食べ歩き中毒
散歩を続ける中、突然、菜調がぴたりと移動を止める。
彼女の腕に引っ張られ、智歩もにわかにバランスを崩しながら急停止。
菜調の青い眼が指す先には、老舗の趣がある菓子屋があった。
縦向きで藁に突き刺さった串団子が円陣を組むように並び、炭火焼きで炙られている。ぷりぷりした大粒の餅が、優しいきつね色を浮かび上がらせている。
その中央は褐色に焦げている一方で側面が白さを残しており、均一ではない奥行きのある味わいを想起させる。
団子の棒の持ち手部分が異質な存在感を放ち、それは”串団子を手に持って、かじりつく”映像を脳裏に再生させる。
その団子が、智歩にはファンタジー世界の勇者の剣のように映った。それを引き抜くことが自分の使命であり、それを引き抜くことが幸せに繋がる、そう錯覚させる魅力があった。
そんなことを考えて立っている間にも、がら空きになった鼻の穴を香ばしい匂いが容赦なくくすぐる。
お手上げだ。完敗だった。
智歩は白旗を振る代わりに、財布から1000円札を取り出して掲げた。
「どうぞ、熱いので気を付けてくださいね」
智歩は両方の腕を出して、2本の団子を受け取った。当然ながら片方は菜調用なのだが、美味しい団子で両方の手が塞がるこの一瞬には、なんともいえない満足感があった。
片方を背後で待っている友人に手渡すと、通行人の邪魔にならない場所に移動してから、2人で団子にかぶりついた。
特に示し合わせてはいなかったが、そのタイミングは同時だった。
団子にかじりつくと、甘じょっぱいタレが舌に触れると食欲が刺激され、カードキーを翳されたかのように口内のスペースが開いてくる。
その空いた空間を今すぐ埋めてくれと、全身の細胞が叫び出す。
それに応えるべく、大粒の餅をかみちぎろうとする。しかし、餅も一筋縄ではいかず、びよびよと伸びながら、その存在感を誇示する。
ふと脳裏に、『大きなかぶ』の挿絵が浮かぶが、残念ながら口内におばあさんも犬もいない。顎と餅、食べたい私と伸びる団子。一対一のデスマッチ。
顔を赤らめるほどの勢いで、団子を口内に引きずり込む。
ぷつん、と 伸びた餅が切れ、ゴールテープを切ったかのように、ひらひらと餅の断面が宙を舞う。
バランスを崩した口内に、優勝賞品・アツアツの餅がどしりとダイブする。
体中の細胞がわぁっと歓声をあげ、胴上げをするように味蕾が餅にたかってくるような感覚がする。
弾力のあるもちを咀嚼すると、もちの歯ごたえが頭に満足感を与える。
それと同時に、これだけ食べ応えのある物体を胃袋にいれたらどうなってしまうのか?という期待で、胸と胃袋がぱんぱんに膨らむ。
何度も何度も噛んで、胃を徹底的に焦らす。
歯で餅をすりつぶし、舌で転がして形をそろえつつ、もち米の優しい甘みを拭き取るように堪能する。
口内で開かれた餅つき大会。観客の胃袋が大口を開けて待っているが、まだ与えない。もう少し餅つきを楽しませてくれと、頭を下げる。
こねて、潰して、こねて、潰す。
かき回すたびにもち米の甘さとタレのしょっぱさが、阿吽の呼吸で循環する。
胃袋からの催促のクレームを聞き流しながら、ひたすらに団子を口内で転がす。
そして、我慢できなくなったタイミングで、満を持して団子を喉に流し込む。
当然、一気に呑み込むと喉を詰まらせるので、口内で何等分かにちぎってからだ。
それでもなお強烈な”のどごし”のある団子の破片が、優しく、だが爪痕を残すように、食堂を降下する。
大口を開けてまちわびた胃袋に、ダンクシュートを決めるかのように団子が”ぼとん”と落ちる。休む間もなく、2つ目、3つ目。
待ちわびていた存在がやっと胃袋に届いたことで、安心感や達成感のような感情すら、身体の奥からこみあげてくる。
胃袋が落ち着いたところで。手元の串を見やる。
大粒の餅が、3つ中2つ、ふっくらまんまるの姿で待ち構えている。ついでに、噛みちぎった1個目の残りもある。
未だ、団子の半分も食べていないという事実が、唾液をせき止めていたストッパーのレバーを振り下ろし、次の瞬間には2つ目にかじりついた。
◇
「美味しかった~っ!」
すっきりスリムになった串を片手に、智歩は思わずお腹をさすった。
隣では菜調が目を細めながら、団子の余韻に浸っていた。彼女も団子を食べてリラックスできたようだった。
「美味しいものを食べると、やっぱり元気が貰えますねっ!」
「ああ。智歩と一緒の食事は格別だ」
「ですねっ!友達と一緒だと、いつもより何倍も美味しく感じますっ!」
それから菜調は、すっかり調子を取り戻した。
智歩にぴったりついていたのは相変わらずだったが、その額からは眉間のしわが消えていた。
そして、彼女はきょろきょろと視線を動かして飲食店を探しては、時折尻尾で智歩の足を止め、食べたいとアピール。
その度に2人で店に向かい、和菓子やドリンク、卵焼きなどを堪能した。
こうして食べ歩きを楽しむ2人は、人気のスイーツ店に並んでいた。
「すみません、どら焼き1つくださいっ」
「智歩は食べないのか?」
「そろそろお腹いっぱいで。1個まるまるはしんどいかもです……」
智歩は幸せそうに、甘ったるい吐息を吐いた。
「なら、私のを少し分けよう」
「そうですね、2人で食べましょうっ!」
仲良く話す2人のもとに、店員からどら焼が渡される。
たっぷりのクリームとあんこが詰まり、具材に持ち上げられてアコヤガイのように開いている。
その形のせいで、中身の具材が真珠のような宝物に見えてしまう。
智歩はそれを受け取り、菜調に手渡そうとした。
その時だった。
「まずは智歩が食べてくれ」
「え?」
確かにこのどら焼きは、ちぎった破片を渡してシェアするのが難しそうだ。
中央に球場のクリームの塊が詰まっており、外周は皮だけ、という構造になっている。そして、クリームの塊を上手く分割する難易度は高そうだ。クリームが地面に転げ落ちるという、最悪の未来すら見えてしまう。
であれば、1人が半分を食べて、その食べかけを残る1人が食べるのがベターだろう。
しかし、このどら焼きを買ったのは菜調である。彼女が食べかけを渡されるのは不適切だろう。
「えっと……菜調さんが最初に綺麗なのを食べてくださいっ!これは菜調さんのどら焼きなんですから」
その言葉に対して、菜調は
「……」
「どうしたんですか?菜調さん…………あっ」
――毒牙だ。そういえば、菜調さんはマムシだから牙に毒があるんだった。
「ごめんなさい、私が先に食べなきゃですねっ。忘れてました。……じゃあ、お言葉に甘えて食べちゃいますっ!」
智歩は、それ以上何も言わなかった。
そして、その言葉に驚く菜調を振り払うような勢いで、智歩はどら焼にかじりついた。
「…………ん、美味しいですっ。さぁさ、菜調さんもっ!」
口の周りに白いクリームをつけた女性が、元気よく食べかけのどら焼きを菜調に差しだした。
菜調はそれをぽかんと見つめていたが、智歩に促されて口を大きく開け、どら焼を頬張った。
主張が強すぎず安心感のある、身を埋めたくなるような優しい甘さが、彼女の口いっぱいに広がった。
「本当に、良いものだな。大切な人と、一緒に食事をするのは」
菜調は口を小さく開けて、その隙間から牙を見せながら穏やかに笑った。
◇
食べ歩きを満喫した後、2人は東照宮を見物した。
智歩は修学旅行で一度訪れていたのだが、それでも改めて楽しむことができた。大人になってからだと当時は気づけなかった面白さを見出せるものだ。
菜調も満足した様子で、東照宮を離れる時には「連れてきてくれてありがとう」と言っていた。ただ、人混みは相変わらず苦手なようで、薄く鱗が浮かぶ腕を、智歩に離さず絡みつけていた。
そんな2人は街の一角で、午後の予定について話していた。
「この後どうします?帰りの電車まで6時間くらいありますけど……あれ?」
智歩は街角の広場に、大きな人だかりを見つけた。
軽く100人……いや、200人はいるだろう。
何の集まりなのか気になる気持ちは否定できない。とはいえ、菜調を人混みに連れ込むのは気の毒だ。
ここはスルーしよう、と脚を逆方向に向けた。
その時だった。
「皆さんこんにちは~っ!ダンサーの
人だかりの中心から響く甲高い声が、縄で引っ張るように2人を引き留めた。
「千尋……あの”赤城 千尋”か!?」
「20歳にして海外の大会で活躍してる、今大注目のダンサーですよね!その彼女のパフォーマンスが、生で見られるんですか……!?」
「……智歩」
「はいっ!」
2人は自然と顔を合わせると、小さく頷いた。
そして、人だかりに向かっていった。
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