…吉田さん、日向と仲良いんだね
「あのー…吉田さんちょっと良いかな?」
授業が始まる前。
隣の席から日向さんが話しかけてくる。
「どうしたの?」
「今日、国語の教科書忘れちゃって。見せてくれない、かな?」
「それくらい、全然」
日向さんは気恥ずかしそうに頭をかいて机をくっつける。ちょっとして先生が教室に入ってきて授業を始めた。
「みんな、夢の中に好きな人が出てきたことはあるかな?今日やる古文は夢に関する歌なんだけど──」
先生の声が耳を通り抜けていく。
シャーペンを持ったは良いものの、白紙のノートに文字を書く気が起きない。
隣を見ると、私の教科書を見ながら日向さんが一生懸命にノートを取っていた。
「なるほど…今と昔じゃ違うんだね……」
うんうん、と頷く日向さん。
時折眉間に皺がよったり、かと思えば花のように笑顔になる。
(飽きないな、日向さん見てると)
授業を聞かずに、私はその横顔をジッと見続けてしまう。すると、日向さんは視線に気づいたようで。
「吉田さん、どうかしたの?」
「ああいや、ちょっとボーッとしてただけ。今何やってるんだっけ」
とっさに日向さんを眺めていたことを誤魔化す。
うーん、っと唸り声をあげる日向さん。
良かった、気づかれてないみたい。
「……今はね、えーっと…何だっけ?」
日向さんはこてん、と首を傾げた。
あれだけ真面目に板書していたのに何も覚えていないのか………。
「…もしかして、日向さんって天然だったりする?」
「いや、違うけど?」
「……そうなんだ」
多分天然、それか本当に勉強出来ないかのどっちか、か。でも頑張ってるだけ私より数段マシだと思う。
そう思っていると
「あ、なんだその私を憐れむ目は!!馬鹿で悪かったね馬鹿で!!!」
私の考えを察したのか、日向さんは大声を出してツッコミを入れた。
…もちろん、今は授業中な訳で。
日向さんの声は教室に響き渡り、私たちは一斉にみんなの注目を浴びる。
「日向さん、今は授業中ですよ。教科書も忘れてるし…しっかりしてくださいね」
「あ!はいすみません!!!」
ペコリと頭を下げる日向さん。
教室が笑いに包まれる。
先生は呆れたように日向さんを見て、その後に一瞬だけ私を一瞥した。
「……授業に戻ります。現代では、愛する人を想い過ぎて、好きな人が自分の夢の中に出てきちゃうって話が多いよね」
「でも古文では、自分を想ってくれている人が自分の夢の中に現れると考えられていたんだよ」
ほんとに今と昔じゃ考え方が違うんだな。
「ねえ、吉田さんは夢の中に誰か出てきたことってある?」
「私は…特にないかな」
夢の中に誰も人が現れないのは、私が個人に執着してないからか。それとも、昔の考え方をするなら──誰も私を想ってくれてないってことなのかな。
通りで夢に出てこないわけだ。お母さんも、あの人も。
「私は、最近よく出てくるよ」
「へえ、誰が?」
日向さんはペンをゆっくりと置く。
顔を私とは反対に向けて、その口を開いた。
「……よ、吉田さん、が」
彼女の口元は震えていた。
何か大事なことを言ってる気がした。
でも、私はその意図を汲み取ることが出来なくて。
「わたし?」
「うん、吉田さん。なんで、だろうね……?」
日向さんは顔をこっちに向けて笑いかけてくる。太陽みたいな笑み。普段の、明るい表情とはまた違った、純朴な破顔に。
心臓を鷲掴みにされた。
「有名なのはこの句だね。まあいつの時代も人間の考えることなんて色恋が大半なんだよ」
先生の声が、やまびこのように語りかけてくる。日向さんの顔が見れない。自分の思い違いかもしれない。だけど──。
日向さんは教科書に載っている句を指差して言う。
「この句、なんか親近感湧くな」
「…そうなの?」
目を伏せる日向さん。
私は思わず息を呑んでしまう。
一瞬、脳裏に水谷さんの妖艶な笑みが浮かび上がる。それが何でなのかは、分からない。
だけど、今は彼女の言葉を聞きたい、そう思った。
「うん。だって……私の気持ちと同じだもん」
日向さんの指差したある短歌。
それは、夢に出てきた想い人に寄せたもので。
『思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを』
原文の横にある訳を最後まで読めなかった。
火が吹き出しそうなほどに顔が熱くて、
日向さんの耳も、紅に染まっていて。
2人の距離がやけに近く感じる。
私も日向さんも顔を合わせることが出来ない。
世界が2人きりになったみたいだった。
***
学校が終わって、私は水谷さんと家に帰っていた。だけど、日向さんのことが気になって、それしか考えられない。
「最近暇なんだよね、部活もしてないし刺激が足りないっていうか。吉田さんはどう?」
「あー……うん」
私が夢に出てくるって、日向さんは私のことをどう思ってるんだろう。
好き、なのかな。でも何で?私なんかを好きになったんだろう。仮に私を好きだとして、それはどっちなんだろう。親愛?それとも
「吉田さん。私の話聞いてる?」
「うん……」
私は、日向さんをどう思ってるんだろう。
もしも、告白されたら……。私はどう答えるんだろう。あの時の、胸の高鳴りを思い出してしまう。でも、私には一応水谷さんという彼女が居て。浮気するわけにはいかない。だけど、元々お試しみたいに始めた関係だし……。
「………ねえ、ほんとに聞いてる?」
「うん」
適当に、言葉を返していた。
水谷さんと一緒にいて、2人で帰ってるときに。
私たちは恋人同士なのに。
それが、彼女の何かに触れたみたいだった。
「ちょっと、こっち来て」
「み、水谷さん?」
水谷さんは眉ひとつ動かさない。
何を考えてるのか、分かんない薄ら笑い。
足を引き摺られながら手を引かれ、路地裏に連れていかれる。
水谷さんが私の肩を掴んで、
「っっ!?」
そのまま後ろへと突き飛ばした。
背中に鈍痛が走る。
張り付いたような笑顔に、私は顔を自然と引き攣らせていた。
「吉田さん、日向と仲良いんだね」
「そうだけど…?」
「今日も、授業中楽しそうにしてたよね」
「いや、あれは日向さんが教科書忘れてたから…」
「へえ……、そうなんだ」
水谷さんの声のトーンが低くなる。
あ、やばい。そう思ったけど、もう遅かった。
水谷さんに壁ドンされていて、逃げられない。
気づけば彼女の顔が迫ってきていて、
「んっ………」
柔らかい感触が走った。
両手を頭の上に上げられ、左右の手首を重ねるように抑えつけられて。
強引に舌を入れられて柔らかいものが中に入ってくる。
「や、めて……」
私たちは舌と舌を必死に絡ませ合う。
全身の力が抜けていく。
まるで糸が切れたみたいに。
それが、どうしようもなく気持ちいい。
また、この感覚だ。
よく分かんないのが押し寄せてくる。
自分が自分じゃ無くなっていく。
「お仕置き、だよ」
馬乗りになった水谷さんの舌が、私の舌を押さえつけて離してくれない。
私を屈服させるように、私がどこにも逃げられないように。
何度も何度も、繰り返し生温かいモノが私を踏んづける。
「っあ……なん…で……?」
水谷さんの唾液の味がした。
私と彼女が段々と混ざっていく。
通学路の路地裏で、こんな場所でキスなんていけないことなのに。
背徳感が私の理性を支配していく。
浴びるほどのキスと、纏わりつくような吐息をされて。私の身体は言うことを聞かなくなっていた。
どれくらい経ったか、私の口元から水谷さんが離れていく。
ふっと身体が支えられなくなって、私は地面へと尻餅を付いた。
「…なんで、キスしたの?」
「吉田さんは私の物だから。他の人に靡いちゃダメだよ」
目を細める水谷さん。
日向さんとこれ以上仲良くなるな、そう言われている気がした。
「……水谷さんとは、別にお試しみたいなものでしょ」
私は水谷さんの所有物じゃない。
日向さんと仲良くしてたっていいし、今すぐにでも水谷さんと別れることも出来る。
他人に支配されてばかりの人生なんて……そんなの嫌だ。
私は、意志を見せつけるように水谷さんを睨みつけた。
「へえ……、そういうことしちゃうんだ」
それが、余計に水谷さんを刺激したみたいだった。座り込む私に一歩、また一歩と近づいて。
「やっ、やめ………!」
また、キスされる。
彼女の顔が目の前まで迫ってきて、
「今日は終わりにしてあげる。また日向と仲良くしてたら……分かるよね?」
耳元でそっと囁かれた。
「じゃ、またね」水谷さんは笑いながら去っていく。私は、その場で座り込むことしか出来なかった。虚空を、唯ひたすらに眺めていた。
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