第52話 副団長、間者事件の余波に臨む
王城の奥、石造りの廊下を進んだ先にある作戦会議室は、外の喧騒とは隔絶された静寂に包まれていた。
壁には王国の象徴たる蒼獅子の旗が掲げられ、机の上には昨夜捕らえた間者から押収した小道具や暗号符号が並べられている。
それらが放つ無機質な輝きは、宴のきらびやかさとは正反対だった。
室内には、王国と帝国双方の代表者が集められていた。
王国側からはクラリス王女、グラハム団長、そしてシリルが座を占め、壁際には副団長レオンが控えている。
一方、帝国側はユーフェミア・ラウレンツを筆頭に、副官ルーデルと護衛代表が席に着いていた。両者の間に漂う空気は、薄氷を踏むような緊張感を帯びている。
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「――それでは始めましょう」
クラリス王女の声が、静寂を切り裂いた。凛とした声音には威圧感よりも透明な強さがある。
「昨夜の文化交流会において捕らえられた間者について。結論から申し上げますと――王国の者ではありません。解析の結果、所持していた符号と暗号は“教国”と呼ばれる第三勢力のものと一致いたしました」
その言葉に、帝国側の面々がわずかに目を見開く。
ユーフェミアはすぐに表情を整え、落ち着いた調子で問いを重ねた。
「……つまり、王国と帝国の関係を損なうため、第三者が仕掛けてきた、ということですか?」
「その通りです」
クラリスは軽く頷く。
「教国は古来より諜報に長け、各国間の不和を煽ることで利益を得てきました。今回もまた、王国と帝国の結びつきを揺るがすための策と見ております」
説明と同時に、机の上の小道具にグラハム団長が手をかざした。
「これは写しを取るための細工。手紙や符牒を盗み、偽造に用いる。……危うく王国の無礼として擦り付けられるところでしたな」
声は重く響き、場の空気をさらに張りつめさせた。
帝国側護衛たちは互いに視線を交わし、やがて一様にレオンへと視線を移した。
その瞬間、会議室の空気が変わった。
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壁際に立つ副団長――レオン・アーディル。
本人は無造作に腕を組み、ただ居心地悪そうに天井を見上げているだけ。
だが、誰もが知っていた。昨夜、間者を見抜き、静かに押さえ込んだのは彼である。
「副団長殿」
ユーフェミアの声が、自然に向けられた。
「率直に伺います。……あれは偶然だったのですか?」
「え?」
レオンは間の抜けたように瞬きし、肩をすくめた。
「偶然……まあ、そう言えばそうかな。視線が気になっただけだよ。訓練中でも、後ろでサボってる奴って分かるだろ? それと同じだ」
何でもないような調子。だがその一言に、帝国側の護衛たちは小さく息を呑んだ。
(人混みの中で……あの距離で……)
(我らが何年も鍛えた索敵術を、まるで呼吸のようにやってのける……?)
ぞわりと背筋に冷気が走る。
言葉の軽さが、逆に“底知れなさ”を際立たせていた。
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「副団長の功績なくしては、今ごろ宴は血で汚れていたかもしれません」
クラリスはそう断じると、再び場を見渡した。
「我が王国は、今回の件が双方にとって非礼とならぬことを確認の上、教国の動向を注視することで一致を図りたいと考えます」
ユーフェミアはしばし思案ののち、静かに頷いた。
「異議ありません。我らも帰還次第、皇帝陛下へ報告し、教国への監視を強めます」
合意の言葉が交わされると、机上の空気がわずかに和らいだ。だが、その裏で互いに抱いた懸念は消えない。
――“副団長”という存在の測り難さ。
それだけが、なお胸の奥に燻り続けていた。
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会議が閉じられ、退出の段。
ユーフェミアは足を止め、レオンに正面から視線を送った。
「副団長殿。……あの場で見せた眼差し、決して忘れません。いざという時、その力に頼らせていただければ」
レオンは照れくさそうに笑い、首をかいた。
「いやいや、大層なもんじゃないよ。……でもまあ、困ってる人がいれば助けるくらいはするさ」
軽口のように放たれた言葉。
しかしそれを聞いた帝国側の胸中に広がったのは、言葉通りの安心ではなく、むしろ冷たい戦慄だった。
(困っていれば助ける? それだけで人ひとりの命運が変わるのか――?)
(“当たり前”を、当たり前に成し遂げる……この男は危険だ)
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扉が閉じられ、帝国側が退室する。
残された王国側で、シリルが思わず口を開いた。
「……副団長、本当に偶然だったんですか?」
「だから偶然だって」
レオンは苦笑しつつ、視線を逸らす。
「……ああいう連中、なんか嫌なんだ。目を付けられると、背筋がざわつく」
その声音に、クラリスの瞳がかすかに揺れた。
彼が言う「嫌悪」が、ただの不快感以上のもの――どこか、精霊の気配に触れる時の反応と似ていることに気づいたからだ。
グラハム団長は深い溜息をつき、机に両手を置いて結ぶ。
「……いずれにせよ、副団長の存在が我らにとって大きな盾であることは変わらん。今後の備えを怠らぬよう、王国としても動こう」
こうして会議は閉じられた。
だが、この日を境に――王国と帝国双方にとって、“副団長”という存在は一層重みを増し、教国という新たな影が静かに広がり始めるのだった。
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