日向さんは、ずっと一緒に居てくれる?
部屋から出て行った後、水谷さんは荷物をまとめて何も言わずに家を立ち去った。
玄関の扉が開く音。
部屋の中で、事切れた人形みたいに。私はそれを聞くことしかできなかった。
流れるように時間が過ぎて。
気がつくと、水谷さんとえっちした数日後になっていた。
◇
テスト直前の休日。
今日は前々から約束していた日向さんとの映画館デートだ。
ぼんやりとした視界を引っ張りながら、私は電車から降りる。
ピロンッ!
バックからスマホを取り出し、LINEを開くと、
『着いたよ!』
メッセージと共に猫のスタンプが送られてくる。少しだけ足を速めて、人混みをかき分けていく。
改札口を出た辺り、大きな広告が流れる柱の前に見慣れた人影が見えた。
「日向さん。ごめんね待たせちゃって」
「あ、吉田さん!!全然良いよー!」
顔を上げてにぱっと笑う日向さん。
眩しい笑顔に当てられて、私の顔からもぎこちない笑顔が出る。
ちゃんと、笑えてるかな。日向さんには悪いけど、今日は楽しめる気がしない。水谷さんのことが気になって、頭がおかしくなりそうだから。
頭にリソースを割くせいで、まじまじと日向さんを見つめてしまう。
すると、日向さんの顔が何故が段々と辿々しくなっていって。
「あっ……その……」
日向さんは私の姿をチラ見した後、視線を逸らした。そうして、くるくると髪を触りながらも口を開いた。
「吉田さん、ふ、服似合ってるね…」
「…そうかな。日向さんも可愛いよ」
改めて、日向さんの格好を頭からつま先まで眺める。
白いTシャツに水色のロングスカート。
薄手のカーディガンから透ける細い二の腕と、シャツから覗く首筋。
今日の日向さんは、いつもよりも綺麗に見えた。因みに私の格好は至ってシンプル。
水谷さんに気を取られていて考える余裕がなかったから。
私が服装を褒めると、日向さんの指が忙しなく動いて、
「あ、ありがと……」
ぷしゅ〜、と頭から湯気が飛び出した。
それを見ていると、ちょっとだけ胸が温かくなって。同時に何処か上の空な自分に、ズシリと鉛がのし掛かった。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
その心を誤魔化すように声を出した。
行き先は、駅から少し離れた複合型ショッピングモール。
日向さんは元気よく、スキップでもするみたいに歩みを進める。
「そう言えば、日向さんってこういう漫画好きなんだね」
「うん!昔から少女漫画とか読んでたし」
「そうなんだ。私も結構読んでるよ」
そんなたわいも無い会話をしながら、中に入ってエスカレーターから4階へ。
チケットやポップコーンを買ってスクリーンへと入った。
席は真ん中より少し後ろの通路側。
薄暗い空気が心を落ち着かせると、心の中に水谷さんの顔がぼんやりと浮かんでくる。
私は、彼女と付き合っていて、別に破局しそうなわけでも無い。高校が別々になるとしても引っ越すわけじゃ無い、大学で片方が他県に行ってもLINEで繋がってる。
水谷さんと離れ離れになるなんて、あり得ない。この関係は終わらない。終わらせない。
『終わっちゃうものもあるんだよ』
諭すような声色を思い出す。
どれだけ自分の中で信じ込んでも、それが避けられない現実だと突きつけられているみたいに感じた。
スクリーンに流れる映画の予告たち。
上の空でそれらを眺める。
ハリウッドの最新作やアニメの劇場版。
どれも絶妙に興味をそそられる。
けど、こう言うのって結局殆ど見に行かないんだよなぁ。
そうやって予告を観ていると、急に音楽が薄気味悪くなって。
……画面に青白い女の幽霊が現れた。随分不気味な予告だな。
「うわっ……」
隣でボソリと声が漏れる。
横を見ると、震える拳を握り締める日向さんと目が合った。
「心臓に悪いね。大丈夫?」
「うん、大丈夫…。吉田さん全然驚いてないね……」
「まあ、偶にホラー映画とか見るし」
「私は無理だなー…うへぇ……」
私たちが話している間にも、悲鳴と身震いするようなBGMが聞こえてくる。
怖いシーンが出るたびに目を瞑る日向さん。
それが庇護欲をそそられて、気づけば手を日向さんの手に重ね合わせていた。
「よ、吉田さん…?」
「……怖かったらずっとこうしてて良いからね」
日向さんの手がやけに熱く感じる。
柔らかな肌と、メリハリのついた骨。
水谷さんも私に触れた時、同じ気持ちになっていたのかな。
私が輪郭を捉えるように指先を動かすと、ビクッと日向さんの肩が揺れる。
「よ、よしだ……さっ……」
「……ぁ、その、ごめん」
……つい、水谷さんみたいに触ってしまった。
急いで手を引っ込めて、日向さんの顔色を窺う。もしかして、嫌だったのかもしれない。
両手を顔に当てる日向さん。
その表情を見るよりも先に、予告が終わって完全に照明が消える。
その真意を知る事はできないままに、映画が始まった。
曲と共に流れるエンドロール。
それが終わると照明がついて、皆一様に出口へと向かっていく。
隣では目元を腫らした日向さんがズゾゾーッと残りの飲み物を飲んでいた。
どうやら相当感動したらしい。
映画館を出ても日向さんは興奮冷めやまぬ様子で。感想を言い合うために、私たちは近くのスタバに向かった。
「映画面白かったね!初めて会った桜の木の下で再会……!!」
注文をして席に座ってからも、日向さんは捲し立てるように感想を言う。
「キスシーンも最高だったし!良いなぁ私もあんな恋してみたいよー……」
日向さんはスライムみたいにテーブルに突っ伏した。そうして余韻を楽しむみたいに溜息をつく。
だけど私の中には、どうにも釈然としないモヤモヤが溜まっていた。
物語の終盤、高校卒業を期に2人は違う大学に進学。
「桜の木の下で会おう」という約束を交わした主人公が、5年後に母校に行くと……
男の子が待っていてハッピーエンド!!という結末だった。
面白かったと思う。原作通りでちゃんと感動した。なのに………
(なんで、嫌な気持ちになるんだろ……)
2人が再会して幸せになる。
そういうストーリー。
じゃあ、私たちは……?
水谷さんと、いつか離れ離れになる時が来るの?もし来たとして、また再会出来る…?
現実が、必ずしもハッピーエンドで終わる保証なんてない、よね……。それくらいは分かってる。でも受け入れられない。
水谷さんが居なくなったら、私はどうすれば良いの?満たしてくれる人なんて彼女以外にいるの?
視界が歪んでいく。
嫌な想像が途端に湧いてきて。水谷さんがこの場にいれば今すぐにでも確かめられるのに。彼女の唇の形、真っ黒な瞳、触れると柔らかい身体その全部を。
「吉田さん?どうしたの?」
「…あっ、いやちょっと考え事」
落ち込んだ視線を上げて日向さんに笑いかける。ニコッと笑い返した日向さんは、テーブルに伸ばした手で私の指先をツンツンと触り始めた。
「私も恋人、欲しいなー……」
「日向さんなら直ぐ出来るよ。可愛いし、愛嬌あるし」
「ほ、ほんと……?吉田さんもそう思ってる……?」
日向さんは私を上目遣いで見つめていて。
心の奥が掻き立てられてしまう。
「も、もちろん」
「嬉しいな……吉田さんにそう言ってもらえて」
日向さんの蕩けるような笑みに目が離せなくなる。胸の鼓動が止まってくれない。
時が止まって、まるで世界が真空に包まられたみたいになる。私と日向さんだけが、そこに居るみたいな。
2人だけの世界。心地よくて、溺れそうになった。
そんな時──。
『大好きだよ、愛してる』
『美月』
『日向と絶交して』
水谷さんの声が、した。
2人だけの世界に彼女が入り込んで。
もう1人の私が、水谷さんだけを求める私が居ることに気づいた。
『終わっちゃうものもあるんだよ』
今一度、記憶が掘り起こされて。
水谷さんは何を思ってあんなこと言ったんだろう。考えるよりも先に口が動いていた。
「日向さんって、水谷さんと仲良いよね。
……日向さんから見て、水谷さんってどんな印象?」
口から自然と言葉が出てくる。
日向さんは手を顎に当てて考え込む。
「えー、優等生?でも冗談とか言うし真面目じゃないような……?」
「そう、なんだ」
水谷さんは不透明で掴みどころの無い人だ。
友達の日向さんに聞いても、彼女の本心なんて分かるはずがない。
「でも、何でそんなこと?」
「……ちょっと、色々あって」
日向さんは心配そうな顔をする。
「悩みがあるなら相談乗るよ…?」
不安の種は消えてくれなかった。私の心を栄養にして肥大化していく。耐えられない。誰かに話したいと、不安を打ち明けたい。
彼女に言われたことを思い出しながら、私は喉を鳴らした。
「……大切な人が出来ても、きっと……
ずっと、一緒には居られないって。
どうしたら良いんだろう……かなって」
辿々しい物言い。だけど、日向さんは何かを察したみたいで。
「もしかして……好きな人がいるの?」
「そう、かも……」
「そ、そう…なんだ……」
好き、かどうかは分からない。ただ、水谷さんが居なくなるなんて考えられない。
彼女と出会って、…出鱈目な出会い方だったかもしれないけど。
空っぽだった私に水谷さんが棲みついて。
満たされて。
彼女のおかげで日向さんとも仲良くなれて。LINEの返信を待ち望むようになって。
ご飯の味がするようになって。
ベッドに入る時、ほんの少しだけ明日が楽しみになった。
「仕方、ないんじゃないかな…。有限だからこそ、大切に出来るものもあるし」
だから、現実を受け入れられないのかもしれない。善意で言われた日向さんの言葉を、信じたくない。有限だとしたら、大切にすればするほど辛くなるだけから。
何もかも向き合いたくなくて俯くと、日向さんは私の手をとってギュッと握りしめた。
「私なら……ずっと、
吉田さんのそばに居られるのに……」
「え……?」
頭の霧が、かすかに晴れた気がした。
驚いて顔を上げると、日向さんはバッと手を引っ込めて、両手を胸の前でぶんぶんと振る。
「あっ、いやっ!ち、違うからね!?
その、いや別に友達としてって言うか…でもゆくゆくはというか……」
あはは……、と乾いた笑いをする日向さん。
自然と、意図せず言ってしまったんだろう。
多分、日向さんは私のことが好きだ。
それは前々から分かっていた。
分かっていてどう振る舞うべきか決めかねていた。彼女の好意を受け止められるか分からなかったし、水谷さんには仲良くなるなと言われていたから。
そして、何より…恋人が居たから。
(今までは、水谷さんが居た。だけど、これからは……)
じくじくと傷んだ傷を覆い隠すようにして、呼吸を整える。
「日向さん………」
別に、水谷さんじゃなくても良い。
水谷さんじゃなくても、誰か他の人が居れば……。
他の人。そう考えた時に私が真っ先に思い浮かんだのは──
「日向さんは、私とずっと一緒に居てくれる?」
「も、もちろん…!」
頬を赤ながら、ぎこちなく笑いかける日向さん。そんな彼女に、私は仮初の笑顔を受け渡した。
「……ありがと。大好きだよ、日向さん」
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