分からない。
『これ以上日向と仲良くしたら…分かってるよね?』
昨日、水谷さんに言われた言葉が頭の片隅を占領していた。
午前中の授業が終わり、教室はガヤガヤとなっている。私は、周囲の友人と親しげに話す水谷さんを盗み見た。
(仲良くするなって、多分デートとかイチャイチャするなってことだよね)
それだけならまだ良いけど、ヒートアップして『日向さんと喋るな』とか言われるかもしれない。
私は、日向さんと仲良くなりたいんだろうか。
仲良くなって、どうしたいんだろうか。
日向さんは私のことを快く思ってくれてる、はずだ。でも、私は……?
日向さんの仕草や顔立ちは可愛いと思うし、偶に出る大胆な発言にはドキッとさせられる。
それは、日向さんのことが好き、ってことになるのかな。
心のどこかで、薄らと感じている。
自分はどうしたいのか。何がしたいのか。
その、意思の不透明さを。
日向さんと関わらなくなることを私はどう考えてるんだろう。
「日向さんと、どうなりたいのかな……」
「………わたし?」
隣から素っ頓狂な声が聞こえた。
横を見ると日向さんがトンチキな顔をしていて。
「よ、吉田さん?」
「ちょっと、考え事してただけ」
「え、……何を?」
恐る恐る聞いてくる日向さん。
私の中にはモヤモヤとした気持ちが渦を成していた。
「日向さんとの"これから"、とか」
他人に言ったら楽になるのかな。そう思ったらつい口から言葉が出ていた。
「こ、これから!?」
「…うん、これから」
これから、水谷さんの言う通りにするのか。それとも、無視して関係を続けるのか。
「あ、と、その…吉田さんはどう考えてるの?」
「私は…分かんない」
でも、水谷さんの思い通りには動きたくない。
常に私の上をいってるみたいな感じとか、支配的な言動とか、気に食わない。
それに、キスされる時の…こみ上げてくる何かも苦手だ。あれがあると自分が正気じゃなくなっていく気がする。
「そ、そか!!そうだよね先の事なんて分かんないよね!!」
視界の隅で、日向さんが声を張り上げる。
彼女になんて言うか、そんな事を気にしている暇は、私には無かった。
木材板の床をボンヤリと見つめる。
板と板の間、そこに溜まった埃。その一つ一つに目を通した。
周囲は皆一様に机を動かして給食の準備をしている。日向さんも反応が薄い私の顔を少し覗き込んだ後、給食の準備を始めた。
水谷さんの言う事は聞きたくないから、日向さんとは仲良くするとして。
私は、日向さんをどう思ってるんだろう。
そんな考えが、私の頭を支配していた。
授業が終わって、放課後。
わたしは職員室へと呼び出されていた。
正面には椅子にどかっと座っている担任の先生。その視線が私を射抜く。
「お前なあ、課題くらい出せって言ったよな?」
「……はい」
「お前のためを思って言ってるんだけどな。社会に出たら通用しないぞ?」
先生はため息をついて、机に置かれた一枚の紙を手に取る。
そこには、『吉田美月』と書かれていて。
「それに進路希望も、何だこれは?白紙は無いだろ白紙は」
第一志望から第三志望まで、そこには何も書かれていなかった。
「…思いつかなかったので」
「………何か、あるだろ?興味があることとか、そういう些細なことで良いんだからさ」
「別に、特には……」
「特にはって…お前なあ」
半ば諦めたように半目を開く先生。
立ちっぱなしの私は居心地が悪く、何となく足で軽く地面をつついてみたり、手を後ろで組んだりする。
私の様子を見て、先生はもう一度深くため息をついた。
…先生には悪いけど、無いものはない。
なりたい物とか、将来どうしたいとか。
(どうでも良いとは言わないけどさ)
自分の人生に期待が持てない。一年後の自分を想像できない。
果てしない暗闇をずっと走っている。
背後から迫ってくる何かに追われて、見えない光を必死に追いかける。
この不毛な長距離走はいつ終わるんだろう。
ゴールの見えない、況してや賞金も用意されていない道を、私は走れない。
じゃあ、他の人たちは何の為に走ってるんだろう?
「……先生は、何で先生になったんですか?」
そう聞くと、先生は口元に皺を寄せて少し考え込んだ。
「俺?俺は、まぁ…やっぱり子どもの成長を助けたいから、かなぁ」
子供の成長を助けたい。
なんて大層な目標だろう。やっぱり私には、そんなモノ待てっこない。
のっぺりとした私の表情に、青色のインクが滲み出る。だけど、先生は自信満々に過去の自分を語っていて。
「まあ、お前も色んなことに興味持てよ。具体的な将来じゃなくても、こうなりたいとか漠然としたので良いからさ」
「…分か、りました」
勝手に自分だけで結論を下した。
私の心は何一つ解消されていないのに。
ただ、嫌味を言われただけ。
その印象のみを引きずって職員室を後にした。
すると、壁に寄りかかって誰かを待っている人影が見えた。
「あ……よ、吉田さん!」
「日向さん…」
手を振りながら近寄ってくる日向さん。
大ぶりな仕草、なんか犬みたい。
「どうしたの?職員室に用事あった?」
「…まあ、ちょっとね。日向さんは?」
「日直!いやーほんと面倒くさいよ」
喉に詰まった言葉を捻り出す。
何だか、今は日向さんに会いたくない。
いや、誰にも……。
私たちの間に沈黙が流れる。
お互いに目を合わせて、同時に口を開け──。
「…そ、その!!」
「あの……」
再び休符が挟まれた。
日向さんはアワワと慌てている。
「え、ええと!どうぞ吉田さんっ!」
「いいよ、日向さんからで」
そう言うと、日向さんは急にしおらしくなって。口元に力を入れたかと思えば、深く息を吐き私の方に向き直した。
「えっと、その…この前言ってた映画の話なんだけど……予定とか、色々決めたいから……」
日向さんは、ところどころ言葉に詰まりながら話を進める。その緊張した面持ちに私まで背筋がピンっと伸ばされ──。
「吉田さんのLINE、追加しても、いい?」
日向さんは意を決して口を開いた。
…そう言えば、日向さんのLINE持ってなかったな。
「あ、嫌だったら良いからね!?」と続ける日向さん。
私は「追加しとくよ」と言ってスカートのポケットからスマートフォンを取り出す。
すると、日向さんは驚いたように声を出した。
「吉田さん、スマホって持ち込み禁止じゃ……!!」
「…バレなきゃ大丈夫だから」
他の人だってコッソリ持ち込んでたりするし。
それに、先生だってそこら辺は緩めだ。
とは言えバレれば普通に没収されるし、しかもここは職員室の前だし……。
私は隠れるように急いでクラスLINEから日向さんのアカウントを追加した。
「…もしかして、吉田さんって意外と不真面目?」
「少なくとも真面目じゃないかも」
ガッカリされたかな。私のことカッコいいとか言ってたし。そう思ってたけど、日向さんは何故か「それはそれでアリかも……」と呟いた。
そうして、私たちは鞄を取りに教室に戻る。
適度に雑談を交わしながら、私の心は別のところに囚われていた。
(わたし、将来どうしたいんだろう)
自分でも、自分が分からない。
私は、いつもそうだ。軸がない。信念がない。
水谷さんと付き合ってる理由も、水谷さんとの行為をどう思ってるかも。
日向さんをどう思ってるかも。日向さんとどうなりたいのかも。
全部曖昧にしている。
今の自分さえ分からないのに、将来なんて分かるのかな……?
不安は尽きなくて。足元にしがみつくようにして只管に将来がわたしを脅かしてくる。
さっき言いかけた言葉。気づけばそれを口にしていた。
「…日向さんは、進路とかもう決めてる?」
「うーん…ざっくりとしか考えてないなぁ」
えずくようにして吐き出した言葉。
日向さんは、その裏を読むことはなく。
私は恐る恐る、日向さんに質問する。
「何したいとか、あるの?」
「えー、んー……私は運動とか好きだから、スポーツトレーナーとか、栄養士とか。運動選手を支えるような職業が良いよね」
そう、屈託なく告げられる。
その目に偽りなんかは無かった。
「吉田さんは?」
「私は……」
口が縫い付けられたみたいに動かない。
そんな私に日向さんは気付くことはなく。
「まあいつか決まるよ!」と明るい言葉をかけられた。
その"いつか"が来るまでに、後どれくらいかかるんだろう。
…悩みは尽きなかった。
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