会いたい
「……ただいま」
水谷さんと別れて自宅の扉を開ける。
何処までも伸びていくような真っ暗闇の廊下を抜けて、階段を上って自室まで行く。
適当に鞄を投げ出してスマホを取り出し、新着動画を観漁る。やれ議員の汚職だの、外国人観光客がどうだの、不倫した俳優が誰だの。
見応えのない動画ばかりが流れてきて。
「ありえない」「国民を何だと思ってる」
「ヤバすぎ」「失望しました」
「辞めさせろよコイツ」
コメント欄を見ると、これまた定型みたいな誹謗中傷じみたコメントが広がっていた。
「馬鹿ばっか」
赤の他人の動向がそんなに気になるのか。議員とかならまだしも、自分に何の関係もないことにまで首を突っ込むなんて、何のためにやってるんだろう。
(まあ、やりたい気持ちは分かるけど)
私の場合は傍観者を決め込む。だって一歩引いて見てた方が頭良さそうじゃん。触らぬ神に祟りなしとも言うしね。
スクロールして動画を飛ばし観していく。
(つまらない………)
そう思ってしまう。さっきまで水谷さんと居たから、1人きりと言うのを嫌でも意識してしまう。
明日も彼女に会えるだろうか。恋人同士だから手を繋いだり、ラブホテルでしたようなこともする、のかな。
もしかしたら、その先も水谷さんと……。
「何考えてるんだ私………」
彼女に毒され過ぎだ。そんなこと起きる訳ないしやる気もない。期待なんてする必要ない。
1人は楽だ。誰にも干渉しないし、されない。楽しいかと言われれば首を横に振るが、すくなくとも楽ではある。
学校から帰ってきて眠るまでネットの情報を浴びる。それが私の日常だ。
そして、その日常はある一通の通知によってかき消されることになった。
ダラダラと動画を見漁っていると、スマホからポコンという音がして。
『LINE追加しといたよ!』
可愛らしい猫のスタンプと共に「カエデ」という名前の人物から連絡が届いた。
「え………」
突然の異変に丸めていた背筋がピンっと針金のように伸びた。条件反射で通知欄をタップしてしまい、「既読」の二文字が刻まれてしまう。
やらかした。これじゃ直ぐに返信しないといけないし会話を続けなければならない。
水谷さんと過ごす時間は悪くはないけれど。
むしろ彼女からLINEが来て思わず口角が上がってしまうくらいには、嬉しかったけれど。
でも、家ではゆっくりしたいとも思うのだ。
仕方がないので適当なスタンプを送る。
これで会話は起こらないはずだ。
『もし100万円貰えるとしたら何に使う?』
「唐突すぎるでしょ…」
直前の予想は一瞬にして裏切られる。
私たちの間に共通の話題がないとは言え、藪から棒過ぎるでしょ。会話を続けるのも面倒なので一言『貯金』とだけ返信する。
『夢がないなあ。ちなみに私はコスメとバック買う!』
…なんて短絡的な。どうせ直ぐに消費する癖に。というか水谷さんなら既に100万円くらい使ってるんじゃ?
そう思いつつ既読は付けずに動画の視聴を続ける。返信するのは後で良い。
直ぐに返信すると私が水谷さんの返信を待ち望んでると思われそうだし。
『未読無視してる?』
ポコンッと追加でLINEが来た。
……何で私の心が読めるんだろう。
どう返すべきか迷っていると、急にスマホが振動して電話がかかってきた。
動揺して滑り落ちそうになるスマホを慌ててキャッチする。
相手は水谷さんだ。私は少し迷って応答のボタンを押した。
「……もしもし」
「あ、吉田さん何で未読無視したの!」
ついさっき聞いた明るい声が聞こえた。
若干のノイズが混じっているけれど、確かに彼女の声が耳元でする。
「いや、まあ何となく。ていうか水谷さんこそ何で急にLINEなんかしてきたの?」
「吉田さんと話したかったから、って理由じゃ駄目かな?」
「…駄目じゃないけど。水谷さんってグイグイ来すぎじゃない?」
「恥ずかしいんだ」
水谷さんの撫でるような声が鼓膜を揺さぶった。耳裏から吐息が吐かれたみたいに感じる。
「そんなんじゃない」
「恋人からの通話でドキドキしてるんでしょ?」
「……してない」
少しだけ彼女の言葉を否定するのに戸惑った。
水谷さんとラブホテルで一線を超えた時から、私の心はザワザワとしている。
でも、これは単なる生理現象だ。キスされたり抱きつかれたりしたら誰だってドキッとする。
そう、自分に言い聞かせる。
「私はしてるよ。ずっとドキドキしてる」
彼女は上擦った声で言う。水谷さんが私でドキドキしている。その事実に確かな高揚を覚えてしまう。
「音、聞いてみる?」
そう言うと、水谷さんは通話を画面モードにした。直ぐに制服姿の水谷さんが画面に広がる。
「別に聞かなくて良い」そう言い終わる前に彼女はシャツのボタンを外していく。
キャミソールの上からでも分かる胸の膨らみ。良い匂いがする、気がする。ホテルで抱きつかれた時も確かに触れた胸だ。
「あんまり見られると恥ずかしいな」
水谷さんに指摘されて顔が赤くなってしまう。食い入るように胸を見ていた自分が恥ずかしい。同性の、しかもただ膨らみを見ただけだというのに。そんな自分を彼女に見られていたことも恥ずかしい。
「ほら、ドキドキしてるでしょ?」
スマホを胸に近づける水谷さん。
とくんっ、とくんっと心地よい音が画面越しに伝わってくる。彼女の存在がいっそう深まって。まるで抱きしめられてるみたいに感じられた。
「家に帰ってから、吉田さんのことずぅっっと考えたよ」
水谷さんはスマホを胸から離し、息を絡ませるように囁きかけてくる。
「吉田さんは私のこと考えててくれた?」
爪でなぞるみたいに耳元をくすぐられ、ゾワっとした感覚が頭を駆け巡った。どう答えるべきだろうか。彼女のことを考えていたと言ったら、きっと水谷さんは調子に乗ってイジってくるに違いない。
だから、どう答えればいいかは明らかだ。明らか、なのに……。
「………少しだけ」
思考とは無関係に、その言葉は吐露された。
スマホ越しに、水谷さんがニンマリと笑っているような気がした。
「……もう切るから」
誤魔化すように通話を終了する。何を言ってるんだ私は。何で、水谷さんが喜ぶようなことをわざわざ言ったんだ?
私は彼女のことなんて考えてない。恋人とは言え水谷さんはつい最近まで唯のクラスメイトだったんだ。特別な感情を抱くなんてあり得ない。
「…会いたいな」
そう、想いが喉元から滑り落ちる。
一度溢れ出した気持ちは止められなくて。
会いたい。もっと声を聞きたい。好きって言われたい。
水谷さんとのトーク画面をまじまじと見つめた後、私はスマホをぎゅっと抱きしめた。
1人きりの夜が長い間続いていたから。
きっと、こんな感情を抱いたのだろう。
そう思うことにした。
黒インクが凪いだ水面を点眼するように、私の日常に水谷さんが入り込んでいくのだった。
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