平成5年。今日も自宅の裏に建てた駄菓子屋『たんぽぽ屋』の軒先でパイプ椅子に腰を下ろし、コーヒー牛乳を手に通学路を眺める店主の坂本誠一。まるで金にならない店ではあったが、それでもぽつりぽつりと人はやってくる。しかして紡ぐのだ。ささやかながらも唯一にして無二なるその人だけの物語を。
平成5年、すなわち30年以上の昔を舞台にしたこの物語、駄菓子屋という場所がノスタルジックな場所としてだけでなく、会話の口火や行動のきっかけになっているのです。
駄菓子屋という非日常的空間が、ささいながら噛み殺すことのできないストレスや諸問題で固く蕾んだ人の心をほろっと緩めて語らせたり、思わぬ縁を結んだりしてくれる。誠一さんだけじゃなく登場人物全員が主人公になれるだけじゃなく、やわらかくて深いドラマを語り上げられるのはこの場があればこそ。実に魅力的な舞台が仕立てられていて目と心を惹き込まれました。
読むとやさしい気持ちが心に灯る、あたたかな一作です。
(新作紹介「カクヨム金のたまご」/文=髙橋剛)