EP 3
両親の期待と赤子の受難
生まれてから数日が過ぎ、俺――リアンは、このどうにもならない肉体との付き合い方を少しずつ学び始めていた。
(今の俺に出来ること…。まずは、考えること。これは前世のままだ。次に、声を出すこと。ただし「泣く」か「意味のない音を発する」かの二択だが。そして…)
リアンは、全神経をその小さな手足に集中させる。
(手足を、グーパーすること、か)
まるでリハビリ患者のように、リアンは自分の能力を一つ一つ確認していく。意思の力で、固く握りしめられていた小さな拳をゆっくりと開く。そして、また握る。足の指も同様に、開いて、閉じて。
途方もなく地道な作業だが、これが今の彼にできる、世界への唯一の能動的な働きかけだった。
その時、母親であるマーサが、リアンの小さな手のひらにそっと自分の人差し指を差し入れた。温かく、しなやかな指。
リアンが、ちょうど練習していた「握る」という動作をした瞬間だった。赤ん坊の反射的な行動と、リアンの意識的な動作が奇跡的にシンクロする。きゅっ、と小さな手がマーサの指を握りしめた。
「まぁ…! 貴方、大変よ!」
それまで穏やかだったマーサが、はしゃいだ声を上げる。その声に、別室にいたアークスが駆けつけた。
「どうした、マーサ!」
「見て! リアンが、私の手を握ってくれたわ!」
マーサが嬉しそうにリアンの手元を指し示す。アークスは屈み込み、その光景を愛おしそうに眺めた。
「おお、本当だ! なんて力強い握り方だ。指の骨がしっかりしている証拠だな」
アークスは満足げに頷くと、一人で納得したように高らかに言った。
「うん、これは剣を握れば剛剣の使い手になるだろう! 騎士団長も夢じゃないな! いやー、楽しみだ!」
父親のあまりに気が早い期待に、リアンは内心でため息をつく。
(まだ生まれて数日の赤ん坊なんだが…)
すると、マーサが少し口を尖らせて反論した。
「まぁ、何を言っているんですか、貴方。リアンは私の後を継いで、大陸一の賢者になるんですよ。こんなに賢そうな顔をしているじゃないですか」
「そうかそうか! それもいいな!」
アークスは怒るでもなく、あっはっはと豪快に笑う。
「俺とマーサの子供なんだ。剣も魔法も使いこなす、天才魔剣士になるだろうな! それが一番だ!」
「…そうですね。アークスと私の子供ですもの。きっと、そうなりますわ」
マーサも、夫の言葉に嬉しそうに微笑み返す。
アークスはそんなマーサの肩をそっと抱き寄せ、その額に優しく口づけをした。二人の間には、甘く、熱のこもった空気が流れ始める。
(うわっ、始まった…!)
リアンは焦った。しかし、今の彼にできることは何もない。目を逸らすことも、耳を塞ぐこともできない。両親の睦み合う姿を、真正面から、ただただ見せつけられるだけ。
(お、親のこんな所を真正面から見なきゃいけないのかよ…! 勘弁してくれ!)
両親からの重すぎる期待と、目の前で繰り広げられる痴話劇。
リアン・シンフォニアの受難は、まだ始まったばかりである。
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