いざ日光へ!
~数日後・早朝~
栃木への日帰り旅行の当日。
待ち合わせ場所である駅のホームに、智歩は向かっていた。
いつも使う駅だけれど、今日のホームは普段と反対側。
見慣れたはずだけど、いつもとは少し違う景色。電車を待つ人の数や装い、線路の向こう側に見える大きな看板。駅内放送の声色も、普段のものとは微妙に違う。いわゆるパラレルワールドというやつに迷い込んだような気分だ。
こんな微妙な非日常が、目的地に向かうにつれて、グラデーションとなって少しずつ膨らんでいく。日常を離れていく景色に、加速度的に胸が高まっていく。そして気が付いた時には、未踏の土地に誘われている……そんな旅行の体験が、大好きだった。
高揚した気分に酔いながら、同行者を探した。
白いシャツの上に藍色のジャケットを着たマムシの
「お待たせしましたっ!」
智歩は両腕でリュックサックの肩紐を掴みながら、笑顔たっぷりの上目遣いで声をかけた。
それとほぼ同時に青髪の
「この前に一緒に買ったジャケットだ!着てくれて嬉しいです!」
「ああ、とても気に入っている」
菜調は目を細めながら、両手で藍色ジャケットの端をつまんでぱたぱたさせる。
智歩はその姿をじっくり堪能した後、その内側のTシャツに目を向ける。そのシャツの柄には、見覚えが無い。
「私の知らないシャツ!菜調さんが選んだんですか!?」
「これは……数日前に買ったんだ」
菜調は目線を少し逸らした。折角なら智歩と一緒に選んだファッションで揃えるべきだったな、と菜調は申し訳なさを覚えた。
謝罪をしようと口を小さく開く。その時、智歩の明るい声が割り込んだ。
「嬉しいですっ!!!」
「……?」
菜調は目をぱちぱちさせながら、鼻息を荒くしている智歩を見つめた。何で彼女は一緒に買った服を着ると喜ぶのに、1人で買った服でも喜ぶのだろうか。暑さでやられてしまったのだろうか。熱があるようには”視えない”が……。
「智歩、大丈夫か?」
「え、あぁ……興奮しすぎちゃいました。菜調さんがオシャレを好きになってくれたのが嬉しくて!……実はあの後、ちょっと考えたんです。もしかしたら菜調さんは、無理に私に合わせて、付き合ってくれたんじゃないかって」
「優しいんだな、智歩は」
「自分がやりたいことを押し付けるプロデューサーには、なりたくないですからねっ」
智歩は菜調の顔を見てにやっと笑うと、鼻歌を歌いはじめた。
「楽しそうだな。いつも以上に」
「好きなんです、旅行!」
智歩はるんるんとした足取りを隠さない様子で、菜調と並ぶようにホームの壁にもたれた。
「慣れてるのか?」
「ええ。家族が旅行好きで、色々な連れていってもらったんです。例えば、小さいころに
智歩はバケットハットのつばを片手で弄りながら、霞のような雲が浮かぶ空を見上げた。
彼女は話の流れに沿って幼少期に旅行した出来事を思い返していた。土足文化に混乱したり、料理に感動したり、現地の子供と仲良くなったりと、色々な思い出がぼんやりと浮かぶ。
智歩が思い出について語ろうとした時、突風が彼女の顔に横から吹き付けた。
片手でハットを抑え、両脚を強く踏みつける。
巨大な鉄の塊が、轟音を立てて目の前に滑り込む。
青空に代わって、特急電車の行き先の表記が、視界の上面に現れた。
「……今は過去の思い出よりも、菜調さんとの時間ですねっ!行きましょうっ!」
智歩は横を振り向いて”にっ”と笑うと、菜調の手をぎゅっと掴んだ。
◇
~栃木県 日光市~
「とーちゃくっ!」
智歩はバネの力を効かせるような勢いで、駅の出入り口からの一歩を踏みしめた。
かんかんと照らす夏の日差しが、車内の冷房に何時間も晒された身体を叩いて起こす。
だが、それは不思議なことに、不快では無かった。
寒暖のギャップが、日常と非日常を隔てる扉をくぐったことを告げているようにすら思えた。
智歩は思わず身体を縦に大きく伸ばす。長時間座って固まった身体をほぐすと共に、太陽を全身でたっぷり浴びようとした。
一方の菜調は、数歩引いた場所にある日陰から智歩を見守っていた。
「あー、日陰から出られないんですね」
這って移動する彼女にとって、真夏に熱されたコンクリート上の移動は困難である。”普通の蛇”に比べれば遥かに耐性は高いのだが、それでも避けられるなら避けたい。
「私が温度確認します!菜調さん、待っててくださいねっ!」
智歩はおもむろに膝を曲げて屈むと、指先で地面を撫でた。
「あづっっっ!」
指先を、焦がすような熱が襲う。
”じゅわっ”という音が鳴りそうだ。
智歩は吊り上げられた魚みたいに、跳ねるように慌てて手を離す。
彼女はぱたぱたと指を振りながら、菜調の元に駆け戻った。
「熱いですっ!私も、ここを素足で歩くのは嫌ですよぉ~」
「……視ればわかる」
「それができるのは菜調さんだけですっ!……あ、だったら私が確かめなくても良いじゃんっ!私のばか!」
◇
2人は送迎用のバスを使って、東照宮付近にたどり着いた。
「日光に来たらなら、折角だし東照宮を観たい」という、菜調の強い希望によるものだ。
観光地ど真ん中となれば、様々な種族の観光客に向けたバリアフリーが充実してくる。
具体的には、地面には打ち水のように水が撒かれていて、床の熱が対策されていた。
……しかし、それとは別の問題が、菜調を消耗させていた。
彼女は智歩の腕をがっしりと掴みながら、智歩のすぐ側を離れずに移動していた。
相変わらず、表情は冷静さを保っている。しかし、細長い瞳孔が浮かぶ瞳の視線は、ふらふらと泳いでいた。
「菜調さん、人混み苦手なんですね……」
「……すまない」
丁度お盆休みなこともあり、そこへの道のりは満員電車のように、様々な種族の観光客でごった返している。
他の通行人の顔が近くて、呼吸にも僅かな息苦しさを覚えるほどだ。
しかし、
何故なら、それは彼らの生活圏で発生し得ない事象だからだ。
半人半蛇の人々が密集しても、密度が高いのは地面付近の蛇体部分だけ。
地表から離れた部分はスカスカで、人体同士には常に一定の距離が保たれる。
そのため、彼らは”上半身の密度が高い”空間が不慣れなのだ。
赤信号。
足を止められる。菜調は目線を泳がせながら、ぎゅっと小さくとぐろを巻いた。
智歩は膝を曲げて、菜調に優しく話しかけた。
「……大丈夫ですか?やっぱり静かなところに行きましょうよ」
「いや、問題ない。行かせてくれ」
菜調はキャップを深くかぶり、つばで顔を隠す。
「そうですか……。本当に辛かったら言ってくださいね」
「ああ。ありがとう、智歩」
菜調はとぐろを解くと、代わりに智歩の左足をぎゅっと握った。
彼女に頼られることが、智歩は少し嬉しかった。
常にポーカーフェイスで冷静沈着、ストイックで芯が強い。先日嶋田さんと相対した時も、彼女は怯んだ様子を見せていなかった。パフォーマンスについて色々教えてくれるし、料理を振舞ったりと生活面での世話も焼いてくれる。
……そんな彼女は、私にとって頼れる存在だ。一人っ子の自分は幼少期に「もし姉がいたら」と夢想したものだが、その模範解答が彼女かもしれない。
そんな彼女だが、最近はプロデュースでも日常生活でも、時折自分を頼ってくれるようになった。
それが、どこか嬉しかった。
彼女はかっこいい大人であると共に、夢に向かって輝いている憧れの存在だ。
そして、いつかは自分も、彼女のように輝きたい。
だからこそ、彼女の背中を追うだけじゃなく、助け合える存在になれたら……。自分自身も、輝きに近づけているように思えた。
◇蛇足のコーナー◇
「蛇がとぐろを巻くのには色々な意味や効果があるとされている。例えば一説には、『熱を逃がしにくく、体温を維持できる』というものがある。変温動物としては、体温の維持は重要なんだ」
「なるほど、寒い時に腕を組んだり縮こまったりする的な……」
「ああ、他には『エネルギー消費を抑えられる』という説もあるな。リラックスする時にとぐろを巻くんだ」
「なるほど……とぐろって奥が深いんですね」
「ただ、私の場合は単にコンパクトで便利な姿勢だからとぐろを巻くことも多い。それに、蛇に関しても、とぐろについてはハッキリとはわかっていないんだがな」
(……他にもとぐろの効果ってあるのかな。調べてみよう。……なるほど、警戒姿勢という説もあるのか。頭部を攻撃されづらくなる上に360°からの脅威に対応しやすくなる……凄いなぁ)
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