずいぶんと、前に進んだなと思ったんだ」
「……いえいえ、私はまだまだですっ!この前の夏祭りのプロデュースだって反省点ありますしっ!もっと頑張らなきゃですっ!……よしっ午後のお仕事も頑張るぞーっ!」
智歩は意気揚々とPCのメールボックスを開く。その瞬間、彼女の眼が大きく開かれて、指が震えだした。
口からは何か声にならないような音が漏れていて、かなり動揺しているようだ。
「え、うそ、え……?」
「ど、どうしましょう……」
智歩は震える腕をゆっくり動かして、PC画面をこちらに向ける。
「嶋田さんから、お仕事の話が来ました……」
第5章 夏祭りとクライマー 完
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