色とりどりショッピング

「まずは……服を買いましょう!」

「……どういうことだ?」


 肉を刺したフォークを片手に、真剣な顔つきで話す智歩。

 その姿に困惑して、菜調は小さく口を開けた。


 智歩は余ったステーキソースを肉に垂らしながら、説明を始めた。


「ざっくり言うとですね、”まずは形から”というやつです」


 智歩はナイフとフォークを両手に持ち、上品なフランス料理を食べるかのように丁寧に肉を切りながら話す。


「菜調さんは今まで、ダンスの技術一本勝負!ってやり方でしたよね」

「否定はできないな」


 氷山のようなアイスをぱくぱくと口に運びながら菜調が答える。


 彼女が語る通り、菜調は今までセルフブランディングやファン獲得には無頓着だった。


 例えば、菜調は公演後に観客に話しかけられても、あまり乗り気ではなさそうで、すぐに話を切り上げてしまう。

 他にも、智歩が来るまでのSNSでの発信が淡々と公演スケジュールを乗せるだけだったりと、ダンスの技術以外への関心は無いようだった。


 やっていることと言えば、パフォーマンス前後で夢について喋っていることくらいである。どうしてそれだけはしているのかは疑問だったが、人間は誰でも整合性がない拘りの1つや2つは持っているものだと考えたので、掘り下げはしなかった。


「……そんな菜調さんがいきなりパフォーマンス技術以外の分野にあれこれと手を出しても、大変だと思うんです。だから、最初は手軽で、変化がわかりやすいものから始めようと思って。それに……」


 智歩は再び、菜調が身に着けているシャツを見やる。

 右手で口を塞ぎ、左手で空のフォークを空中でくるくる回しながら、必死に脳内の辞書をめくり出す。

 

 智歩が指摘しようとしたこと。それは、菜調があまりにもファッションに無関心であることだった。

 

 菜調が現在纏っているのは、2人が出会った時に智歩が菜調の家に置いてきたシャツなのだ。

 これは、何もペアルックを楽しもうとしたのではない。これしか無かったのである。


――今朝、2人が営業に出かけようとした時、菜調の姿を見て智歩は唖然とした。

 菜調が着ていたのは、毛玉がついたぼろぼろのTシャツだったのだ。


 なんでそんなものを?と智歩が聞くと、菜調は物おじしない様子で「パフォーマンスの日はちゃんと運動用のウェアを着るから安心しろ」と答えた。


 色々とつっこみを入れたかったが、時間もなかったので慌ててクローゼットを開け、この服が一択で選ばれたのだ。


 ……そんな具合に、菜調はファッションに一切興味がない。そして、ファン獲得以前の段階から弊害が発生しつつあった。

 

 とはいえ、あまり思想やドレスコードを押し付けるような真似はしたくない。自分だって、就活に手をつけた時にスーツに関する礼儀をあれこれ聞かされた時にはげんなりした。


 そのため、着せ替え人形のごとく彼女にファッションを強制するつもりはなかった。彼女が強く拒んだら、何もしないで撤退する覚悟もしていた。

 それに、まだ1ヵ月の付き合いである彼女に向かって、ダサいと言うような真似は気が引ける。


 できるだけ彼女とはうまくやっていきたい。つい前に自分が機嫌を悪くしても、彼女は突き放さずに向き合ってくれたんだ。そんな彼女との関係は壊したくない。

 

 ……でも、現状の放置は明らかに良くない。


 同年代の女性とファッションを語るだけなのに、一触即発、綱渡りのような駆け引き。

 思わず手が震えて、フォークの背に乗せようとした肉が落ち、ソースが小さく跳ねる。それを見て、背筋が引き締まる。

 

 智歩は必死に言葉を選びつつ、ファッション改善の必要性を伝えた。


「……えっとですね、ファッションを気にした方が、パフォーマンスの場を増やすのに有利かもしれないんです」

 

 説明を終えたころには、油を吹いていた肉はすっかり冷え切って、硬くなっていた。


 菜調は腕を組んで少し考えると、智歩を見つめながら、少し重たそうに口を開いた。

 

「理解した。智歩がそこまで必要と言うなら、やってみよう」

 

 少し気まずい空気。

 口の中に残っていた肉の焦げあとが舌に触れて、その苦みがじわりと滲んだ。


 それでも、自分はこの仕事をやり遂げたかった。

 軌道に乗った菜調のプロデュースに向き合う、熱意と覚悟が灯っていた。

 

 水を喉に流し込み、口の中の肉片や油を洗い流すしてすっきりすると、手持ち無沙汰になっていた菜調の手を取って立ち上がった。


「作戦開始ですっ!」


 智歩はそう叫ぶと、「準備することがある」と言って駆け出した。

 

 

     ◇



 翌日。

 

 2人がたどり着いたのは、海岸都市の大型ショッピングモール。


 パステルカラーで塗られた商業施設。

 それに沿った街道には、見上げるほどに高いヤシのような木が、何かの目印であるかのように等間隔で植えられている。

 

 入道雲を背景に、高いヤシの木だけがさらさらと揺れている様子を見ると、海を越えて南国に来たような気分になる。

 このまま少し歩けば、きめ細やかな砂が広がるビーチにでも出ていけそうだ。……実際は、コンクリートで固められた港なのだが。

 

 ずっと内陸地で生活してきた智歩にとって、海という言葉は非日常のスイッチを開けるマスターキーだ。

 潮風に鼻をくすぐられるだけで、思わず足が踊り出しそうだ。

 

 ともかく、智歩は散歩を楽しんでいた。

 このまま建物に入らず、潮の匂いを辿りながら、ふらふら歩くのもオツかもしれない。


 そんなことを考えていると、足元を何かに軽く掴まれる。菜調の尻尾だ。


 彼女は施設の扉をちらちと見やる。その何か言いたげな表情を見て、智歩は素直に施設に向かうことにした。



    ◇

 


 「っぷはぁ~~!生き返る~!神様仏様冷房様ありがとう~っ!」


 自動ドアをくぐった瞬間、冷房からの手厚い歓迎を受ける。 両腕を頭上に伸ばしながら、人工的な風の心地よさを楽しむ。


 その斜め後ろから、「やれやれ」と言いたげに菜調が智歩を見やる。視線まで冷たくしてくれとは頼んでいないのだが……。


 気を取り直して、智歩はモールの中を歩いていく。


 脳の半分で散歩を楽しむ一方で、もう半分では菜調のブランディングで何ができるかを考えるが、良いアイデアは思いつかない。


 チホが熟考しようと無意識に目を瞑ったその時、心地よい香りが鼻をくすぐった。


 蛇人らが這いやすいように粗い絨毯が敷き詰められた床を踏みしめると、ふかふかした感触がして気持ちが良い。

 それに加えて、色とりどりの店を通り過ぎる度に、バラエティ豊かな香りが鼻をくすぐるのが楽しい。


 落ち着いた雰囲気の文具店では木材の優しい香りが広がり、学生に愛されるスポーツの前では酸味が刺す。

 目を閉じていても、なんとなくモールの雰囲気を楽しめるほどだ。


 この文化の背景には、蛇人の感覚器官の特徴がある。彼らは視力が低い一方で、嗅覚に優れているのだ。

 

 とはいっても、殆ど目が見えないということではない。眼鏡やコンタクトレンズの力を借りれば、智歩達と同じように遠くの景色を楽しんだり、不自由なく本やスマホの文字を読むことも可能だ。

 それでも、本能として嗅覚(加えて、ピット器官が使える場合は温度)から多くの情報を得ようとする傾向があるようだ。

 

 そのため、おしゃれな外観や目立つ看板だけでなく、それぞれの店のイメージを反映した心地よい”香り”が客の呼び込みに貢献するのだ。故に、多くの店の前ではお香が焚かれているのだ。智歩のバイト先である園芸店でも、店先には香りが強い花がよく配置されていた。


 勿論、智歩は蛇人ではないので、強く意識しなければそれらの匂いは気に止まらないようなものだった。

 だからこそ、鼻先に神経を集中させて、能動的に香りを身体に取り込むようにしながら、異文化のショッピングを楽しんでいた。

 

 この文化を知っていなければ、同じ施設にショッピングに出かけても、この楽しみにも出会えなかったんだろうな、と智歩は思った。

 鼻をすんすんと動かしながら、智歩はアパレル店が集まる階層に一歩足を踏み入れた。低価格で知られる有名アパレル店だった。


 色とりどりのアイテムが並ぶ空間は、サンゴ礁の海を想起させた。

 菜調はきょろきょろと店内を見渡しており、どこか落ち着かない様子だ。


「さて、菜調さんはどんなお洋服が着たいですか?」


 智歩は菜調の方に振り向き、背中に腕を回しながらにこっと笑った。

 それを聞いた、菜調は、どこか驚いたような表情をした。


「私の、希望……?」

「いやいや、まずは菜調さんの希望を聞かないと。菜調さんが着たくないものを押し付けるわけにはいきませんから。勿論、私も一緒に考えたりしますけどねっ」

 

 それを聞いた菜調は少しの間の跡に、口角を小さく上げた。

 

「ありがとう。……ただ、私は服に知見がない。智歩に任せて良いか?」


 ファッションのこととはいえ、”全部任せる”という言葉が智歩にとっては、少し誇らしく感じられた。

 

「任せてくださいっ!私が菜調さんを最高にかわいくてかっこよくしてみせますっ!」

 

 智歩は小さな声でぶつぶつと呟きながら、店頭に並ぶアイテムを舐めるように眺めはじめた。その片手には、小さな手帳が握られていた。


 彼女はこの日のために、バイトで知り合った蛇人の女子大生から、彼らの流行やファッション観念についてリサーチしたのだ。それに加えて智歩自身、ファッション知識には少し自信があった。

 

 手帳片手にるんるんと駆け出す智歩の背中を見ながら、菜調は立ち止まった。

 店内BGMと施設全体の放送が入り混じる空間で、彼女は何か思案した。


――菜調さん、こっちですよ!


 ……なんて言いたげに、小学校の体育館ほどある店舗の奥から手を振る智歩の姿を見て、菜調ははっ、とした。

 一瞬の内に、菜調の視界の中の智歩の姿は小さくなっていた。


 菜調は慌てて、清潔感のあるシトラスの香りが広がる空間に這い出した。


 彼女はそのまま、智歩に手招きされて試着室に向かった。

 少し待っていてくださいね、と智歩が言うと、カーテンがからからと音を立てながら閉められた。


 視界を彩っていた色とりどりの服を見失い、目の前はグレーの重たいカーテンで一色に染められた。

 左右を見ると、見上げるほどに高いモノトーンの壁がそびえ立ち、お洒落な香りや楽しい店内放送を菜調から遠ざけていた。


 「菜調さん、尻尾出てますよっ」


 カーテン越しに、やや小さく聞こえた智歩の声を聞いて、菜調はカーテンからちょろりと出ていた尻尾を慌てて引っ込める。

 ふと左を見やると、身体がはみ出さないようにという注意書きが、視線より少し低い場所に見えた。


 菜調はとぐろを巻くようにして、試着室に身体を押し込んだ。

 

 施設一帯に充満した商業の色から隔絶された、単色の空間。

 そこにあるものといえば、背後にある大きな姿見鏡だけだ。


 菜調はその空間に、どこか”馴染む”ような感覚を覚えた。種族として閉所を好んでいるという背景もあるが、それだけではない。個としての菜調自身を、この部屋に重ね合わせていた。


 菜調はふと、鏡をじっとのぞき込む。

 淡白な部屋の中で、ぼろぼろの服を着た蛇人がじっとこちらを睨み返した。


「お待たせしましたっ!」


 背後から、弾むような女性の声が響いた。

 かしゃり、と音を立ててカーテンが開かれ、味気ない部屋に光がなだれ込む。


 菜調が振り返った先には、華やかな店舗を背景にして、にこやかな女性が両手に綺麗な服を抱えて立っていた。


 菜調の視界を描画する色の数が、一瞬のうちに膨れ上がった。その処理が追い付かないかのように、菜調は両目をぱちぱちさせながら智歩を見つめた。



    ◇蛇足のコーナー◇


「蛇は嗅覚が鋭い。前回紹介したピット器官は一部の蛇だけが持っているが、嗅覚は多くの蛇の共通項だ」

「蛇は視力や聴覚が弱くて、嗅覚の比重が大きいんでしたっけ」

「ああ。なんでも、進化の過程で地中での生活に適応する形で感覚器官の取捨選択がされた結果とされている」

「なんだか面白いですね。私たちからすると、外に出ずに引きこもる時こそ目を酷使したくなるので」

「それを言ったら、そもそも”人”の眼も本来は遠くのモノを見るのが得意分野なんだ」

「私たちの生活の変化なんて、生物の進化のスケールからするとちっぽけなものなんですねぇ……」

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