一年一日一物語

小狸

短編

 さて。


 そろそろ私が、どうして物語を書き続けているのかという疑問に対して、何らかの回答を用意しないといけない時期であろう。


 いや、そんな使命感とか義務感とかは、はなから私は、持ち合わせていない。


 むしろ使命や義務で続けていたら、ここまで続いてしまうことはなかっただろう。


 ここまで。

 

 約3年半の間、掌編、短編、中編、長編、特に制限なく、そして容赦もなく、300作以上の、物語「らしきもの」を作り続けてきた私のモチベーションは、なかなかどうして、私の方が知りたいくらいなのである。


 問。


 「私」はなぜ、小説を書き続けるのか。


 という、記述式の問題である。


 難問のように見えて、実は単純である。


 これには案外、簡単な答えが用意できてしまう。


 なぜならば、私の創作活動という点における一生というものは、これと言って何か特別なものがあったわけではなかったからである。


 小説を書き始めた契機だって――小学5年生の時に、クラスで小説を書くことが流行っていたからなのだ。


 ただ書き始め、ただ書き終え、そしてできたものを推敲し、出版社の新人賞に送り付けてきた。


 出版社からの返事は返ってきたり、返ってこなかったり、その繰り返しである。

 

 その延長線上として、どの出版社の応募要項も満たさない小さな掌編小説をネット上に公開しようと思い立ったのは、何ということはない、私が生きているという証を、残したかったからである。


 急に話の重要度が上昇して辟易へきえきする方もいるだろうが、緊張はしなくとも良い。


 別段私は何らかの病にむしばまれているというわけではないし、今のところ生活する上において小説が生きることを阻害しているとか、そういう切羽詰まった状況にあるわけではないことを念頭に置いた上で、話を続けさせてもらう。


 私が生きているという証を、残したい。


 多分、それに突き動かされて小説を書いている。


 ここで重要になってくるのは、「生きている証」でもなければ「残したい」でもなく、「私が」という部分である。


 少し、私の人生の話をしよう。


 私の人生は、平々凡々、人と何か比べることがあるようなものではなかった。勿論、だからと言って何もなかったわけではない。色々あったし、様々だった。それらは時に思い出として、時に苦い経験として、私の脳髄の深い部分に保管されている。ただ、一人間として考えたとき――例えば、私という人間の生涯を時系列で閲覧したときは、その平々凡々さに退屈してしまうような、そんな人生だった。


 しばし文学作品では、「どこにでもいる普通の――」という言葉が用いられる。それに近いが、私の解釈は、少々それとはズレていた。ちょうど人生について悩む時期。小学生高学年から、中学生時代のことである。


 どこにでもいる普通の私は――誰にでも代替がきくのではないか、と、そう思ってしまったのである。人はそれぞれ基本的人権が尊重されていて、それぞれがかけがえのないものだけれど、例えば、どこにでもいる普通の、代替がきく、かけがえのない私が、今この瞬間ここからいなくなったところで、世界は何も変わらないのではないか――と。


 そんなことを思っていた時期もあった。


 それは正しく、そして間違っている。


 誰の代わりにもなれる私がここからいなくなったところで、世界が崩壊するとか、そんなことは絶対にありえないと断言できる。世はそこまで脆くはない。たった一人の人間の内包する世界が、世界そのものを上回ることなど、ありえない。私は一生、誰かの後を追い続けて、誰かの影を踏み続けて、誰かの後ろに回り続けて、独創性やオリジナリティとは無縁の道を歩み続けるのだ。


 ただ、それは重要な視点が抜けている。世界に存在している人間は、私一人ではないという点である。私が普通で平凡だと思っている人生だって、他の人からすれば貧相で醜いものかもしれないし、あるいは嫉妬心を掻き立てるような羨ましいものかもしれない。人は人の数だけ、世界の見え方があるのである。中学時代の私は、それに気付いていなかった。だから悩んだ。悩みながら、小説を書き続けた。まあ、俗に言う、青春をした、というものだと思ってくれて良い。その後私がどんな選択をし、どんな答えを導いたかは、想像にお任せするとしよう。


 そんな紆余うよきょくせつの末、私はこう思うようになった。


 私は、私でありたい、と。


 勿論もちろん、尊敬する作家先生、影響を受けた作家先生は大勢いる。一番なんて到底決められない、序列やランキングは付けない、しかし全てが等しく平等だとも思わない、それぞれがそれぞれの良さをもって、異なる方向に、バラバラに突出している――そういう、そう思う主義である。


 小学校でも中学校でも高校でも、小説を書くかたわら、私は図書館に足しげく通っていた。


 そして小説を読んでいた。


 図書館だけが私の居場所だった、とは言うまい。数ある居場所のうち一つが、図書館だった。


 そこで数多あまたの小説を読んで、作家の人々の筆致に触れて。


 あんな風になりたいな――という気持ちが。


 いつからか。


 こんな私になりたいな――という思いに変じていた。


 なりたい私の形は、私が決める。


 私しか、決められないのである。


 だったら私は、小説を書く、私でありたい。


 そんな風に思い至ったからこそ、私はきっと、未来でも、これからも、明日も、小説を書くのだろう。

 

 まず学校でも、勉強が最優先だった。大学では、資格の勉強と就活と講義とサークルと、てんやわんやであった。大学を卒業して就職して、ようやっと落ち着いてきたけれど、余剰時間が十二分にあるとは言い切れない。休みの日には仕事の疲れを癒し、目を休め、うまく時間を見つけながら。


 それでもやっぱり、書いていたい。

 

 そう思うからこそ、私は今日も、小説を書く。


 そんな私を、私が好きになることができたのは。


 存外、最近の話であったりする。


 そんな物語も、またいずれ語ろう。


 大丈夫。


 時間はたっぷりある。


 ゆっくりと、嚙み砕いていくとしよう。


 私の人生を。

 

 365作。


 1年の日数と、私が小説投稿サイトで公開した小説の総数が一致したのは。


 令和7年の7月24日――河童忌の日のことである。




(「一年一日一物語」――了)

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