第4章 ムカデとかき氷
新たなステージ、新たな課題
2025年8月8日(土) 晴れ
ブランディングに力を入れるべく撮影したドキュメンタリー動画に、それなりの効果が見えてきた。
撮影中には菜調さんが「セルフプロデュースできていない自分は本気じゃない」みたいなことを言いだして心配だったけど、今ではいつもの菜調さんに戻ったので安心だ。そして、念願のイベント招待をいただくことができた!
最近は菜調さんに頼られることが、さらに増えた気がする。
自分の夢は見つけられていないけれど、この時間は心から楽しめている。
◇
~ショッピングモール イベント関係者スペース~
祭の提灯みたいに横並びした、丸い照明が白い光を放つ。その光が、清潔感のある真っ白のタイルに映って、床にもぼんやりした白い塊が浮かび上がっている。壁面には、美容室みたいに鏡がずらりと並ぶ。
そんな部屋の中央に置かれたのは、これまた色飛びしそうなくらい真っ白なテーブル。
眼がちかちかしそうな、白い空間。条件だけ並べれば、医療系の施設を想起してしまいそうだが、決定的な違いが1つ。
部屋に響くのは、心を沸かせ身体を躍らせるような声援だ。
そんな部屋でスーツ姿の大人が往復する中、同じくスーツを着た智歩が椅子に腰かける。
彼女の近くには、ミニひまわりのブーケ。黄色と橙色の花々の隙間からひょこっと飛び出した紙のプレートには、こう書かれていた。
『祝 御出演 菜調様』
そう、菜調たちは商業施設のイベントに招待されて、パフォーマンスをしていたのだ。
他の演者の前座だが、それでも『イベントでのパフォーマンス』という念願が叶ったのだ。
『新蛇祭』参加、そしてパフォーマーとしての大成。
彼女の夢の実現に向けた、大きな大きな一歩だ。
智歩はモニター越しにイベント会場をうっとり眺めつつ、外から漏れる菜調への声援に耳を澄ませる。
丁度パフォーマンスが終了し、無数の観客から拍手の嵐が巻き起こっている。
映像を見る限り、軽く100人はいるようだ。
部屋の中では、菜調の次に出番がある演者と関係者がばたばたとしていた。しかし、智歩はそれが意識に入らないほどに、感慨にふけっていた。
そんな彼女にも、1つだけ聞き逃さない音があった。
楽屋の扉が開き、演者が――菜調が戻ってきたのだ。
顔はすっかり火照っていて、呼吸は粗くなっていた。
身体からは疲労が滲みだしていた。蛇体も床に落とした餅のように、ぺたりと地面に貼りついている。
しかし、その様子はどこか爽やかだった。相変わらずのポーカーフェイスだが、普段よりわずかに眼が開いている。彼女なりの形で、達成感が表情に現れているようだ。
そんな彼女に、智歩は飛びつくように駆け寄った。
「お疲れ様です、菜調さん!大っっ成功ですよ!見ましたか?たっっくさんのお客さんの拍手!」
「ああ。壮観だった」
子供のようにはしゃぐ智歩に、菜調は穏やかな笑みを浮かべる。彼女は落ち着いた様子のまま、用意されていた水のボトルに手を伸ばす。
そんな彼女も、テーブルの下では犬のように尻尾をゆらゆら揺らしていた。
「菜調さんもついに、ここまで来たか~って感じがしますね!」
「ああ。これも智歩のお陰だ」
「いえいえっ!この調子で『新蛇祭』まで駆け上がっちゃいましょうっ!」
笑いあう、2人の若者。
控室の外では次の演者がパフォーマンスを始めていて、その歓声は控室にも漏れ出していた。
しかし、2人はそれを気にもしない様子。2人だけの世界で、余韻に浸っていた。
がちゃり。
部屋の扉が開き、1人の女性が現れた。
中年の
その瞬間、周囲のスタッフや演者の視線が、一斉に彼女を向いた。誰もが、一挙手一投尾に釘付けになっていた。
ここは舞台裏。……なのに、彼女は
智歩もその気配を察知し、状況を理解。慌てて女性に頭を垂れる。
女性は音を立てずに、蛇体をくねくねさせて部屋の中をを進む。
網目状の鱗が金色にギラギラ輝く様は、金属でできた腕時計のストラップ部分を想起させる。
そんな彼女は、智歩と菜調の前で立ち止った。
「キミ達、ちょっと良いかな?」
無風の平原のような、穏やかな声色。
しかし、その平原の奥には、獅子が構えていた。彼女の声には、この場の全員を震えさせるような圧力があった。
長い髪の女性は黄金のような鱗を輝かせながら、にっこりと笑みを浮かべた。
「はじめまして。私は”嶋田”。今日は、私が担当するアイドルが、こちらのイベントでお世話になっているの。2人とも、よろしくね」
嶋田――その名前を智歩は知っていた。それは業界で名前を轟かせている、大御所プロデューサーの名前だ。
彼女の顔も写真で見たことがあったので、彼女が部屋に入った時点で”まさか”とは思ったが、現実味が沸かなかった。しかし、彼女は間違いなく嶋田プロデューサーであり、そして、彼女は自分達に話しかけている。
緊張で身体が小さく震える。嶋田プロデューサーが獅子なら、自分は子兎みたいなものだ。
社交性が高い自負はあったが、これは流石に例外だ。
しかし、目の前にいる彼女は、声高に威圧するようなことはない。
菜調さんと自分を優しいまなざしで交互に見やりながら、光沢のある尻尾を上品にくねくね動かしている。――そんな姿すら、実力者であるが故の余裕に見える。最早、彼女の貫禄と実績が、その言動の全てに意味を与えているとすら言えた。
「よ、よろしくお願いします……っ!」
「あら、そんな緊張しなくて良いのよ。捕って食べたりしないから」
顔に”緊張”と書かれたような表情の智歩を見やりながら、嶋田は優しく微笑む。その頬はぷるぷるしていて、生命力にあふれている。彼女が40代後半だというデータが嘘みたいだ。
嶋田は菜調の方に視線を移す。
智歩とは対照的に、菜調は微動だにせず嶋田をじっと見上げている。
「マムシの貴女もよろしくね。菜調さん……だったわよね?」
「はい。よろしくお願いします」
「貴女の演技、中々良かったわよ」
「……ありがとうございます」
菜調さんはいつでも落ち着いているな、と智歩は感心した。心の芯が強いから、このような状況でも動揺しないのだろう。自分も彼女のようになりたいものだ。
続いて嶋田の視線が、智歩の方を向く。
「それで、銀髪の貴女は?」
「っ!……申し遅れました!菜調のプロデューサーをしております、高崎と申しますっ!」
「あら、プロデューサーさんだったのね」
「は、はい……嶋田さんのような
智歩があたふたしながら答え、嶋田は穏やかな笑みを浮かべた。
そして、嶋田は2人を俯瞰するような姿勢を取ると、こう言った。
「貴方達の活動について、私に教えてくれない?」
これは自分が答えるべき質問だ、と智歩は思った。
自分は菜調さんのプロデューサーだ。プレゼンは自分の役割だ。それに、今は緊張しているとはいえ、プレゼン自体は得意分野である。
そこまでは頭でわかっている。だけど、あとちょっとだけ勇気が出ない――。
その時だった。
菜調が尻尾の先で、自分の2本足をぐにっと押した。
ざらざらした確かな感触が、足の裏に優しく染みた。
菜調の青い瞳が、優しく自分を見つめていた。
つばを飲み込んだ。
深呼吸。ゆっくり、口を開いた。
◇
智歩は必至の思いでプレゼンをした。
最初こそは緊張していたが、話せば話すほどに、憧れの踊り子への気持ちがヒートアップ。最後には緊張も忘れるかのような勢いで、菜調について熱弁。
一方で、智歩の話は勢いこそあれど長さは適切で、論理立てもきちんとされていた。端的に言えば、質の高いプレゼンだったのだ。嶋田も優しい顔つきを崩さないまま、智歩の話を聞き終えた。
「高崎さん、ありがとうね。……それにしても、誰もやっていないダンスでイベント出演なんて、大したものじゃない」
「お褒めいただきありがとうございますっ!菜調さんは凄いんですっ!」
「……才があるのは、貴女もよ。高崎さん」
「……へ?」
「企画などは貴女が手を回したんでしょう?菜調さんの功績は、貴女の功績でもあるの」
「そ、そうですかぁ……」
業界の大御所から褒められて、智歩は緊張しつつも顔を赤くした。
TV等でプロが素人を誉めシーンを見せられても『総じてリップサービスだろう』と思ってしまう。しかし、いざ自分がその立場になれば、どうしてなかなか嬉しくなってしまう。とろとろに頭を溶かされて、気体になったまま飛んでしまいそうだ。
「この先、道はずっと厳しくなると思うけど……応援しているわよ」
「ありがとうございます!菜調さんは必ず、夢を実現させますっ!」
「ふふ、貴女みたいな頼もしいプロデューサーさんがいれば心強いわね。……よし、先輩から1つアドバイス。確か、『新蛇祭』を目指しているんだよね」
「は、はい!」
「私、あそこで審査員をやっていることがあってね。今は、自分のプロデュース業に力を入れるために辞めちゃったけど」
話の途中で嶋田は一呼吸を置き、腕を組む。
化粧で強調されたアイラインがこわばり、朗らかだった顔が真剣になる。床では滑らかな質感の蛇体をしゅるしゅると動いて、一周のとぐろを巻く。
そして、女は一段低いトーンの声で、話を続ける。
「……菜調さんのパフォーマンス技術は、確かに高い。……けれど、それだけだった」
その瞬間、ステージから漏れる音で賑やかだった関係者スペースが、しんと静かになった気がした。
喉に大きい何かが詰まって、言葉が出ない。
「……!?」
「中途半端に技術が高いだけで、そこに”意味”を見出せなかった。その技術で何を成し遂げたいか、何を目指しているのかが、分からなかった」
その言葉を聞いて、菜調が”はっ”とする。
そんな菜調の隣で、智歩が叫んだ。反射的だった。
「な、菜調さんには夢があるんです!|素晴らしいパフォーマンスで、世界中の人の希望になるって……。それが、伝わらなかったの……」
「高崎さん」
智歩が言葉を出し切る前に、ぴしゃりと嶋田が声を刺した。
彼女の真っ赤な瞳が、赤信号のように視界に映る。考える前に出してしまった言葉を、ぐっと喉の奥に戻す。
「キミたちが目指すものは……”それだけ”なの?」
「……」
「これが解決しない内は、『新蛇祭』は厳しいだろうね」
女はしばらくの無言の後、巻いたとぐろをゆっくりと
そして、腰を曲げて智歩に目線を合わせると、穏やかな口調でこう言った。
「応援してるわよ」
黒線が背中に走る蛇体を緩やかにくねらせながら、嶋田は音を立てずに部屋から去った。
彼女の尻尾の先が見えなくなると、智歩は大きなため息。
菜調も智歩の足元に、1周だけ巻き付けていた蛇体を解く。鈍い光沢の身体が、ずるずると広がる。
2本足が物理的な圧迫から解放されると、智歩は引きつっていた肩の力を抜いた。ただ、『菜調さんのせいで無駄に緊張しちゃいましたよ』といった冗談を吐けるほどの余裕はなかった。
「すまない、智歩」
「……いえ、これも私の役目です。しかし、困りましたね。私たちがダンスで目指しているものが、伝わっていない……」
「表現力が足りていない、ということか?」
ストイックな彼女らしい、冷静なコメントだ。
しかし、嶋田は、単純な技術ではない部分に問題点を見出している。従来と同じ方法で練度を上げるだけで、解決する課題ではなさそうだ。
――そして何より、『”それだけ”なの?』という言葉が引っ掛かる。
菜調さんがダンスで目指すもの……彼女の夢に、問題があるのか?
いや、そんなはずがない。
菜調さんの夢に対する覚悟も、それを実現するための行動力も、誰にだって負けてない。
であれば、何が足りないんだ……。
2人は顔をしかめながら悩む。
あまりにも見当がつかないので、『とにかく今は練習するのみ』という結論を出してしまう未来が見えてくる。それが本質的な解決には至らないとわかった上でも、だ。
そんな時、扉ががちゃりと開いた。
ステージの騒がしい音を乗せて、風がふわりと舞い込むと、2人の髪をふわりと揺らす。
扉の先に目をやると、施設のスタッフが顔を出すのが見えた。
「スタッフさん、お疲れ様ですっ!」
「その様子だと……嶋田さんに何かアドバイスされたんですね」
「は、はい……」
「嶋田さんのアドバイスは業界の風物詩みたいなものみたいです。あまり気を落とさないでください」
スタッフはぎこちない笑みを浮かべた。
その言葉からはどこか違和感を覚えるが、彼も適切な言葉選びが思い浮かばないのだろう。
それでも、自分達に暖かい気持ちを投げてくれているのはおそらく、本物だ。それは素直に受け取っておきたい。
「あ、ありがとうございます……」
「我々からしたら大成功でしたよ!あんなダンスで、100人以上のお客さんを盛り上げられるなんて、思いもしませんでしたよ!……そうだ、お二人に渡したいものがあるんです!」
そう言いながらスタッフが取り出したのは、旅行券だった。爪を立てればきゅっきゅと音が鳴りそうな質感のそれが、2枚、ひらひら揺れている。
どうやら、北関東のあたりまで行けるようだ。日光あたりが候補になるのだろうか。
「関係者に配られるものなのですが、少し持て余していまして……。なので、よければこれで気分転換してください」
そういえば、ここ最近は公演やイベント準備が続いていて、時間を作って遊べてはいなかったな。
菜調と顔を見合わせてから、智歩はチケットを快く受け取った。
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