恋人というよりは…
「じゃあ今日はここまで、期末も近いからよく勉強しておくように」
目を擦りながら顔を上げると気付けば授業が終わっていた。礼をする皆んなに合わせて遅れて立ち上がる。自分のノートには、見るに耐えない象形文字みたいな字が書かれていて……。まあ、メモを取ろうとしただけマシか。精神的に向上心のない馬鹿でごめんね、先生。
心の中でそう呟いていると、隣の席から日向さんの明るい声が聞こえてくる。
「みずっち、今日遊ばない?」
「あーごめん。今日は先約があってさ」
「あれ、彼氏と上手くいってなかったんじゃなかったっけ」
「あーどうだろ。まあそこそこかな」
小首をかしげる西城さん。
水谷さんは誤魔化すように言葉を濁した。
…そう言えば、水谷さんって彼氏いたな。
最近色々と愚痴ってたけど。というか、一応私と水谷さんって付き合ってるんだよね?これって二股になるんじゃないの?
「…もしかして新しい彼氏?」
「え、また!?」
揶揄う西城さんと素っ頓狂な声を上げる日向さん。水谷さんは愛想笑いを続けるけど、明らかに何かを隠しているようで。
(私は?私と付き合ってるのに彼氏ってどういうこと?何で?)
自分と言う彼女が居ながら新しい彼氏を作られたことに苛立ちを覚えた。…別に彼女のことが好きな訳じゃないけど。
「ま、そんなとこかな」
「ほんとのこと言ってよ〜〜!!いたっ!!」
相手は誰なのかと騒ぐ日向さん。椅子に座ったまま足をバタバタさせているから、ドンっと脛をぶつけてしまう。「〜〜っっ!!」と痛がる日向さんに西城さんが「馬鹿なんじゃないの?」と痛烈な抱っこみを入れる。
「あはは!何やってんの!!」
「何笑ってんのさ!!みずっちのせいだからねこのやろー!!」
日向さんはポカポカと水谷さんの肩を叩く。
その子供っぽさに呆れた笑いをこぼす2人。
(楽しそう、だな…)
きっとこんな風に友達同士で馬鹿騒ぎするのが青春というやつなのだろう。私には縁のないものだけれど、少しだけ、ほんの少しだけ羨ましくなる。
「あ、もうこんな時間だ。ごめんね明日埋め合わせするから」
「絶対だからね!!」
「はいはい。期待せずに待っとくよ」
私には見向きもせずに颯爽と教室を出ていく水谷さん。同じ教室に彼女が居るのに。私は仮にも水谷さんの彼女なのに。
告白してきたのは向こうなのに、私の知らぬ間に彼氏を作って。私は用済み?
自分を軽く扱われたような不快感。
彼女に期待してた訳じゃないけど、裏切られたような気がして。何だか心が晴れない。
……私も帰ろう。
そう思って、机の上に置かれた教科書と筆箱をぐちゃぐちゃのまま鞄に押し込む。
隣に座る日向さん達が怪訝な顔をしているけれど、関係ない。
コッソリ持ち込んでいるイヤホンを外し鞄を持って教室を出る。
湿っぽい6月の空気が肌にまとわりついてより一層不快感が増す。一段、一段と階段を降りていき、靴箱から外へ。
若干の寂しさを覚えながら錆びついた校門を抜けた、その時だった。
「あ、やっと来た」
校門の影に、隠れるようにして寄りかかる水谷さんが居た。
「水谷、さん?」
「一緒に帰ろうよ」
顔を綻ばせる水谷さんに戸惑いが隠せない。
「………何で、居るの?新しい彼氏は?」
水谷さんには新しい彼氏が居て、私に構っている暇なんてないはずだ。
いや、もしかして、水谷さんがここで待っているのは…。
そこまで考えて途端に恥ずかしくなった。
自惚れがすぎるぞ私。誰かが私を待ってくれているなんて。でも、本当にそうだとしたら…。
「何でって、言わないと分からない?」
水谷さんは俯いたままの私の瞳を覗き込むようにして距離を詰めてくる。
水谷さんは私のことを待ってくれていた。
私のために。私を思って。
勘違いじゃない。でも……
「……分かんない」
それを認めるのは、恥ずかしくて。そしてそれ以上に──
これ以上考えれば自分の本心を知ってしまいそうで。逃げるように水谷さんの瞳を見つめる。
焦げたような茶色が混ざった綺麗な瞳。
きめ細かい肌と、スッと伸びるような鼻筋。
水谷さんも私のことをジッと見つめてきて。
声が出なくなって、身体が痺れたように動かなくなる。
ゆっくりと、だけど確実に水谷さんは私との距離を詰めてきて…
「吉田さんは、私の可愛い可愛い彼女だからだよ」
吐息混じりの声が私の鼓膜を震わせる。
肩に置かれた手の汗ばんだ温もり。
それを確かな感触として、感じられる。
「みんな見てるから、やめて……」
「じゃあ、続きは2人きりの時だね」
くすぐる様な微熱に頭が焼かれていく。
校門には帰路に着く他の人たちがいるのに、
視界の端に写る彼女の瞳に目が吸い付いて。
私と水谷さんだけの世界になったような、彼女だけしか見えなくなったような感覚が襲ってくる。
「……2人きりでもしないから」
「じゃあそう言うことにしとこうかな」
勝手に都合のいい解釈をする水谷さん。「うるさい」と一蹴すると彼女の眉尻が下がった。
「わたし、帰るから」
水谷さんを置いていく勢いで歩き出す。
後ろから「ちょっと待ってよ!」と声がしたから、少しだけ歩を緩める。
「一緒に帰ろうよ。私たち付き合ってるんだし」
「それ、お試しみたいなもんじゃないの?」
水谷さんは私の横に並んで話し始める。
好きとか、付き合ってるとか。そんな恥ずかしい台詞よく言えるな。
「酷いこと言わないでよ。私ほんとに好きなんだよ?」
ほんとに?そう言いかけて言葉を飲み込んだ。
人の本心なんて知りようがない。聞いても無駄だ。
私たちは無言のまま、人通りの少ない住宅街を並んで歩いていく。…何となく気まずい。
私にとって、彼女はつい最近まで唯のクラスメイトで。だから、知り合いでもないし、ましてや友達でもない。
横を見ると水谷さんはニコッと笑いかけてきて。それが、何だか恥ずかしい。
暫くの沈黙が続いた後、水谷さんは口を開く。
「折角付き合ったんだしさ、改めて自己紹介しない?わたし、吉田さんをもっと知りたいし」
「別に良いけど……」
紹介と言っても、私にこれといった特徴はない。無個性だ。いや、無個性という個性ならあるかも。
「じゃあ、私から!水谷楓14歳。好きな物はKPOPとか、買い物とか?嫌いな物は特にないかな」
水谷さんは捲し立てる様に一気に話した。
何と言うか、the・陽キャって感じだ。
「次は吉田さんの番」
すぐに私の番が回ってくる。ええと、何て言おう。確か4月の時は…ってそんなの覚えてない。
迷った挙句、私は取り繕うのを辞めて正直に自己紹介することにした。
「…吉田、美月13歳。好きな物は特にない。嫌いな物は勉強、運動、人付き合いに説教。あ、嫌いなタイプは………グイグイくる人」
「最後は余計じゃない?」
「別に、水谷さんのこと言ってる訳じゃないから」
「それ私って言ってるようなもんじゃん」
私は表情筋を動かさずに首を縦に振る。
すると、水谷さんから空手チョップが飛んできて。それが頭にトンッと当たる。
「辞めてよ水谷さん」
「喧嘩売ってきたのはそっちじゃん」
それはそうだけども。ずっと水谷さんのペースだったから、それを崩したくなったのだ。
「これは、セクハラのお返しだから」
「…………そう」
水谷さんは急に黙り込んで下を向く。
もしかして、怒った…?怖くなって水谷さんの顔を覗き込む。すると、いきなり顔を上げて「あはは!!」と笑い始めた。
「吉田さんって話してみたら案外面白いね!わたし、もっと好きになっちゃう」
「はいはい」
水谷さんの言葉を私は適当に受け流す。だけど、意思とは裏腹に口角は上がっていて。他人から褒められたのは久しぶりで、嬉しいと思ってしまう。
この気持ちが水谷さんにバレていないだろうか。そう思って彼女の様子を伺う。だけど、水谷さんはお喋りに夢中で、新たな話題を話してくる。
「休みの日とかは何してるの?」
「あー特に何も。動画見たりゲームしたり、ダラダラしてる」
「え、ゲーム好きなの?」
「好きって言うか、まあ暇だからやってるだけ」
「私もゲーム好きだよ」
「例えばどんな?」
「うーーん、マリオとか?」
「ええとね、他は…」と別のゲームを思い出そうとする水谷さん。…本当にゲーム好きなの?
「絶対ゲーム好きじゃないじゃん」
「え、何で?めちゃ好きだよ私」
好きなゲームも言えないのに?と突っ込む。すると、「知識と情熱は必ずしも結びつかないんだよ」という格言が返ってきた。
…普通に正論だから言い返せない。ウザい。
こうして暫くの間、水谷さんと会話を楽しんだ。
だけどそんな時間は無限には続かなくて。
「あ、私こっちだ。また明日、吉田さん」
「あ……うん。じゃあね」
私の家とは別方向に歩いていく水谷さん。
遠のいていくその背中をぼーっと眺める。
これが付き合うってこと?何と言うか、案外普通、かもしれない。恋人になったんだから、もっと手繋いだりキスとかするものだと思ってた。
まあ急に私たちの関係が変わる訳ないよね。
そうだ。恋人なんて名前だけで私と彼女の関係は何も変わっていない。恋人、とは言うものの関係自体は友達に近いし。
そんな当たり前のことに何処かホッとして、同時にがっかりしてしまう。
(何だか釈然としない。けど……)
「また明日」か。そんなこと言われたの、初めてかも知れない。
水谷さんと付き合うことになった時はどうなることかと思ったけど。こんな毎日が続くなら悪くないかもしれない。そう思った。
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