第二章 暗躍する男達③
「どちらだ? ひねった足は?」
ソファの前に片膝立ちでひざまずいたアルリードが問いかける。
「左の……。あのっ、大丈夫ですから!」
足首はずきずきと痛んでいるが、会ったばかりの男性にブーツを脱がされるなんて恥ずかしすぎる。
伸ばされかけた手をあわてて
「そうだな、悪い……」
「い、いえっ、気を遣ってくださったのはわかりますから……」
アルリードの手を放し、自分で編み上げブーツの
ぎこちない沈黙をまぎらわせるようにアルリードが問いを放つ。
「それで、どうしてきみはあの男の後をつけていた?」
「それは……」
ミレニエはこの屋敷に来る時に、投石をした子ども達と鳥打帽の男が一緒にいるところを見たこと、屋敷を出て乗合馬車の停留所を目指そうとした時に男に気づいて後を追いかけたことをアルリードに話す。人の顔を覚えるのが得意なため、あまり特徴のない男にも気づいたのだと。
「捕まった男は、逃げた
「なんだと……!?」
ミレニエの言葉にアルリードの
「念のために確認しておくが、本当にきみは先ほどの男達とは無関係なんだろうな?」
「当然です!」
間髪を
「アルリード様こそ、あの男達に何か心当たりはないのですか? 警備の状況を知ろうとするなんて、まるでラナジュリア殿下を狙っているかのような……」
「なぜ、俺の名前を知っている?」
やはり間諜ではないかと言いたげな鋭いまなざしに、あわてて弁明する。
「先ほど門番が呼んでらっしゃったではありませんか。名前を知っているくらいで疑われてはたまりません」
まさか、名前を呼んだだけでここまで過敏に反応されるとは思わなかった。ミレニエの指摘に、アルリードが気まずげに視線を揺らす。
「そうだったな……。すまない。改めて自己紹介しておこう。俺は、カイル・アルリードという」
カイルの声は神経質な自分の反応を悔いるかのようだ。気詰まりな沈黙が落ちたところで、もともと半開きだった部屋の扉がノックされ、薬箱を持ったメイドが姿を現した。扉を完全に閉めていなかったのは、男性と密室で二人きりにならないようにというカイルの配慮だろう。
薬箱を受け取ったカイルが、さっそくローテーブルの上で薬箱を開け、取り出した手のひらくらいの大きさの布に、何やら薬剤を塗り広げ始める。
「ルーフェル嬢、自分で包帯を巻いた経験は?」
「ありませんが、あの、それは……?」
そもそも怪我をした経験すらほとんどない。手当てのために何を用意してくれたのかもわからず、きょとんと問いかけると、カイルが
「これは湿布だ。患部に当てて、外れないように包帯で固定する。自分でできないのなら俺がするしかないが……。先に、メイドの中で心得のある者がいるかどうか探しておくべきだったな。俺にされるのが嫌なら、自分でするか、痛みを我慢するしかないが、どうする?」
まさかカイルがミレニエの意向を尊重してくれるとは思わず、目をしばたたく。
自分で包帯をうまく巻ける気はしないが、足首が熱を持ったように痛いのは確かだ。
「アルリード様さえよろしければお願いできますでしょうか? お医者様の手当てを、よこしまな目で見る方などいないでしょう?」
「なるほど。俺は医者ではないが、一理あるな。……失礼する」
ふ、とわずかに口元をゆるめたカイルが、表情を改めてミレニエの足元にひざまずく。手当てしやすいように、ミレニエはスカートを少したくし上げると、ブーツと靴下を脱いで素足になった左足を
大きくあたたかな手のひらが足裏にふれて軽く左足を持ち上げたかと思うと、ぺたりと薬を塗った布が足首に貼られる。
「ん……っ」
「ひどく痛むのか?」
ひやりと
カイルのまなざしに噓は感じられない。ミレニエのことを信用できないと言うのにこんな風に心配してくれるなんて。子ども達の投石から
眼鏡の奥の伏せたまつげは長く、真剣な表情は
「ひとまず、湿布を貼り包帯で固定した。骨には異状がなさそうだが、二、三日しても痛みが引かないようなら、ちゃんとした医者に診せるといい」
「あ、ありがとうございます……」
速くなった鼓動をごまかすように、視線を伏せて礼を言う。包帯で固定されたおかげか、先ほどより少し痛みがましになっている。ブーツを履き直していると、ふたたびメイドが現れ、カイルに声をかけた。
一歩扉を出たところで何やらメイドとやりとりしていたカイルが、ため息をつきながら戻ってくる。
「メイドがラナジュリア様にきみのことを報告したらしい。まだ新聞社からの依頼は来ていないが、ラナジュリア様は最初からきみの取材を受ける気だったらしい。明日の午後二時からなら、時間がとれるということだが、きみの予定はどうだ?」
「もちろん大丈夫です! 本当にありがとうございます……!」
まさかこんな早くに取材をさせてもらえるとは思わなかった。ラナジュリアに感謝しつつ、即座に
「礼ならラナジュリア様に言うといい。俺が口添えしたわけではないからな」
やれやれと言いたげな表情は、ラナジュリアのふるまいを困ったものだと思いつつも、苦笑交じりに受け入れているように見える。
「それと、もうひとつ指示があった。怪我をした女性をひとりで帰すわけにはいかないから、俺に送っていくようにと……。もう馬車を玄関に回してくれているそうだ」
「いえ、そこまでご迷惑をおかけするわけには……! 大丈夫です。乗合馬車で自分で帰りますから」
恐縮しきって遠慮するが、カイルは頷かない。
「湿布を貼っただけで痛みに
「ひゃあっ!?」
言うが早いか身を
「お、下ろしてください……っ!」
「暴れるなと言っただろう。落ちてさらに怪我をしたいのか?」
「ですが……!」
背負われるのも恥ずかしかったが、横抱きにされるのはさらに恥ずかしい。鏡を見なくても、自分の顔が真っ赤になっているだろうとわかる。
何と言ったら下ろしてもらえるのかとミレニエが考えを巡らす間も、危なげない足取りで歩を進めたカイルが
抵抗も
「家はどこだ?」
そんなミレニエには
「いえ、家ではなくゴーディン新聞社に……」
結局、社に報告に戻れていないし、メイソンから資料も借りなくてはならない。
ミレニエの言葉に、カイルがきつく眉を寄せる。
「その足で戻ってもろくに仕事ができないだろう? 今日はおとなしく帰って休め」
心の中でメイソンや編集長のローレンに
ローレンには必ず社に戻るとは言っていなかったので、大きな問題になることはないだろう。他の記者達も取材に出たまま帰社しない者も多いので、その辺りは厳しくない。
馬車が動き出し、車内に響くのは車輪が石畳を進むがらがらという音だけになる。さすが侯爵家の馬車というべきか、しっかりした造りなので、街路の
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