第53話 副団長、見送る

王都の朝はまだ春の冷気を帯びていた。

城門前には、帝国の黒い馬車と双頭鷲の旗が並び、整然と帰還の支度が進んでいる。

市民たちは足を止めてその様子を眺め、あちこちで囁きが飛び交った。


「帝国の使節団が帰るんだとよ」

「今回も副団長様が一枚噛んだらしいな」

「影の間者を一瞬で捕らえたって噂だ……」


 事実はすでに尾ひれをまとい、また新たな英雄譚となって広がっていた。


 城門前に立つクラリス王女は、濃紺の正装のマントを翻しながら、きびやかに使節団を見送っていた。

その表情は礼儀を尽くした柔和さを保ちながらも、その奥には緊張が潜んでいる。

王国と帝国の均衡は、一歩誤れば大きく揺らぐ――それを彼女は誰よりも承知していた。


「ユーフェミア殿。今回の交流は、我が王国にとって大変意義深いものでした」

 クラリスの声はよく通り、広場に静かに響いた。


 帝国使節団長、ユーフェミア・ラウレンツは一歩進み、恭しく礼を返した。

「こちらこそ、王国の寛大なおもてなしに心より感謝申し上げます。そして……」


 その視線は、自然と脇に立つ男へと流れた。

王国騎士団副団長、レオン・アーディル。


 本人は周囲の格式ばった空気など気にも留めぬ様子で、肩の力を抜いて立っていた。

陽光を受けて輝く青銀の装束が、彼の無頓着な態度と裏腹に人目を奪う。


「副団長殿。貴殿の迅速なご対応には、改めて敬意を表します」

 ユーフェミアは声を整えた。だが胸の内では静かに波が立っている。


 レオンは頭をかき、困ったように笑った。

「いやいや、大したことじゃないですよ。ただ、たまたま目に入っただけで」


 ――その言葉が一番恐ろしい。

 「たまたま」で影を捕らえるなど、本来ありえない。

 だが彼は本気でそう思っている。


 クラリスはその様子を横で見守りながら、微笑を保ちつつ頷いた。

「副団長は王国にとって、かけがえのない存在です。……どうか帝国にも、そのことをお伝えください」


「……ええ、必ず」

 ユーフェミアは礼を返したが、その胸中には別の言葉が渦巻いていた。

(“かけがえのない存在”。王女殿下はそう言った……。だが帝国にとっては、紛れもない脅威だ)


 護衛のルーデルや騎士たちが馬車に乗り込み、列が整っていく。

ユーフェミアは最後にもう一度、レオンを見た。


「副団長殿、またお会いできる日を楽しみにしています」


「ええ。ま、今度はもっと気楽な場で。」

 にかっと笑うその姿は、あまりに自然体で――だがその自然体こそ、帝国の者たちの心に底知れぬ恐怖を刻み込んでいた。


 双頭鷲の旗が風を受け、馬車が石畳を鳴らして動き出す。

見送る市民たちの間に「副団長」の名を称える声が広がり、まるで伝説を見送るかのような空気に包まれていく。


 ユーフェミアは窓越しに振り返り、ただ一言、心中で呟いた。

(――やはり、この男は……危険だ)



---


「……結局、間者は教国の手の者でしたね。」

 ルーデルの報告に、護衛たちが小さくうなずく。


「帝国が動かしたと誤解されては堪らん。むしろ、我らが静観を選んだのは正解だったな」

 ユーフェミアの言葉に誰も異を唱えなかった。


 彼女の脳裏には、広間での副団長の一挙手一投足が焼き付いている。

「影を捕える」――それは単なる武勇ではない。感覚か、直感か、あるいはもっと別の何かなのか。


(……だが、確かなのは一つ。あの男を敵に回してはいけない)



---


 帝都につくとユーフェミア達使節団はすぐに皇帝のもとへと召集された。


 「王国との交流、よく務めを果たした」

 皇帝は静かにそう告げ、ユーフェミアを労った。

前回の一件で胃を痛めた皇帝の声音は、どこか慎重さを帯びていた。


「――では、報告を始めます」

ユーフェミア・ラウレンツは深々と一礼し、皇帝と重臣たちを前に口を開いた。


「王国の社交と文化交流は、全体として盛況でした。工芸展や夜会では、民衆の士気と王家の結束を見せつけられた形です。

特にクラリス王女は若くして堂々たる振る舞いを示し、貴族・市民からの信頼も厚い様子でした」


皇帝は苦々しげに頷き、こめかみを押さえる。もはやどんな報告をしても王国の件は皇帝の胃を蝕む。

「王女がしっかりしている……胃に悪い……」


「また、夜会では間者が潜入しておりました。王国警備は気づかず、捕縛したのは王国騎士団副団長――レオン・アーディルでした」


重臣たちがざわめく。ユーフェミアは淡々と続ける。


「彼は人混みの中で間者の挙動を即座に察し、抵抗させる間もなく捕らえました。

偶然に見せかけた自然な動きでしたが、観察していた我々には“狙って掴んだ”ことが明白でした」


皇帝が卓に突っ伏しかける。

「……影すら逃さぬ男、だと? 暗殺も偵察も効かぬではないか……私の胃壁が消えてしまう……」


「さらに」

ユーフェミアはわずかに声を低くした。

「間者は王国でも帝国でもなく、“教国”の手の者である可能性が高いと判明しました」


場が静まり返る。

「文化交流の陰で王国を揺さぶろうとしたのは、教国――。王国側も既にその線で調査を始めています」


皇帝の目が開かれ、苦悶の表情が深まる。

「……教国まで……? 胃が……胃が四つは要るな」


重臣のひとりが慌てて進言する。

「陛下、ご自愛を。ですが確かに、王国と帝国の直接衝突は得策ではございません。むしろ教国の動きを共通の敵として――」


「分かっておる! だからこそだ!」

皇帝は椅子をきしませて立ち上がり、胸を押さえて呻いた。

「王国の副団長は怒らせるな! 戦うな! 我らの影は通じぬ! ……胃が破裂する!」


場が凍り付く。

ユーフェミアは深々と頭を下げつつ、内心では冷ややかに結論づけていた。

(……陛下の胃はどうあれ、今回の報告で帝国は動かざるを得ない。副団長を敵にせず、教国の動きを注視する――それが帝国の基本方針となる)


皇帝は椅子に崩れ落ち、侍医に薬湯を差し出されながら呻いた。

「次は……胃薬の備蓄を三倍にせよ……」


重臣たちは顔を見合わせ、誰一人として笑わなかった。


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「ふぅ……やっと片付いたな」

レオンは鎧の襟をゆるめながら、長い会議を終えた空気に深いため息を落とした。


「副団長、ため息ばかりですね」

隣を歩くシリルが、苦笑を浮かべて袖で汗をぬぐう。

「でも……今度の件で、帝国と王国が無用に衝突しなくて済んだのは、大きなことですよ」


「そうかもしれんが……俺はただ、あの間者を見つけただけだぞ」

レオンは首を掻き、居心地悪そうに笑った。

「それなのに、なんだかやけに大事になって……」


「それが副団長殿の“普通”なのです」

涼やかな声が割り込んだ。

クラリス王女が歩み寄り、柔らかい微笑を向けてくる。

「王国にとって、そして帝国にとっても。……貴方の“自然さ”は時に誰よりも大きな力を持ちます」


レオンは返す言葉を失い、頬を掻くだけだった。


「それより」

シリルがふと思い出したように言葉を継ぐ。

「もうすぐ精霊祭ですね。王都もそろそろ浮き足立つ頃です」


「え……もうそんな時期か」

レオンの表情が、わずかに硬くなった。


「副団長、あまり嬉しそうじゃありませんね」

シリルが首を傾げる。


クラリスもまた、じっとレオンを見つめた。

「……精霊祭は国にとって大切な行事です。副団長殿にも警備など仕事がたくさんありますね。」


レオンは視線を逸らし、答えを濁すように口を閉ざした。

なぜか胸の奥で、説明できぬざわめきが広がっていく。

――精霊。

その言葉に、いつも得体の知れぬ拒絶が込み上げる。


(……俺は、どうして……?)


彼自身、まだ思い出せぬ記憶の影。


王都の街並みの向こうには、既に精霊祭を告げる旗と飾りが揺れていた。

華やかな彩りの陰で、誰も知らぬ物語が幕を開けようとしている。

  

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