プロのパフォーマンス

「皆さんこんにちは~っ!ダンサーの千尋ちひろです~っ!」


 人だかりの中心から響く甲高い声が、縄で引っ張るように2人を引き留めた。


「千尋……あの”赤城 千尋”か!?」

「20歳にして海外の大会で活躍してる、今大注目のダンサーですよね!その彼女のパフォーマンスが、生で見られるんですか……!?」

「……智歩」

「はいっ!」

 

 2人は自然と顔を合わせると、小さく頷いた。

 そして、人だかりに向かっていった。

 

 智歩は密林で草木をかき分けるかのように、人混みの中から隙間を探す。つま先に力を込めて、ぐんと背伸び。菜調もにゅっと蛇体を伸ばし、人混みから顔を出している。

 

 カラーコーンで囲われた、テニスコート半分ほどの空間。

 そこに居るのは、主役、ただ1人。


 満員電車のように息苦しい観客スペースとは対照的に、ステージでは風が踊り、木の葉がくるくる回っている。

 そこを遮るものはなく、床のタイルの模様も遮られずに鮮明に見える。


 その中心に居たのは、グレーのパーカーに身を包んだ紅髪の女性。

 

 そして、小柄な彼女には2回りほど大きいパーカーの下から伸びるのは――ムカデの身体だ。

 黒い甲殻が、太陽の光を浴びてメタリックに輝いている。

 

 彼女は、下半身がムカデの”蟲人”なのだ。


「皆さん本日はお集まりいただきありがとうございます~!改めて、千尋と申します!”百足むかで”なのに”千”、で覚えてくださいね~っ!」

 

 ステージの中央で千尋は手を大きく振り、聴衆の注目を集める。彼女の首の裏からは三日月状の大きな顎が伸びている。黒いチョーカーみたいでオシャレだ。


「私の目標は、最高にカッコいいムカデのダンスで世界の頂点テッペンに立つことですっ!それを目指して、国内外で活動していま~すっ!今日は、皆さんにもムカデの演技が大好きになって、帰ってもらいますよ!」

 

 千尋は大げさな身振り手振りを交えながら、無邪気な笑顔を浮かべて演説。一連の話を終え、ファンサでどこかに向かって小さく手を振る。


 そして、赤髪の彼女は、唐突にうつむいた。

 寸前には笑顔を浮かべていた少女の表情を、灰色の大きなフードが覆い隠した。


 それに釣られて、観客たちの視線も自然と彼女の足元……ぴたりと止まったまま演技の開始を待つ、ムカデの身体に向けられた。


 その瞬間、誰かの指示があったわけでもないのに、客席のざわめきが鎮まった。

 

 ~~~♪

 

 BGMが鳴り始めた。

 律動的なベースの音が、耳を揺さぶる。心地よい低音が、一定周期で淡々と刻まれる。

 

 そのリズムに合わせて、ムカデの脚の1本が、こつこつと地面を叩き始めた。機械のように、一寸の狂いもなく。

 彼女の脚が楽器となって、音を奏でているようだ。


 少女の上半身は腕を組み、身体を小刻みに揺らしている。彼女のだぼだぼのパーカーが、ふわふわと宙で膨らむ。


 最初は1本だけだった動く脚の数が、次第に増えていく。単調だった動きのパターンも複雑化。地面についている15対以上の脚のそれぞれが、規則的に上下運動を繰り返す。


 たったそれだけなのに、気づけば彼女の脚に釘付けになっていた。”千尋の世界”に、誘われていた。

 

 いつの間にか、自分も足でステップを踏みはじめてしまう。

 自分だけではない。脚のある観客の多くが、リズムにその身を委ねている。菜調も尻尾の先を、ふりふりと動かしている。


 会場の一体感が、観客のボルテージをじわじわ高めるのを肌で感じ、鳥肌が浮き上がる。ベースが律動する中で、自らの胸がどくどくと音を立てるのが聞こえる。


 それに呼応するかのように、BGMにドラムが追加。

 乾いた打撃音が、規則的でありつつも激しく――まるで機関銃のように響き渡る。その衝撃が、ムカデの踊り子にスイッチを入れた。

 

 単調に律動していたムカデの脚が、波打つように1対ずつ持ち上がっては、下がっていく。


 ガラスを叩き割るようなドラムの音が跳ねれば、彼女の脚がぐわっと持ち上がる。3m以上の巨体が、小さくジャンプ。黒い身体が小さく宙に浮き、軽やかに着地。

 身体が軽いからか、着地音は”すとん”と控えめ。彼女の脚の隙間を風がふわっと流れる。

 見ている自分も、軽快にスキップしたくなる。

 

 思わず飛び上がりそうになった。

 その瞬間、場の重力が”ずん”と重くなった気がした。


 BGM、停止。

 機械のコンセントが抜かれたかのように、彼女の身体の端から、脚の動きが止まっていく。


 そして、彼女の全身がぴたりと止まった。瞬きすらしていない。

 彼女の背中を小突いたら、無抵抗に倒れてしまいそうだ。


 突然に走る緊張感。智歩はごくりと唾をのむ。

 立ち込めていた熱気が、ずんと沈んで、地面に溜まっていく。

 

 ”がばっ”と飛び起きるように、少女が顔を上げた。

 フードが脱げ落ち、緋色のショートヘアがふわりと膨らむ。 前髪の隙間から、橙色の触角がぴょんと跳ねる。


 燃えるような赤い瞳が大きく開かれ、力強く観客席を見つめる。獲物を前にした獅子のようだ。


 きつく結ばれた口の両端が小さく持ち上がる。

 それは笑みであったが、演技前の朗らかな様子とはまるで別物だ。

 世界全部を喰ってやるとでも言わんばかりの、自信に満ちた不敵な表情。

 口の中から、巨大なペンチのような大顎がぎろりと光を放つ。

 


 千尋は太陽めがけて腕を大きく掲げ――パチン、と指を鳴らす。

 

 雄叫びをあげるようにBGMが復活、ギターがメロディを激しくかき鳴らす。

 

 駆けあがるように高くなる音に呼応して、千尋はムカデの身体を螺旋状に曲げて、上方向に人体を持ち上げる。

 

 2回転の螺旋を描いた上で、余った腰付近のムカデ部分を、ピンと天に向けて伸ばす。


 若い女性の人体が、一面に透き通る青を背景に、空に掲げられる。

 その様子だけ切り取れば、長いハシゴを使った曲芸だ。


 赤い髪の女性はまたしてもうつむき、観客の視線を下に誘導。


 螺旋を登っていくように、脚が下部から順々に、加速するように展開される。


 そして、腰の直下にある脚までに”波”が到達すると、少女が顔を上げながら両腕をいっぱいに広げる。


 天を仰ぐ観客、沸き立つ歓声。鳴り響くシャッター音。

 100人を超える観客が、1人の舞に翻弄されるまま、上下に顔を動かしている。彼女の百の足が、操り人形の糸を引いているかのよう。


 しかし、智歩達に不快感は無い。彼女に身を委ね、彼女の思うが儘にされることに、快感すら覚えてしまう。

 その一体感が観客をさらに興奮させ、会場のボルテージを高めていく。

 

 千尋は螺旋階段を駆け下りるように身体を畳むと、今度はムカデ部分の1/3ほどで地面をしっかりと踏みしめ、残りを天高くつき上げる。

 今度は、彼女の頭を上を向いたまま。


 黒い背中とは対照的な、橙色の腹部が見せつけられる。

 燃えるような色の身体が塔のように伸びる様は、まるで炎の柱が吹きあがるかのよう。


 腹部もまた光沢のあるツルツル質感で、日に当てられ白い光をぎらぎら放ち、その存在が”太陽”のイメージをより強固にする。

 

 そのまま彼女は空中で身体の節々をくねくねと曲げて蛇行させ、屏風に描かれた東洋流のような体型をとる。

 

 伏せるように上半身を水平にしながら、蛇行する身体を激しく揺さぶる。

 加えて、龍の鱗や触角が風にたなびく様を想起させるように、空中の脚を水平方向にゆったりと伸ばしてゆらゆら揺らす。

 

 彼女は全身で、悠々と飛ぶ龍を演じていた。


 日光という土地と演目の親和性もあったことで、会場の熱気も最高潮に。

 智歩も思わず黄色い声援を飛ばす。手元にうちわかペンライトでもあってほしいものだ。


 これはチケットを購入して参加するような音楽ライブではなく、ストリート上での自由に観覧できるパフォーマンス。恐らく、自分だけでなく多くの観客が初見であるはずだ。それなのに、示し合わせたわけでもないのに、会場は1つになっていた。


 その後も彼女は周囲の空気を掌握しながら、ムカデの身体をダイナミックに使った演目を続けた。


 そんな彼女の演技は、ムカデならではの動きがとにかく印象的だった。

 それは単なる”ダンスが上手い”という感想ではない。”ムカデの魅力”が、びしびしと伝わってくるのだ。


 彼女の動きが”下半身がムカデだから可能”ということを、強烈に意識させられる。ムカデ蟲人の”可能性”に引きつけられ、わくわくしてしまう。

 千尋は無言でぱきぱきと踊っているのにも関わらず、『ムカデは凄いんだぞ!』と大声で叫ばれてるみたいだ。


 そして、その気持ちは自分だけではないようだ。

 周囲の観客の誰もが、ムカデの身体に夢中になっている。種族の垣根を超えて、ムカデの舞が、世界を1つにまとめあげている。


 その時、ふと思い出した。

 彼女が語った、”ムカデのダンスで世界の頂点に立つ”という言葉が。

 ――いや、最初からずっと、意識の裏にあったのかもしれない。


 ムカデの魅力を、これでもかと見せつけるパフォーマンス。

 グローバルな舞台で勝ち抜くという覚悟。


 彼女の演技は、雄弁にそれを語っていた。

 

 

    ◇


 

 「ありがとうございました~っ!」


 大歓声と共に、約10分の演技は幕を閉じた。


 地面にしっかりと足をつけた彼女が、ステージ中央で大きく手を振る。

 すると、それに呼応して群衆から無数の手が伸びる。

 

――千尋ちゃーん!

――サインくださいっ!

――今度はウチの地元にっ!

 

 千尋は会場をぐるりと見やると観客に近づき、腰回りの脚で投げ銭用の箱を持ちながらファン対応を始めた。


「お客さんいつも来てくれますねっ、2年前からずっと応援してくれて嬉しいです!……そちらは初見様ですか!?ありがとうございますっ!」

 

「握手ですか?良いですよ……となりのお姉さんも?そちらの男性もっ?待って待って押さないで!脚ならいくらでもあるからっ!……いや、意外と希望者多いなぁ!?」

 

「はい、学生とダンサーの二足の草鞋わらじでやらせてもらってます!いや、私二足だけ草鞋履いても、意味ないんですけどね~」

 

「人間国宝?言い過ぎですよ~でも世界遺産ならいけるかな?機械みたいなステップ踏んでたら、地元で”歩く富岡製糸場”なんて言われてたり……なんちて」


 彼女は冗談を交えつつ、明るい笑顔を観客の1人1人に向けていた。

 友人と雑談するようなフレンドリーな態度を、無数の観客に余すことなく伝えている。その姿からは、高いプロ意識が伺えた。

 

 勉強になるな、と智歩はその姿を必死に眼に焼き付ける。

 


 一方で、菜調の意識は、未だ千尋の演技を反芻することに向けられていた。


 演技の技術力、構成、会場の盛り上げ方……そのどれもが一級品として、菜調の目に映った。


 彼女の演技自体は、勉強のために映像では何度も観ていた。しかし、現地の熱気を浴びながら、肉眼でパフォーマンスを見るのは別物だ。改めて、プロの実力、プロの世界を再確認した。


 他人の演技で、魂が底から揺さぶられる……。そんな彼女にとっては久しい感覚だった。

 

 種目こそ違うものの、彼女の演技は自分より何歩も先を行っている。自分に足りないものを、彼女は持っている。

 

「……世界って、広いんだな」


 菜調がぼそりと口からこぼすと、智歩もゆっくりと頷いた。

 

 2人が顔を見合わせると、示し合わせることもなく、自然に感想戦を始めた。

 菜調もどうやら、智歩と同じことを彼女のパフォーマンスから感じたようだった。



     ◇



 2人は時間も忘れて、夢中で会話をし続けた。

 

 その時、前方からぐんと腕が伸び、2人の肩をぐっと掴んだ。

 

「ねぇっ!」

 

 それぞれパフォーマンスのことで考え込んでいた2人は、居眠りを叩き起こされたかのように驚く。


 目の前にいたのは、赤髪のムカデ少女だった。

 他でもない、プロダンサーの千尋だ。

 

 智歩は慌てて、きょろきょろと周囲を確認する。


 いつの間にか、他の観客はすっかり立ち去っていて、ステージも片付けられていた。

 そこに居たのは智歩と菜調、そして千尋だけだ。強いて言うなら、遠くの物陰から名残惜しそうに、数名のファンが千尋を眺めていた。


 きょろよろする智歩に対して、千尋が「こっちを見ろ」と言わんばかりに、力強い目線を向ける。

 そして彼女は、小声ながらも自信に満ちた口ぶりで、こう言った。

 

「君達、同業者だよね」

 

 2人は困惑しながら顔を見合わせる。再び2人は正面を向くと、菜調が小さく頷いた。

 

 「やっぱりっ!」


 千尋、小さくガッツポーズ。ムカデの身体を曲げて胴を伸ばすと、2人の間に顔を近づける。

 首を左右に振って、触覚を揺らしながら周囲を確認。そして、ひそひそと囁いた。


「ねぇ、今から時間ある?」

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