日向さんは可愛い

自分が分からない。

図書室でキスされて、急いで教室に逃げてきた。あの時の感触はもう残っていない。今はただ感情のありかを探している。


キスされた時は無我夢中だった。

怖くて体が震えた。未知の感覚に襲われた。


今は、その感覚はどこにも見当たらない。

ただ、僅かな唇の湿りだけが唯一の証拠だった。

あの行為が実際にあったということの──。


騒がしい教室。クラスメイトの声。

普段なら鬱陶しいその喧騒が、今は有難い。


混乱した自分が、ざわめきに塗れて居なくなっていく──そんな時だった。


「ねえねえ!吉田さん、今暇してる?」


隣の席から聞き慣れない声が飛んだ。

顔を上げると、天真爛漫な笑みが飛び込んできて。声の主が日向さんだと分かるまで数秒かかった。


「え、っと、うん。暇、してるよ?」


突然の襲来に言葉が詰まる。

日向さん?え、何で私に?

彼女は私の隣の席だけど、何の接点もない。

陽キャと隠キャ。その道は決して交わらないはず、なのに………


「聞きたいことがあってさ!えっとね…、みずっちが最近付き合い悪くて、気になって放課後に後をつけてみたんだけど──」


「え?」


さーっと血の気が引いていく。

もしかして、水谷さんとの関係がバレた…?


嫌な汗が額をなぞる。

日向さんは空中を見上げた後、その目をぱーっ!と輝かせた。


「吉田さんだったんだね!みずっちと仲良くしてたの!」


「………え?」


「いつの間に仲良くなったの!?」


「え、成り行きで…?」


「いやー!2人があんなに仲良いなんて!まさかみずっちが、"あの"吉田さんと仲良くしてるとは…!!」


あの……?え、あのって何…?

日向さんは身を乗り出しながら捲し立てる。

私はずっと頭に疑問が浮かんでいて。

…もしかして、私嫌われてたりする?


「……あの、って?」


「あ……、いや違うよ!?吉田さんのこと悪く言ってる訳じゃないからね!?」


慌てて否定する日向さん。

人差し指をちょん、ちょんと弄りながらモゴモゴと口を開く。


「吉田さんってクールでカッコいいけど!

近寄りがたいオーラ出してるから……私もずっと話してみたいって思ってたの」


クール?カッコいい?私のことを誤解してるのでは?

日向さんは身を乗り出して手をバタバタとさせる──その瞬間、


「わっ!?!?」


日向さんの椅子が90度縦に転がった。

彼女が地面にぶつからないよう、私は咄嗟に身体を抱え込む。


「あぇ…………」


日向さんの顔が私の胸に当たる。

クリクリと小動物みたいなおめめ、そして小柄な上半身。


「よかったぁ………」


安心してふーっと息を吐いて、胸の上でモゾモゾと動くから…くすぐったい。


彼女の柔らかな両腕と、甘い匂いのふわふわな髪に五感が研ぎ澄まされる。


「あ……ごめん吉田さん!」


日向さんは急いで胸から飛びく。

私は「別に、大丈夫」と平静を装った。


「最悪……。何でこんな時に限ってやらかしちゃうかな…折角話せるチャンスだってのに」


顔に両手を当てて頭を振る日向さん。その度にフリフリとポニーテールが揺れていて。

最後の方はよく聞き取れなかったけど。


……犬っぽいな、日向さんって。庇護欲が唆られるっていうか。


「……かわいい、っていうか」


私は出来るだけ人と話さないようにしている。最近こそ水谷さんと関わっているけど、人との距離感とか、話す内容とか。正解が分からないから。


普段、人と話さないからこそ、気が回らなかった。水谷さんの一件と日向さんのハプニングも相まって。


………だから、自分の口からとんでもない爆弾が落っこちた。


「それって、もしかして私のこと……?」


ボンッ!と日向さんの顔が真っ赤になった。

ゆるゆると口元が波打って、日向さんはくるくると横髪指先で遊ばせていて。見ているこっちまで熱くなる。


「あーいや、何となく思っただけで……」


「そ、そうだよね……」


適当に誤魔化したけれど、私たちの間には微妙な空気が流れ続けた。




***




そういえば、水谷さんって私のどこが好きなんだろう。

ホテルの一件があるまでは全く話してなかったし。好きになった理由も分からない。


……もしかして成り行きで付き合った?

でも、好きでもない相手にキスなんて出来るの?


考えても答えは出ない。大体自分のことすら分からないのに……他人のことなんて分かりっこない。


思考を濁らせながら、適当に店内を周る。

土曜日の夕方。私は駅前の本屋に来ていた。


金曜は朝方までスマホや漫画を読み漁る。

そっからベッドに入って睡眠。夕方に起きてきて夕飯を食べにいく。


これが週末のルーティン。

今日起きたのは16時くらいで、今は17時過ぎ。ご飯の時間にはまだ少し早いので適当に暇を潰している。


「あ、これ映画化するんだ」


漫画に巻かれた帯が目について、何となく手に取りまじまじと眺める。

つい最近私が読んだ漫画だ。どうせなら観に行こうかとも思ったけど……めんどくさい。配信でいいか。


そう思いながらも、並べられた本を眺めていると、


「………!」


どこからか、視線を感じた。

…本棚の影から誰かが私を見ている。


「………!!!」


ジーっと、穴が開くくらいの眼力。

そっちの方を向くと、サッと隠れられるが……見覚えのあるポニーテールが本棚から見えている。


どうしよう。絶対あの人だ。話しかける?無視するのもアリだけど……。


少し迷った挙句、私はコソコソと隠れている人物に近づいていった。


「……日向さん?」


「あ、え!?なななんでバレたの!?」


「そんなにガン見されてたら…」


バレるに決まってるでしょ、普通は。

日向さんは焦ってアタフタと覗きの言い訳をする。


「いやー偶然だよ!?さっきまで友達と遊んでて、その帰りだったんだけどさ!吉田さんの姿が見えたから!!」


慌てふためく日向さん。

「話しかけるタイミングを伺ってただけだよ!?」と必死に言い訳する。


「あ、その漫画!吉田さんも読んでるの?」


「え、うん。読んでるけど…」


日向さんは私が手に持っていた漫画を指差した。


「え、映画化するんだねー……」


「……そうだね」


痛々しい沈黙が走る。お互い話題を探しているけれど……私たちにこれと言った接点はなく。


気まずい。早く帰りたい。

というか何でこんなに絡んでくるんだろう。


日向さんの顔を盗み見る。

どうやら教室とは違ってひどく緊張しているようで。


「あ、あの!!その、、、

もし良かったら……その映画、今度一緒に観に行かない?その、えと…別に変な意味とかはないんだけど……」


どんどんと口調が弱々しくなっていく。

どうしよう。断る理由はないけど……。


「えっと……まあ予定が合えば」


「ほんとに!?」


適当にはぐらかしたつもりだったのに、日向さんの顔は驚くほどに輝いていて。勢いよく私の手を握ってきた。


向けられた満面の笑みにズキリ、と心が痛む。

ぎゅうっとお互いの手が絡まって、目の前には可愛らしい顔にあって。なんだか、心臓に悪い。


「あの……」


「あ!ごめんね!?」


触れていたはずの日向さんの手が離れていく。

日向さんは肩をがっかりと落としていて、眉尻はどんどんと下がっていってしまう。


捨てられた子犬みたい…。

私は庇護欲と罪悪感が掻き立てられてしまい、


「いや、別にいいよ。…嫌じゃなかったし」


「え!?あ、うん……」


見る見るうちに、日向さんの顔が真っ赤になっていく。

それから暫くの間お互いにぎこちなく会話を続け、私はその場を立ち去った。






繁華街を歩きながら、私はさっきのことを思い出す。


上手く話せたかな。何か変なこと言ってないといいけど。

それにしても、手を握っただけでこんなに照れるなんて。……可愛いな。


もし、水谷さんが私の手を握ってきたら。

……そのまま、押し倒されそうな気がする。


日向さんに握られた左手を、私はジッと見つめる。日向さんの、温かかい手。

何かある度にフリフリと揺れるポニーテール。


「可愛かったな……」

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