第36話 B級の洗礼と、規格外の暴力

土曜日の昼下がり。

西新宿の空は、久しぶりに雲一つない、突き抜けるような青空が広がっていた。だが、その晴れやかな空とは裏腹に、佐藤健司(35)の心は、これから始まる未知なる挑戦への、確かな緊張感に支配されていた。

東京湾岸エリアに新設された、巨大なドーム型転移施設、『アーク・ゲート・アリーナ』。その、一般探索者用の転移ゲートの一つ。その前に、彼ら『アフターファイブ・プロジェクト』の四人と一匹は、立っていた。


「…いいか、お前ら」

健司は、その低い声で、最後のブリーフィングを始めた。彼の表情は、もはやただの中間管理職ではない。一つのチームの命運をその両肩に背負う、リーダーのそれだった。

「ここから先は、C級までの遊び場とは、わけが違う。B級ダンジョンには、『世界の呪い』がある。一歩でも足を踏み入れれば、俺たちの属性耐性は、永続的に-30%される。心してかかれ」


その、あまりにも重い言葉。

それに、陽奈と輝、そしてりんごの表情が、わずかに引き締まる。

彼女たちは、この日のために、グランプリの賞金とスポンサー契約料の一部…合計1000万円を投じて、その装備をB級で戦うための最低限のレベルへと一新していた。アメ横のあの親父さんの店で、健司がその中間管理職スキルを最大限に発揮し、値切りに値切って揃えた、珠玉のレア装備一式。その全てに、耐性MODが付いている。


そして彼は、自らの魂に、そしてこの世界の理不尽なテーブルに、挑戦状を叩きつけた。

「――行くぞ」


彼が、ゲートの起動パネルを操作する。目的地として表示された、その禍々しい文字列。

B級ダンジョン下位【古竜こりゅう寝床ねどこ】。

承認ボタンを押すと、視界が白一色の光に包まれた。



彼らがゲートをくぐった瞬間、その全身を、むわりとした熱気が包み込んだ。

硫黄の匂い。

そして、遠い雷鳴のような地響き。

この感覚は、健司には覚えがあった。

そして彼は、その魂に直接冷たい枷がはめられたかのような、不快な感覚を、再び味わった。


【世界の呪いを受けました】

【効果: 全ての属性耐性 -30% (永続)】


「――っ!」

陽奈と輝、りんごの三人が、同時に小さな悲鳴を上げた。

しかし75%をキープし、上限に達した。


「すごい…!」

陽奈が、感嘆の声を漏らす。

「これなら、戦える…!」

「ああ」

健司は、頷いた。

「だが、油断はするな。ここからが、本番だ」

彼は、その灼熱の大地へと、最初の一歩を踏み出した。


ダンジョンの内部は、広大な溶岩地帯だった。

足元には、赤黒く熱を帯びた岩盤がどこまでも続き、その裂け目からは、灼熱の溶岩が川のように流れている。

空気は乾燥し、呼吸をするだけで喉が焼けるようだった。

彼らが、その過酷な環境の中を慎重に進んでいくと、ついにその軍勢と遭遇した。

広大な、台地。

その中央に、完璧な陣形を組んで彼らを待ち受けていたのは、10体の**【竜人族りゅうじんぞく精鋭せいえい部隊ぶたい】**だった。

タンク、アタッカー、スナイパー、ヒーラー。完璧な、役割分担。


「…来たか」

健司の、その静かな一言。

それが、このB級のテーブルにおける、彼らの最初の戦いの、始まりの合図だった。

彼は、その骨のワンド…ではなく、グランプリの賞金で手に入れた、B級レア等級の、少しだけ豪華なワンドを天へと掲げ、そして叫んだ。

その声は、もはやただのサラリーマンではない。

一つの、完成されたギルドを率いる、マスターのそれだった。


「――陽奈!」


「はいっ!」

陽奈の、弾むような声。

彼女は、もはや後方でただ支援するだけの、か弱い少女ではなかった。

このパーティの、絶対的な砲台。

そして、戦場の理を、その指先一つで捻じ曲げる、氷の魔女だった。

彼女は、その白いワンドを、竜人族の軍勢の、そのど真ん中へと向けた。

そして、彼女は詠唱する。


「――【フロストボルト】!」


彼女のワンドの先端から放たれたのは、一本の、しかしその奥に絶対零度の力を宿した、純粋な氷の矢だった。

その矢が、竜人族の軍勢の中心に着弾した、その瞬間。

陽奈は、間髪入れずに、次なる詠唱を始めた。


「――【投影とうえいのヴォーテックス】!」


彼女が、そう叫んだ、その瞬間。

世界が、白に染まった。

フロストボルトが着弾した、その一点を中心として。

絶対的な、氷の嵐が、炸裂したのだ。

ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!

凄まじい轟音と共に、半径数十メートルの空間が、一瞬で氷の世界へと変貌する。

使用者の周りに氷の爆発が起こり、敵に冷気ダメージを与え、渦を残す。その渦は敵に冷気の継続ダメージを与え、敵を冷却状態にする。使用者がフロストボルトの近くを対象とすると、爆発はその投射物の元で起こり、投射物は破壊される。

竜人族の、その屈強な肉体が、その硬い鱗が、まるで美しい氷の彫刻のように、次々と青白い氷に覆われていく。

そして、その巨体は、完全に、その動きを封じられた。

凍結。

その、あまりにも美しく、そしてどこまでも無慈悲な光景。

それに、輝と、りんごは、ただ息を呑んだ。

そして、その氷像と化した、哀れな竜人たち。

その、あまりにも無防備な的を、輝が見逃すはずもなかった。


「――もらったぁっ!」

彼女は、獣のような俊敏さで、その氷の彫刻の森へと、躍り込んだ。

そして、その無防備な背中や、首筋へと、緑色の液体が入った瓶を、嵐のように投げつけていく。

パリン、パリン、パリンッ!

瓶が砕け散る、軽やかな音。

そして、美しい氷像が、緑色の毒々しい霧に、包まれていく。

その氷像相手に、毒瓶を投げ続ける。


その、あまりにも一方的な蹂躙劇。

それを、指揮していた健司は、ただ静かに、そしてどこまでも冷徹に、その最後の号令を下した。

あの、伝説のSSS級探索者“JOKER”が、かつてその手にしていたという、ユニーク長剣【憎悪ぞうお残響ざんきょう】。

その刃が、青黒い、凍てつくようなオーラを迸らせた。

「――終わりだ」


彼は、その氷像と化した、竜人たちの軍勢の中心へと、その渾身の一撃を叩き込んだ。

JOKERの戦士ビルドのコピーである、彼の必殺技を叩き込む。

【必殺技】衝撃波の一撃。

ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

その、圧倒的な質量の暴力。

それに、氷像たちは、もはや耐えることはできなかった。

その美しい氷の彫刻は、まるでガラス細工のように、内側から粉々に砕け散り、そしてその下の竜人の体もまた、毒に蝕まれ尽くし、光の粒子となって消滅していった。


静寂。

後に残されたのは、おびただしい数のドロップ品と、そしてその中心で、自らの完璧な勝利を噛みしめる、一人の指揮官と、その仲間たちの姿だけだった。

そして、その直後。

四人の全身を、これまでにないほど強く、そして温かい黄金の光が、包み込んだ。

B級の精鋭部隊を討伐した、莫大な経験値。

そして、陽奈のアイスによる、100%の祝福。

それが、彼らの魂と肉体を、一気に次のステージへと引き上げたのだ。


【LEVEL UP!】

【LEVEL UP!】

【LEVEL UP!】

【LEVEL UP!】

【LEVEL UP!】


祝福のウィンドウが、彼らの視界に、乱舞する。

レベルが25に上がった。


「いえーい!」


輝の、その歓喜の絶叫。

それに、陽奈とりんごも、続く。

「やりましたね、健司さん!」

「レベルアップ、いっぱいだー!」

そして、その三人の少女たちの、あまりにも無邪気な喜びの輪の中心で。

健司は、その不器用な掌を、彼女たちへと差し出した。

四つの、掌が、合わさる。

そして、その輪の中に、一つの小さな、ピンク色の触手が、にゅっと伸びてきた。

いえーいとハイタッチする4人と1匹。


その、あまりにも微笑ましい光景。

それに、健司は思わず、笑みを漏らした。



彼らは、どんどん進んでいき、ボスであるマグマロスまでたどり着く。

その灼熱のカルデラ。

その中央に、まるで小山のように巨大な影が、とぐろを巻いていた。

【古竜マグマロス】。

その、あまりにも圧倒的な、プレッシャー。

それに、健司はゴクリと喉を鳴らした。

彼は、その完璧な布陣で、このB級の主に、挑もうとしていた。

だが、その彼の、あまりにも真っ当な戦術。

それを、一つの、あまりにも無邪気な、そしてどこまでも理不尽な一言が、粉砕した。


「あ、ボスだー」

りんごが、その手に持つ星のワンドを、まるでテレビのリモコンでもいじるかのように、気楽に、そして暢気に、マグマロスへと向けた。

「ねえ、健司さん。もう、倒しちゃっていい?」

「は?」

健司が、その言葉の意味を理解する、その前に。

マグマロス君が、雄叫びを上げる。

「グルオオオオオオオオオオッ!!!」

その、あまりにも圧倒的な、王の咆哮。

だが、その咆哮は、最後まで続くことはなかった。

なぜなら、その時にはすでに、りんごの、その小さな唇から、神の言葉が、紡ぎ出されていたからだ。


「――【超・火炎球】、発動っと」


詠唱は、ない。

ただ、彼女が「放て」と念じただけ。

直径5メートルを超える、巨大な、そしてどこまでも凝縮された炎の球体。

それが、まだ口を開けたままの、哀れな古竜の、その喉の奥へと、寸分の狂いもなく、吸い込まれていった。

轟音。

閃光。

そして、絶対的な静寂。

数秒後。

超・火炎球で、一撃で倒される。

後に残されたのは、おびただしい数のB級の魔石と、そしてその中心で、何事もなかったかのように、欠伸を噛み殺している、一人の魔女の姿だけだった。

その直後。

四人の全身を、これまでにないほど強く、そして荘厳な黄金の光が、包み込んだ。

B級の主を討伐した、莫大な経験値。

それが、彼らの魂と肉体を、再び、次のステージへと引き上げたのだ。


【LEVEL UP!】

【LEVEL UP!】


祝福のウィンドウが、彼らの視界に、乱舞する。

レベルが32に上がった。


「……………」

静寂。

その、あまりにも理不尽な光景。

それに、健司と、陽奈は、ただ言葉を失っていた。

だが、その静寂を破ったのは、輝の、そのどこまでも勝ち気な、そしてどこまでも誇らしげな、一言だった。


「――ボスはりんごが処理、雑魚は私達で倒せる。…最強ね、私達」


その、あまりにも揺るぎない、そしてどこまでも絶対的な、勝利宣言。

それに、健司は、ただ、深いため息を吐くことしか、できなかった。

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