第3話 副団長社交会デビューする
王都中央、王宮近衛騎士詰所――。
その朝、副団長レオンは、珍しく鏡の前でネクタイをいじっていた。
「……うーん、結ぶ向きが逆かな? いや、こっちだと回らない……」
「副団長! もういいです、私がやりますからっ!」
目の前に飛び出してきたのは、正装に身を包んだシリル。
クラリス王女の護衛に同行することになり、彼女も今日は正装での出仕だ。
「ありがとな、シリル。ほら俺、正装のときは落ち着かなくてさ……」
「知ってますよ……というか、ネクタイを剣帯みたいに締めようとするのやめてくださいっ」
シリルが手早く整える間、レオンは窓の外を見た。朝の光が王都を包み、今日という日が何かの分岐点になるような予感があった。
「王女殿下も、もう会場に向かわれている頃か……」
「……副団長」
「うん?」
「もし今日、ただの宴では終わらなかったら……そのときは、私を信じて、必ず護ってくださいね。殿下も、自分自身も」
レオンは目を細めて、優しく笑った。
「ああ、もちろん。シリルがいれば、百人力だ」
それを聞いたシリルは、顔を赤らめてそっぽを向いた。
「そ、そういうことじゃなくて……!」
(……ほんとこの人、こういうときだけナチュラルに殺しにくる……)
***
その頃、王都郊外――。
瓦礫の路地裏に、黒装束の集団が静かに集まっていた。
「標的は、第一王女クラリスと……副団長、レオン・アーディル」
「魔族派との契約は成立済み。あとは、確実に“消す”だけだ」
男たちの間に置かれた石版には、レオンの姿が刻まれている。だが、その顔を見て一人が震えた。
「待て、この男……以前に南の前線で“対魔剣”を握り潰した奴じゃないのか?」
「……まさか、あの“白髪の悪魔”か?」
一瞬、沈黙が走る。だがリーダー格の男が口を開いた。
「問題ない。我らが用意したのは、対人間用の最上位呪術兵。
“魔力遮断の結界”で、彼の“魔力”を封じれば、ただの人間にすぎん」
「それに、“あの女”も手を貸してくれると聞いている」
「……“裏切りの黒薔薇”が?」
「ふ、ふん……どんな神話の英雄でも、女に刺されちゃおしまいだな」
悪意が笑う。
その笑みの奥で、誰一人気づいていなかった――
“彼が、本当にただの人間なら、なぜ魔族すら手を貸しているのか”という問いに。
***
そして夕刻。
王都最大の社交場、**〈光紋の回廊〉**では、各国の使節と貴族が揃い踏みしていた。
バイオリンの優雅な調べが響き、シャンデリアの煌めきが空間を照らす。
その中央――
「おや、レオン副団長殿ではありませんか。お噂はかねがね」
「王女の護衛に、最強の男とは。……さすが王国の切り札」
そう言いながら、周囲の視線がレオンに集まるのを、彼は“社交ってこういう感じなのか”と感心して受け取っていた。
(へぇ、みんな親切だなあ……)
実際は――
(“無敗の死神”が隣にいる!?)
(どこを突けば倒せるのか、誰も知らないぞ!?)
敵も味方も、レオンを前に言葉を選び、場の空気が数段重たくなっていた。
クラリス王女が、そんなレオンの横に優雅に現れる。
「ご苦労さま、レオン副団長。……雰囲気に呑まれていませんか?」
「いやー……むしろ、居場所がないくらいで。貴族の会話って難しいですね」
その言葉に、周囲の公爵たちは血の気を引いた。
(“居場所がない”と言いながら、誰よりもこの場を支配している……!!)
クラリスは微笑むが、内心では冷や汗を流していた。
(……やはり、この人ただ者じゃないわね…)
***
夜も更け、宴の最中――。
給仕が静かに、赤ワインのグラスをレオンの前に差し出す。
「……副団長、よろしければ。王女殿下からの御厚意です」
レオンが手を伸ばし、グラスを掴もうとしたその瞬間――
ふと、彼の意識が微かに揺らいだ。
「……ん?」
レオンの視線がワインの表面へと向けられる。
その液面は、普段なら微かな波紋すら立つはずなのに、まるで空気が止まったかのように、不自然なほどに静まり返っていた。
「何かがおかしい……」
レオンの指先が、グラスに触れる直前に、彼の身体がかすかに硬直する。
その感覚は、まるで空間を切り裂く風の止まり方のようだった。
意識の奥底で、危険信号が灯る。
彼は即座に剣を抜き、グラスを切り裂いた。
――パリンッ!
鋭い金属音が場を切り裂き、破片と赤い液体が静かにこぼれ落ちる。
「――これは、神経を麻痺させる毒が混入されている。致死性はないが、戦闘能力を著しく低下させるタイプだな」
周囲の貴族たちは息を呑み、そこにいる全員の視線が一瞬でレオンに注がれた。
「あの男は……一瞬の空気の違いを感じ取るというのか」
クラリスはわずかに眉をひそめつつも、その異常な感覚に改めて畏怖を覚えた。
(この男と共に戦うことの意味が、ますますはっきりしてきた)
そのとき、窓の外から――
空気がひんやりと凍るような“静寂”が降りた。
そして、音もなく――
黒翼の刃が闇夜に溶け込みながら降りてきた。
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