日向さんは、ずっと一緒に居てくれる?

部屋から出て行った後、水谷さんは荷物をまとめて何も言わずに家を立ち去った。


玄関の扉が開く音。

部屋の中で、事切れた人形みたいに。私はそれを聞くことしかできなかった。


流れるように時間が過ぎて。

気がつくと、水谷さんとえっちした数日後になっていた。







テスト直前の休日。

今日は前々から約束していた日向さんとの映画館デートだ。


ぼんやりとした視界を引っ張りながら、私は電車から降りる。


ピロンッ!


バックからスマホを取り出し、LINEを開くと、


『着いたよ!』


メッセージと共に猫のスタンプが送られてくる。少しだけ足を速めて、人混みをかき分けていく。


改札口を出た辺り、大きな広告が流れる柱の前に見慣れた人影が見えた。


「日向さん。ごめんね待たせちゃって」


「あ、吉田さん!!全然良いよー!」


顔を上げてにぱっと笑う日向さん。

眩しい笑顔に当てられて、私の顔からもぎこちない笑顔が出る。


ちゃんと、笑えてるかな。日向さんには悪いけど、今日は楽しめる気がしない。水谷さんのことが気になって、頭がおかしくなりそうだから。


頭にリソースを割くせいで、まじまじと日向さんを見つめてしまう。

すると、日向さんの顔が何故が段々と辿々しくなっていって。


「あっ……その……」


日向さんは私の姿をチラ見した後、視線を逸らした。そうして、くるくると髪を触りながらも口を開いた。


「吉田さん、ふ、服似合ってるね…」


「…そうかな。日向さんも可愛いよ」


改めて、日向さんの格好を頭からつま先まで眺める。


白いTシャツに水色のロングスカート。

薄手のカーディガンから透ける細い二の腕と、シャツから覗く首筋。


今日の日向さんは、いつもよりも綺麗に見えた。因みに私の格好は至ってシンプル。


水谷さんに気を取られていて考える余裕がなかったから。


私が服装を褒めると、日向さんの指が忙しなく動いて、


「あ、ありがと……」


ぷしゅ〜、と頭から湯気が飛び出した。

それを見ていると、ちょっとだけ胸が温かくなって。同時に何処か上の空な自分に、ズシリと鉛がのし掛かった。


「じゃあ、行こうか」


「うん!」


その心を誤魔化すように声を出した。


行き先は、駅から少し離れた複合型ショッピングモール。

日向さんは元気よく、スキップでもするみたいに歩みを進める。


「そう言えば、日向さんってこういう漫画好きなんだね」


「うん!昔から少女漫画とか読んでたし」


「そうなんだ。私も結構読んでるよ」


そんなたわいも無い会話をしながら、中に入ってエスカレーターから4階へ。

チケットやポップコーンを買ってスクリーンへと入った。


席は真ん中より少し後ろの通路側。

薄暗い空気が心を落ち着かせると、心の中に水谷さんの顔がぼんやりと浮かんでくる。


私は、彼女と付き合っていて、別に破局しそうなわけでも無い。高校が別々になるとしても引っ越すわけじゃ無い、大学で片方が他県に行ってもLINEで繋がってる。


水谷さんと離れ離れになるなんて、あり得ない。この関係は終わらない。終わらせない。


『終わっちゃうものもあるんだよ』


諭すような声色を思い出す。

どれだけ自分の中で信じ込んでも、それが避けられない現実だと突きつけられているみたいに感じた。


スクリーンに流れる映画の予告たち。

上の空でそれらを眺める。


ハリウッドの最新作やアニメの劇場版。

どれも絶妙に興味をそそられる。

けど、こう言うのって結局殆ど見に行かないんだよなぁ。


そうやって予告を観ていると、急に音楽が薄気味悪くなって。

……画面に青白い女の幽霊が現れた。随分不気味な予告だな。


「うわっ……」


隣でボソリと声が漏れる。

横を見ると、震える拳を握り締める日向さんと目が合った。


「心臓に悪いね。大丈夫?」


「うん、大丈夫…。吉田さん全然驚いてないね……」


「まあ、偶にホラー映画とか見るし」


「私は無理だなー…うへぇ……」


私たちが話している間にも、悲鳴と身震いするようなBGMが聞こえてくる。


怖いシーンが出るたびに目を瞑る日向さん。

それが庇護欲をそそられて、気づけば手を日向さんの手に重ね合わせていた。


「よ、吉田さん…?」


「……怖かったらずっとこうしてて良いからね」


日向さんの手がやけに熱く感じる。

柔らかな肌と、メリハリのついた骨。

水谷さんも私に触れた時、同じ気持ちになっていたのかな。

私が輪郭を捉えるように指先を動かすと、ビクッと日向さんの肩が揺れる。


「よ、よしだ……さっ……」


「……ぁ、その、ごめん」


……つい、水谷さんみたいに触ってしまった。

急いで手を引っ込めて、日向さんの顔色を窺う。もしかして、嫌だったのかもしれない。


両手を顔に当てる日向さん。

その表情を見るよりも先に、予告が終わって完全に照明が消える。

その真意を知る事はできないままに、映画が始まった。






曲と共に流れるエンドロール。

それが終わると照明がついて、皆一様に出口へと向かっていく。

隣では目元を腫らした日向さんがズゾゾーッと残りの飲み物を飲んでいた。


どうやら相当感動したらしい。

映画館を出ても日向さんは興奮冷めやまぬ様子で。感想を言い合うために、私たちは近くのスタバに向かった。


「映画面白かったね!初めて会った桜の木の下で再会……!!」


注文をして席に座ってからも、日向さんは捲し立てるように感想を言う。


「キスシーンも最高だったし!良いなぁ私もあんな恋してみたいよー……」


日向さんはスライムみたいにテーブルに突っ伏した。そうして余韻を楽しむみたいに溜息をつく。


だけど私の中には、どうにも釈然としないモヤモヤが溜まっていた。


物語の終盤、高校卒業を期に2人は違う大学に進学。

「桜の木の下で会おう」という約束を交わした主人公が、5年後に母校に行くと……

男の子が待っていてハッピーエンド!!という結末だった。


面白かったと思う。原作通りでちゃんと感動した。なのに………


(なんで、嫌な気持ちになるんだろ……)


2人が再会して幸せになる。

そういうストーリー。


じゃあ、私たちは……?

水谷さんと、いつか離れ離れになる時が来るの?もし来たとして、また再会出来る…?


現実が、必ずしもハッピーエンドで終わる保証なんてない、よね……。それくらいは分かってる。でも受け入れられない。


水谷さんが居なくなったら、私はどうすれば良いの?満たしてくれる人なんて彼女以外にいるの?


視界が歪んでいく。

嫌な想像が途端に湧いてきて。水谷さんがこの場にいれば今すぐにでも確かめられるのに。彼女の唇の形、真っ黒な瞳、触れると柔らかい身体その全部を。


「吉田さん?どうしたの?」


「…あっ、いやちょっと考え事」


落ち込んだ視線を上げて日向さんに笑いかける。ニコッと笑い返した日向さんは、テーブルに伸ばした手で私の指先をツンツンと触り始めた。


「私も恋人、欲しいなー……」


「日向さんなら直ぐ出来るよ。可愛いし、愛嬌あるし」


「ほ、ほんと……?吉田さんもそう思ってる……?」


日向さんは私を上目遣いで見つめていて。

心の奥が掻き立てられてしまう。


「も、もちろん」


「嬉しいな……吉田さんにそう言ってもらえて」


日向さんの蕩けるような笑みに目が離せなくなる。胸の鼓動が止まってくれない。


時が止まって、まるで世界が真空に包まられたみたいになる。私と日向さんだけが、そこに居るみたいな。


2人だけの世界。心地よくて、溺れそうになった。


そんな時──。


『大好きだよ、愛してる』

『美月』

『日向と絶交して』


水谷さんの声が、した。

2人だけの世界に彼女が入り込んで。


もう1人の私が、水谷さんだけを求める私が居ることに気づいた。


『終わっちゃうものもあるんだよ』


今一度、記憶が掘り起こされて。

水谷さんは何を思ってあんなこと言ったんだろう。考えるよりも先に口が動いていた。


「日向さんって、水谷さんと仲良いよね。

……日向さんから見て、水谷さんってどんな印象?」


口から自然と言葉が出てくる。

日向さんは手を顎に当てて考え込む。


「えー、優等生?でも冗談とか言うし真面目じゃないような……?」


「そう、なんだ」


水谷さんは不透明で掴みどころの無い人だ。

友達の日向さんに聞いても、彼女の本心なんて分かるはずがない。


「でも、何でそんなこと?」


「……ちょっと、色々あって」


日向さんは心配そうな顔をする。


「悩みがあるなら相談乗るよ…?」


不安の種は消えてくれなかった。私の心を栄養にして肥大化していく。耐えられない。誰かに話したいと、不安を打ち明けたい。


彼女に言われたことを思い出しながら、私は喉を鳴らした。


「……大切な人が出来ても、きっと……

ずっと、一緒には居られないって。

どうしたら良いんだろう……かなって」


辿々しい物言い。だけど、日向さんは何かを察したみたいで。


「もしかして……好きな人がいるの?」


「そう、かも……」


「そ、そう…なんだ……」


好き、かどうかは分からない。ただ、水谷さんが居なくなるなんて考えられない。


彼女と出会って、…出鱈目な出会い方だったかもしれないけど。


空っぽだった私に水谷さんが棲みついて。

満たされて。


彼女のおかげで日向さんとも仲良くなれて。LINEの返信を待ち望むようになって。

ご飯の味がするようになって。


ベッドに入る時、ほんの少しだけ明日が楽しみになった。


「仕方、ないんじゃないかな…。有限だからこそ、大切に出来るものもあるし」


だから、現実を受け入れられないのかもしれない。善意で言われた日向さんの言葉を、信じたくない。有限だとしたら、大切にすればするほど辛くなるだけから。


何もかも向き合いたくなくて俯くと、日向さんは私の手をとってギュッと握りしめた。


「私なら……ずっと、

吉田さんのそばに居られるのに……」


「え……?」


頭の霧が、かすかに晴れた気がした。

驚いて顔を上げると、日向さんはバッと手を引っ込めて、両手を胸の前でぶんぶんと振る。


「あっ、いやっ!ち、違うからね!?

その、いや別に友達としてって言うか…でもゆくゆくはというか……」


あはは……、と乾いた笑いをする日向さん。

自然と、意図せず言ってしまったんだろう。


多分、日向さんは私のことが好きだ。

それは前々から分かっていた。


分かっていてどう振る舞うべきか決めかねていた。彼女の好意を受け止められるか分からなかったし、水谷さんには仲良くなるなと言われていたから。


そして、何より…恋人が居たから。


(今までは、水谷さんが居た。だけど、これからは……)


じくじくと傷んだ傷を覆い隠すようにして、呼吸を整える。


「日向さん………」


別に、水谷さんじゃなくても良い。

水谷さんじゃなくても、誰か他の人が居れば……。


他の人。そう考えた時に私が真っ先に思い浮かんだのは──


「日向さんは、私とずっと一緒に居てくれる?」


「も、もちろん…!」


頬を赤ながら、ぎこちなく笑いかける日向さん。そんな彼女に、私は仮初の笑顔を受け渡した。


「……ありがと。大好きだよ、日向さん」

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