果実シロップと着色料

「ねぇ、今から時間ある?」


 若きプロダンサーからの突然の誘いに、2人は困惑し、再び顔を見合わせる。

 

「待って待って、そんな怪しい誘いじゃないから!近くでお茶したいのっ!」


 千尋は小声で叫びながら、両手の平を合わせて”お願い”のポーズ。腰付近にある3対の脚も、同じようにポーズを取る。

 それと同時にぺこりと頭を下げ、額の触角も垂れ下がる。

 

「どうします……菜調さん?世界で活躍するダンサーからお話を聞けるのは魅力的ですし、私は彼女に着いていきたいのですが……」

「私も、彼女から学びたい」

「わかりました!……千尋さん、私達は大丈夫です!」


 千尋は触角をぴんと立てながら、「やったぁ!」と無邪気に叫んだ。

 

 その瞬間、会場の外側から小さなざわめきが聞こえた。

 直前までまっすぐだった千尋の視線がふわふわ泳ぎ出す。その顔には「まずい」と書いてあった。

 彼女の挙動は、パフォーマンス以外でも雄弁なのかもしれない。


 ざわめきが落ち着くのを待ってから、千尋は「こほん」とわざとらしく咳払い。


「アタシ、良いお店知ってんだ!行くよっ」


 千尋は2人の腕を引いて、駆け出した。



     ◇

 

 

 3人が向かったのは、子洒落た和風のカフェだった。案内されたのはテラス席。和傘を模した大きなパラソルが影をつくっていたので、快適に過ごせそうだ。


 千尋はムカデの身体で大きな曲線を描いて、智歩達の向かい側の席に向かう。 暖かい色の木材ウッドデッキに、メタリックな黒い甲殻が映えている。

 そして、ベージュ色のつやつやしたムカデのお腹を見せながら、椅子に腰かけた。


「ささ、2人も座って~!」

 

 テラスの周りは花が咲く低木で彩られている。その上を蝶がひらひら舞いながら、たまに花の蜜を吸っているのが楽しそうだ。

 その根元では、小鳥が食べかすを突ついている。

 

 彼らの幸せそうな姿を見ていると、この店のドリンクやスイーツも、甘くて美味しいんだろうなと期待が膨らむ。

 最後に食べ物を口に入れてから少し時間が経っていたので、スイーツ1皿くらいなら食べられそうだ。


「どう?良い雰囲気でしょ。かき氷が美味しいんだよ~。日光のかき氷は凄いんだぜ!」

「ありがとうございます。えっと……なんで菜調さんが……隣にいる蛇人ラミアの彼女がパフォーマーだと分かったんですか?」

「眼だよ、眼っ!君達、他の観客さんと目つきが違ったからさぁ~!」


 千尋はぱちりとウインクを決めながら、開いている方の眼を細い指で示した。赤い瞳が、きらきらと光っている。


「……ま、100%の確信を持ったのは、君達の感想戦を聞いてだけどネ!それよりも、キミ達の名前は?」


 千尋は両手をテーブルについて、前のめりになった。

 その視線は、菜調に向けられていた。彼女の触覚が、ぺちぺちと菜調の額に触れている。

 彼女の眼差しは熱くて、傍から見ていても熱を感じてしまいそうだ。

 

 そんな彼女に菜調は若干たじろぎ、身体を後方に引く。視界の隅では、もぞもぞと蛇体が動き、鱗がちらちら光っているのが見える。

 菜調の背中が、ウッドチェアの背もたれにつく。彼女が椅子の背もたれに背を付けている姿が少し珍しくて、一瞬だけ見入ってしまった。

 

「……菜調だ」

「オッケー、菜調ちゃんね!」


 ムカデ蟲人は目を細めてうんうんと頷くと、前のめりのまま腰をぐにゃりと曲げ、こちらに顔を向けた。右手をテーブル上に立てたまま、左手で指指しポーズを得意げに決める。


「キミの名前は!?」

「はいっ、菜調さんのプロデューサーをしている高崎智歩ですっ!」

「プロデューサーかぁっ!智歩Pっ!よろしく~っ!」

「ち、ちほぴ……」


 いきなりあだ名みたいな呼び方をされて、少し困惑。彼女のテンションについていくのには、気合いが必要そうだ。

 一方の千尋は、そんなこと気にしない様子。今度は自分の目の前で、赤髪から伸びた触覚がぶんぶん揺れる。千尋は話を続ける。 


「良いなぁ~。アタシも智歩Pみたいな、可愛いプロデューサーが欲しいなぁ~っ。アタシのPは敏腕だけどおじさんだからさぁ。ねぇ智歩P、アタシのプロデューサーにもなってくれない?」


 刹那、冷たい気配が隣から突き刺した。

 

 菜調の瞳が、ぎろりと千尋を睨んでいたのだ。

 それだけではない。 机の下では蛇体を伸ばし、智歩と千尋をさえぎっていた。


 千尋も瞬時にその様子を察知。ムカデの身体を、ささっと椅子の後ろに引っ込める。彼女は何事もなかったかのようにニコニコと笑いながら、脚でとんとんと地面を突く。


「冗談だよ冗談っ!そもそも、アタシの敏腕Pもおいそれと手放せなせないしっ!」


 千尋は自分の触角を指で弾くように弄りながら、話をつづけた。

 

「さて……じゃあアタシも改めて自己紹介っ!赤城千尋、群馬出身の20歳!プロダンサーやってま~すっ!」


 千尋は腰付近の脚を腕組するように曲げながら、どんと胸を張った。


「私も20歳です!菜調さんもそれくらいなんでしたっけ?」

「ああ」

「やったーっ!同年代っ!」

「しかし、群馬出身の蟲人って珍しいですね。確か、あの辺りに蟲人さんの居住区は無かったですよね?」

「ないよ!学校とかでも、周りに蟲人ほとんどいなかったし」

「た、大変ですよね、それ……」

「いや、助けてくれる友達がたくさんいたから、特に困ることは無かったかな~っ!」


 千尋は右手でVサインを掲げながら、からっと笑う。

 彼女は笑顔を浮かべながらあっさりと話したが、その道は決して平坦ではないはずだ。

 彼女の積極的なコミュニケーションも、もしかしたら異種族に囲まれて生活するる上での、生存戦略の賜物かもしれない。その仮説を意識した途端、千尋というムカデ蟲人への興味がいっそう湧いてくる。


「お待ちどうさま、かき氷です」


 思考を遮ったのは、横からの大人の声。かき氷3つが、テーブルに並べられる。


 菜調はブルーベリー、そして智歩と千尋はマンゴー味だ。


 降ったばかりの雪のようにふわふわした氷には、鮮やかな黄色のグラデーションがかかっている。その上には、マグマみたいにどろどろしたジャムが垂れている。”炎と氷”のように排反する2つが1つの器にすっぽりとはまっているのが芸術的だ。


 その中には、ごろごろした果実。かき氷なのに”食べ物”としての歯ごたえがありそうで、涎が出てしまう。


「うっひゃ~~っ!!これ美味しいんだよぉ!」 

「そんなに美味しいんですか?お店のかき氷って食べたことなくて」

「食ってみ~、特に日光のは本当に凄いから。もう二度と、家のかき氷機でガリガリできなくなっちまうぜ?」

「かき氷機は長いこと使ってないが……」

「菜調さんはどちらかというとアイスの方が好きですもんねっ!それより千尋さん、日光のかき氷は一般家庭のものと何が違うんですか?」

 

 千尋は”よくぞ聞いてくれました”と言わんばかりに、左手をぱちんと鳴らす。そのままスプーンをつまむと、その先端を上下に揺らしながら得意げに話す。


「日光のかき氷はねぇ、自然の寒さで作られた”天然氷”を使ってんだ!だから、氷の中に不純物が入らないんだよ!繊細で、ふわっっふわの口当たりになるんだよ!」

「なるほど。もしかして、かき氷専用の氷が使われてるってことですか?」

「イエスっ!今からアタシらが食べるかき氷のために、冬から手間暇かけて仕込まれてるんだぜ!」

「す、すご……」


 彼女の熱弁は、氷を溶かしてしまいそうなほどだ。まあ、彼女の話し方に関係なく、夏に屋外でかき氷を放置したら溶けるのだが。

 彼女の解説は興味深いが、それに夢中になってる場合ではなさそうだ。


 そんなことを智歩が考えていると、細い指が肩を突いた。横を見ると、菜調は既にかき氷に手をつけていた。


「旨いぞ、智歩」

「でしょでしょ~菜調ちゃんっ!ささ、智歩Pも食べなよ!」

「そうですね!いただきますっ!」


 雪道に長靴を踏み入れるような気分で、智歩はかき氷にさくっとスプーンを入れる。


――確かに、旨いっ!


 優しくてふわふわな感触が少しだけ口に広がり、静かにすっと消えていく。立つ鳥跡を濁さず、という言葉が自然と脳裏に浮かぶ。

 中途半端な氷を齧った時の、ぐじゅぐじゅした嫌な感触がどこにもない。


 一口、二口、ぱくぱくと食べられる。

 口に入れるたびに、一瞬で氷はとけてなくなる。だから、すぐに次を食べたくなる。

 

 かき氷の”ふわっ”の中に、果実の”ごろっ”とした触感が突然現れて、アクセントを効かせるからどれだけ食べても飽きない。

 大粒の果実を思い切り噛みしめれば、破裂するように甘酸っぱさが広がる。そこに少しの”くどさ”を覚えても、目の前の氷の塊を口に運べば、口内はさっぱりとリセット。

 

 そして、どれだけ食べても頭がキーンとならない!スプーンの止め時がわからない!

 これは……こんな体験したことがない!単なるスイーツの枠に入らない、最早一種のエンタメだ!


 

 それから智歩は、夢中でかき氷をもぐもぐと食べ進めた。


 とにかく、氷の舌触りと触感が絶秒であった。

 かき氷としての提供を見据えて、かき氷のために手間とコストを惜しまなかった成果。それが、口いっぱいに伝わった。


 途中で、菜調とかき氷の一部を交換したりもした。

 すまし顔の彼女は机の下で尻尾をぶんぶん振っていて、とても嬉しそうな様子だった。

 

 かき氷を半分ほど食べ進めると、智歩は突然、千尋の手にとんとん、と叩かれる。


 わけもわからず顔を上げると、赤髪の女性が大口を開け、”べぇ”と舌を出している。

 マンゴーシロップのかき氷で、舌は黄色く染まっていた。


 そんな彼女の大きく開かれた口内に生えていたのは、見慣れた”人”の歯だけではない。

 口内の左右の側面から、カニのハサミのような大顎が、ワイルドに生えていた。


 中央から垂れるファンシーな色の舌とは、どこかミスマッチな印象だ。

 それがどうにも可笑しくて、思わず吹き出してしまう。


 「見たかぁ!千尋ちゃん秘伝、百発百中にして百戦無敗の大技よ!」


 千尋は、身を屈めながら右手で大きくガッツポーズし、喜びを顕わにした。


 智歩は笑いすぎたあまり、せき込み始めてしまう。それを見た菜調が、すっとドリンクを智歩の目の前に寄せたので、智歩はありがたく受け取った。


「……ふぅ、落ち着きました。菜調さんありがとうございます。……そういえば、何でかき氷を食べると舌が変色するんですかね?」

「ふっふっふ……それも千尋先生が教えてしんぜようっ!下の色が変わるのはね、着色料だよ!」

「着色料……?」

「一般のかき氷のシロップは実は全部同じ味……みたいな話は聞いたことある?」

「なんとなくは聞いたことありますけど、詳しくは知らないです」

「おっけ!まず、”ほとんど”同じ原材料のシロップを、着色料でカラフルに染める。そしてぇ、風味のモトをひとつまみっ!……するとあら不思議、色んなフレーバーを表現できてしまうのだっ!……で、この時使われた着色料が、舌を染めてるってワケよ!」


 智歩は長年の疑問の答えをスッキリすると共に、この店のかき氷の美味しさにも納得がいった。

 本格的な店のかき氷は、一般的なそれとは全くの別者なんだ。風味付けするだけでなく、具材として果実を使っているから、想像つかない美味しさなんだ。

 

……いや待て、何かおかしいぞ。


 智歩が疑問を感じた直後、隣の菜調が口を挟む。

 

「待て、赤城。このかき氷は果実シロップだぞ」

「鋭いねぇ~菜調ちゃん。確かにその通り、一般的には果実シロップと着色料は同時に使われないっ。……ただ、この店のマンゴーとブルーベリー味は珍しく…………着色料を少しだけ使ってるっ!」

「確かに、メニューにも書いてあるな」

「ホントですね、いったい何で……?」

「そこはね~アタシもわかんない。映える見た目にしたいとか、外国人観光客に舌を染める体験を提供したいとか、理由は思いつくんだけどね」

「あの……千尋さん。もしかして、コレのためにこの店を?」

「さぁ~?どうでしょう~」


 千尋が遠くを見ながら口笛を吹く一方で、菜調は自分のかき氷を見やった。智歩から貰ったマンゴー味と自分のブルーベリー味が混ざっている。

 菜調は顔を横に向け、千尋と笑いあう智歩を無表情でじっと見つめる。


 菜調は何か考えると、スプーンでかき氷を一口。それを呑み込んでから、智歩の腕を小さく揺さぶる。


「ん、何でしょう菜調さん……ぷっ」 


 智歩が振り向くと、菜調が小さく二股の舌スプリットタンを出していた。その先端は、それぞれ黄色と青に染まっていた。

 

「ぷっ……ははははは!菜調さん……っ!」

「ぶわっはっ……菜調ちゃん、最高ぉーっ!」


 智歩が思わず笑い、横からそれを覗いていた千尋も吹き出しながら手を叩いて声を上げた。

 菜調は智歩をじっと見つめ、千尋にも少しだけ視線を向ける。そして舌を出したまま、小さく口角を上げた。

 

 それから3人は、残り半分ほどになったかき氷を食べ始め、あっという間に完食してしまった。

 氷は舌に触れた途端にすっと消えてなくなったが、この時間はいつまでも反芻したいほど充実していた。

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