第7話 副団長お茶会に参加する

澄み渡る初夏の風が、王宮の庭園を優しく撫でていた。色とりどりの花々が咲き誇り、小鳥のさえずりが木漏れ日に混じって響く。そんな穏やかな日差しの下、離宮の中庭には、小さくも上品なティーテーブルが設えられていた。


その日、レオン・アーディル――騎士団の副団長にして、三十歳にして独身、朴念仁と名高い男は、王女クラリスの招待により、この特別なお茶会に出席していた。


「副団長、ようこそいらっしゃいましたわ」


レースのパラソルを手にしたクラリス王女が、柔らかく微笑む。白いドレスに金の髪が映え、背景の薔薇までもが霞んで見えるほどの美しさだ。


「……いやあ、これは……緊張しますな」


レオンは背筋を正しながら、わずかに顔を引きつらせて椅子に腰を下ろす。甲冑ではなく礼装の騎士服。これだけで既に緊張の極みだった。


「なにか、お召し物が窮屈ですの?」


「ええ、普段は泥まみれですからね……お高そうなティーセットに囲まれてると、うっかり手を滑らせそうで……」


「ふふ、そんなことは気にせず、ゆっくりしてくださってよろしいのですのよ?」


クラリスはそっとティーポットを持ち上げ、紅茶を注ぐ。


「おや、王女様が自ら……申し訳ありません。自分でやりますよ」


「いいえ、今日は私が“おもてなし”する立場ですから」


「……恐縮です。お気遣い、感謝いたします」


まるで何かの儀式のように丁寧に注がれる紅茶を、レオンは姿勢良く受け取り、そしてそっと口をつけた。


――紅茶に詳しくはない。ただ、香りがいい。花のような、果実のような、いや、よく分からないが高級な感じがする。


「……ふむ。美味しい、ですね」


「本当ですの? よかった……」


クラリスの表情がわずかに緩む。その笑顔にレオンは一瞬戸惑う。


「……失礼ですが、王女。どうして今日、私をご指名なさったのですか?」


「それは……理由があった方が安心なさいますか?」


「いえ、ただ……自分はこういう場に慣れておりませんので。何かお役に立てるのであればと」


クラリスは一瞬、視線を落とした。だがすぐに目を合わせ、言った。


「副団長とお話ししたかったのです。ただ、それだけ」


その素直な一言に、レオンはまばたきをひとつした。


「……はは、そう言われると、ますます緊張しますな」


「それは不本意ですわ。私、そんなに威圧感がありますの?」


「いえ、むしろその……、こう、気後れするといいますか。自分には眩しすぎて」


「ふふ……では、今日のお茶会は“日向ぼっこ”と“雑談”の練習とでも思ってくださいませ」


その光景を、茂みの影からこっそり覗いている集団がいた。クラリス付きの侍女たちである。


「副団長、紅茶に感動してるわ!かわいい!」


「ちょっと今の『ふむ』が最高に紳士だった!」


「これってもう、お見合いじゃない?ねえ、そうよね?」


「婚約成立おめでとうございます!」


「まだ言ってないから!早いから!でも祝いたいから!」


「副団長がこっち見た!目が合った!これってもう私の運命じゃない?!」


「違う、処刑対象だ、それ」


ささやき合う声は完全に盛り上がりの渦中にあり、既に妄想は物語の終盤へと突入していた。


一方、やや離れた位置で、その騒がしさを遠巻きに見つめる人物がいた。シリル・メイファ。副団長直属の部下にして、今日のお茶会には“警護”という名目で帯同していたが――


(いや、警護って言っても……私、今草陰でしゃがんでるだけですよ……)


顔をしかめ、こっそりと覗き見る。クラリスが紅茶を注ぎ、レオンがそれを恐縮しながら受け取る姿。


(……距離、近くないですか?)


じわじわと胸に湧き上がるモヤモヤの正体を、シリルはまだ言葉にできずにいた。


(クラリス様の笑顔、今日ずっと柔らかいし……副団長、もしかして気づいてません?いや、絶対気づいてませんよね……それが一番腹立つ!)


と、心の中でぐるぐる考えながら、本人はなぜかギュッと木の枝を握っていた。気づけばポキッと折れている。


「ちょ……折れてるし!自分なにやってんのよ……」


その呟きは風にかき消された。


そんな中。


中庭から見える少し高台の石垣の上。


灰色の髪を風になびかせながら、腕を組み、佇む男がひとり――グラハム・ヴォルド団長。


「……今日も騎士団は、実にのどかだな」


軽く息を吐きながら、遠くのティーテーブルを見下ろす。


「王女と副団長か。色恋沙汰が騎士団に波風を立てるのは、あまり好まんが……まぁ、これはこれで、悪くないな」


言いながらも、彼の口元は苦笑の色を含んでいた。


「にしても、あいつ……全然気づいてないな」


そう、グラハムの目にははっきりと見えていた。


クラリスのレオンへの視線は、戦場で背中を預ける指揮官に向けるような信頼と、淡い期待に満ちていた。


そしてレオンは――


(部下たちのサポートのおかげで、何とか無事に終わりそうだな……ありがたいことだ)


……などと、心の中で部下たちに感謝していた。


団長は天を仰いだ。


「……恋に関しては、本当に鈍いな、あいつ」


午後。


お茶会を終えたレオンが王宮の廊下を歩けば、すれ違う侍女たちが顔を赤らめて道を開け、騎士たちは異様なまでに姿勢正しく敬礼し、市民たちは広場で勝手に「副団長と王女の愛と忠義の物語」を語り始める始末。


だが当の本人は、


(最近なんだか、皆の視線が妙に熱いような……疲れてるのかもしれないな)


と、ひとり静かに頭を悩ませるのであった。


無自覚に無双し、無自覚に慕われ、無自覚に人心をつかんでいく副団長。


この日もまた、何事もなかったかのように――静かに、紅茶を飲んでいた。


 

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