第2話

 いい加減にしろ、夏。

 暑すぎるだろ。

 

 季節そのものに、そんな文句を言いたくなるほどの気温が連日続いている。

 朝九時の段階で、道行く人々の額からは汗が流れていた。

 

 もちろん、美優を暑さで困らせる訳にはいかない。

 日傘だけでは心もとないではないか。

 すっかり常時となった学校の制服姿の私は、まず大きく深呼吸。

 そして、思いっきり美優に抱き着いた。


「あれ? なんだろう? なんだか涼しい……」


 ひょひょひょひょひょ!

 思った通りだ、幽霊が近づくとひんやりする!

 体感気温を数度は下げただろう!

 

 背中からべったりと引っ付き、美優の後頭部に頬ずり。

 ごめんね美優! でも夏の暑さを乗り越えるためだから!

 ひょひょひょひょひょひょひょひょひょひょ!!!!!!


 さて。さてさて。

 いま美優は図書館に向かっている。一日そこに籠って、夏休みの宿題を一気に進めるためだ。

 美優が小学生の頃から続けている、夏の恒例行事。私も生前は毎年参加していた。


 今日で終業式から十日。

 葦原つみれには、あれから一度も会っていない。

 音沙汰無しだ。


 威勢の良いことを言っておいて、怖気づいたか?

 私の存在を認識していたっぽいから、霊能力うんぬんは全くのインチキというわけではないと思う。

 しかし、能力の強弱はどうだか。

 やはりこの私、笠臣奈津の方が圧倒的だったということかな? 

 はっはっはっ!


 美優の後頭部への頬ずりを続けながら、私は一人悦に入っていた。

 セミの鳴き声に満ちた、夏の歩道。

 太陽の陽射しは人々を圧する。

 熱が溢れる。


 《うん?》

 

 たまたま頬ずりの小休止だったため、私は地面を見ることが出来た。

 美優が道路に落ちている『なにか』を踏んだ。

 美優はそれに気づかない。


 『なにか』は薄い紙のように見えた。

 美優の足裏と接触した瞬間。

 紙は雷光を発した。


《え!?》


 空から降ってくるはずの雷が、足の下からやって来た。

 周囲数メートルの範囲に稲妻が満ちる。

 私と美優は雷に包まれ、そして貫かれた。

 

《がああああああああああ!?》


 全身に激痛が走る、とはこのような感覚なのか。

 目の前が真っ暗になるのと、地面に倒れ伏すのは同時だった。

 なんだこれは。

 なにが、起こった?


 すたたたたた、と誰かが走り寄ってくる音がする。

 機能するのは耳だけ。まぶたが動かない。何も見えない。

 

 足音が間近まで来た。

 そして。


「滅びろ、悪霊いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


《うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!?????????????》


 短刀が振り下ろされそうになった瞬間、幸運にも私の目は回復。

 ギリギリのところで、それを回避することが出来た。


 数メートルほど、ぐるぐると転がりながら移動。

 それから短刀の持ち主の顔を確認する。


《ああ、やっぱり! 葦原つみれ……!》


 黒色で統一された洋服を着こんだ葦原は、こちらを睨みつけている。

 刃渡り10センチほどのナイフが、夏の陽光を受けてギラリと光った。


「くそ……! 回復するのが思った以上に早かった……!」


《お前よくも……いやそれよりも! 美優!》


 そうだ美優も雷撃を受けたんだ! 

 私は美優の下に駆け寄った。


 倒れ込んだ美優の肩を揺さぶる。

 ……意識が無い!?


「……安心しろ、悪霊。梁本さんは一時的に気を失っているだけだ。人間にはその程度のダメージしか与えない仕掛けになっている。痛みだって、ほとんど無かったはずだ。しばらくしたら目を覚ます」


《お前の御託はどうでもいい! 美優を傷つけたな!? ただで済むと思うな!!!!!》


「紙を使った奇襲は失敗……だけどまだ、こちらには幾らでも手段が残って……」


「ううん……」


「え?」


 あ、美優が起きた!

 良かった……怪我はないみたい。

 コンクリートの地面に倒れたのに、擦り傷一つ見えない。


「わたし気を失ってたの……? あれ? 葦原さん?」


「そ、そんな、こんな早く? う、うう。うああああああ!!!!!」


 葦原は美優が起き上がったのを見るや否や、慌てふためいて走り出した。

 全力疾走である。

 全力でこの場から遁走した。


「……………………………………………………」

 

 美優はびっくり仰天して固まってしまった。

 目をぱちくりとさせている。地面に腰を下ろしたままだ。

 葦原め、美優にここまで迷惑をかけやがって……。


 それから数分ほど、美優は何か考え事を続けた。

 なんだろう? 何かえらく真剣な雰囲気を感じる。

 こんな美優を見るのはいつ以来だろう。


「……まずは葦原さんに会おう」


《え?》

 

 美優はすくっ、と立ち上がり、そのままどこかへ向かって歩き出した。

 図書館の方向ではない。真逆だ。

 

《ちょ、ちょっと美優? どうしたの?》


 当然、美優は答えない。私の声は聞こえていないのだから。

 美優の後を追いかける。あ、幽霊の一般的なイメージとしてプカプカと常時浮いているように思われるかもしれないが、私の場合、大体は二本の足で歩いている。浮こうと思えば浮けるんだけどね。

 

 閑話休題。

 しばらくして、美優の足はとある場所で止まった。

 えっと、ごく一般的なアパート?

 ここに何が。


「確か、このアパートだったはず」


 美優はアパートの二階(二階建てだ)、建物正面から見て左の隅に位置する、一室の前まで行く。

 そしてその部屋のチャイムを押した。


「――――!!!!????」


 ドアの向こうから、人間が驚愕のあまりに引っくり返ってしまった音がする。

 私は表札を確認した。

 そこには『葦原つみれ』と書かれている。


「驚かせてしまってごめんなさい、葦原さん。少し前にこの辺を散歩していたら、葦原さんがこのアパートに入るのを見かけたの」


 そういえば美優の散歩コースだったな、この周辺は。

 けれど私は、美優の散歩中に葦原を見かけたことを覚えていない。

 いや本当にクラスで影が薄いからな、葦原……。

 終業式のあの日まで、存在自体を忘れていた。


 えーと、葦原つみれは高校になってから美優と会ったはずだ、たぶん。

 一年一組のクラスメートになるまでは面識はないはず。

 私が死んで、それから背後霊になるまでの一年間のことは分からないけれど……。


「……梁本さん、それっていつのことですか?」


 ドアが開いた。葦原が顔を半分だけ出している。


「2カ月前だね」


「よく覚えてますね。私みたいな根暗女の情報を、脳内に入れておく必要なんてないのに」


「そんなこと言わないで。大切なクラスメートだと、わたしは思っているよ」


「……さっきのことを、説明しなければいけないとは思っているんです。けれど……」


 葦原つみれは美優の背後にいる私を、ちらっと確認する。

 退治する対象の私がすぐ近くにいるから、喋りにくいのだろうか。

 よほど私を警戒していると見える。

 

「葦原さんの言う悪霊のこと、わたし信じるよ」


「梁本さん……?」


「よく覚えていないけれど、気を失う前に雷のようなものが見えた。あれは、悪霊を退治するために葦原さんが行ったものだと、わたしは考えてる。どうかな? 合ってる?」


「……はい、その通りです」


「わたしが倒れた時も、それから数分間気絶していた時も、誰も近くを通らなかった。それなりに人通りの多い道のはずなのに。これって葦原さんが何らかの対処をしたの?」


「ええ、そうです。簡単な人払いの術を周辺に施しました。すごいですね、梁本さん。明らかに異様な状況なのに落ち着いている」


「自分で言うのもなんだけど、わたしは肝が据わっているんだ。葦原さん、あなたが良いと思うタイミングでかまわない。わたしにも今起こっていることを話して。蚊帳の外なんて、イヤだよ」


「…………」

 

 美優はそれ以上の追及することなく、スマホの電話番号を交換した後、葦原つみれの家を離れた。

 葦原の持っていた短刀を美優は見たのだろうか。見た上でこの対応ならば、本当に胆力のある幼馴染である。


 ああ、そう言えば。

 最後に美優、こう言っていたっけ。


「これからは、つみれさんって呼んでいい?」


「!!!!??????」


 顔を赤くしてんじゃないぞ、てめー!

 

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