第二章 暗躍する男達②

「誰だっ!?」

「っ!」

 鋭い男の声に息を吞む。どうすればいいのか、頭が真っ白になって考えられない。息をひそめてここに隠れていても、すぐに見つかってしまうだろう。

 逃げなくては。逃げて通りに出れば、男達も追ってこないかもしれない。

 じゃり、と男がこちらへ向かってくる足音がやけに大きく聞こえる。

「動け……っ! 動いて……っ!」

 自分を𠮟しつするように叫び、その勢いを借りて木箱の陰から飛び出す。

 それでも新聞記者のさがで、一瞬だけ振り返り、新たに来た男の顔を目に焼きつけた。黒いひげを生やしたいかつい顔立ちの四十前後の男だ。

「お前……っ!?」

「そこで何をしている!?」

 鳥打帽の男の驚きの声とアルリードの鋭い声が響いたのが同時だった。

 なぜアルリードがここに、と考える暇もない。

「どけっ!」

 路地に飛び込んできたアルリードがミレニエに怒鳴る。

 反射的に壁際に身を寄せようとした途端、足がもつれ、ミレニエは壁に肩をぶつけるようにして転んだ。倒れるミレニエに一瞬だけ視線を向けたアルリードが、そのままミレニエとすれ違い男に駆け寄る。

 ミレニエが痛みにうめきながら首を巡らせると、アルリードが子どもに指示を出していた鳥打帽の男に追いついたところだった。アルリードの姿を見てあわてて逃げ出そうとしたものの、ミレニエに近づいてきていた分、逃げ遅れたらしい。

「ひぃ……っ!」

 アルリードの剣幕にされた男が、無茶苦茶に腕を振り回して殴りかかろうとする。さっと半身を引いて男のこぶしをよけたアルリードが、たたらを踏んで前のめりによろめいた男の首の後ろにさやごと引き抜いた剣を打ち下ろす。

 アルリードはそのまますれ違いもうひとりの髭の男を追おうとしたが、狭い路地だ。倒れかかってきた男がアルリードの進路を妨害する。

 その隙に髭の男は脇目もふらずに路地を駆け抜けると、向こうの通りに飛び出した。角を曲がった男の姿が見えなくなる。

「くそっ」

 アルリードが端整な面輪に似合わぬ言葉を吐き捨てたところで、ようやく制服姿の警官が駆けつけてきた。

「こ、これは……!?」

 立派な騎士服をまとったアルリードと足元に倒れ伏した男、地面に座り込んだミレニエを見て、状況がわからず戸惑った声を上げる。

「わたしはグレフェスト侯爵家に滞在されているラナジュリア王女殿下に仕える騎士だ。殿下に縁のある令嬢がらち者に絡まれていたため、助けに入った。気絶はさせたが、この男の確保を頼めるだろうか?」

「しょ、承知しました……!」

 堂々としたアルリードの態度に吞まれたように警官がうなずく。警官に男を任せ、自分の前に来たアルリードをミレニエはぼうぜんと見上げた。

 いったい何が起こっているのか、いまだに理解できない。ただ、険しい顔でミレニエをにらみつけるアルリードがこの上なく不機嫌なのは見ただけでわかった。

「立てるか?」

 剣をベルトに差し直したアルリードが冷ややかに問いかける。低い声にようやく我に返ったミレニエは、動こうとした途端、左足に走った痛みに呻いた。

「痛……っ!」

「怪我をしているのか? どこだ?」

 いらった表情を消したアルリードが、かたひざをついてひざまずく。

「転んだ時に足をひねったみたいで……。あの、助けてくださりありがとうございます」

 アルリードが来てくれなかったら、どうなっていたかわからない。

「でも、どうしてあなたがここに……?」

 問うた途端、整った面輪が不機嫌そうにゆがむ。

「王女殿下に突然、取材を申し込んだ怪しいやからの身元を確かめるのは近衛騎士として当然だろう?」

「私をつけていたということですか!?」

 男を追っていたミレニエの後をさらにアルリードが追っていたということか。つけられているなんて、まったく気づかなかった。

 思わず上げた非難の声に、アルリードのまゆがさらにきつく寄る。

「そちらこそ、なぜあの男をつけていた。あいつは何者だ?」

 ミレニエを見据えるまなざしは、噓をつけば、ただではおかないと言わんばかりの威圧感に満ちている。

「それは……」

 警官に縛られている男のほうへ無意識に身をよじった拍子にふたたび足首に痛みが走り、ミレニエはこぼれかけた呻き声を唇をみしめてこらえた。

 ため息をついたアルリードが苦い声をこぼす。

「この状況では問いただすどころではないな。背中に乗れ」

「え……!?」

 突然、背を向けたアルリードにすっとんきょうな声が飛び出す。

 動こうとしないミレニエに、顔だけを後ろに向けたアルリードが苛立たしげに告げた。

「どこぞの貴族令嬢のように、馬車で迎えが来るとでも思っているのか。立てないほど痛いのなら、手当てのために屋敷まで背負って連れて行ってやると言っているんだ。俺も長く屋敷を空けたくない。早く負ぶされ」

「で、でも、あなたの服が汚れてしまいます」

 転んだせいで、ミレニエの服はところどころ土で汚れている。こんな格好で立派な騎士服を着たアルリードに負ぶさっていいものかとしゆんじゆんしていると、不意にアルリードが、先ほど転んだ拍子にミレニエの肩からずり落ちていた鞄を奪い取った。

「返して! それには大事な仕事道具が入っているんです!」

「屋敷について用が済んだら返してやる。さっさと負ぶされ」

 高圧的に命じられ、ミレニエはせめてもと服についたつちぼこりを両手で払うと、痛みをこらえてアルリードの広い背中にのしかかった。

「ひゃっ!?」

 途端、アルリードが立ち上がり、ぐんっと上がった視界に、反射的にアルリードの首に腕を回す。

 捕らえた男の取り調べについて警官に依頼したアルリードが危なげない足取りで歩を進める。

 女性を背負った立派な騎士が、突然、路地から通りに出てきたからだろう。通行人の視線が集中し、ミレニエは思わずアルリードの首筋に顔を伏せた。ひとみと同じ珈琲コーヒー色の短い髪が頰をかすめてくすぐったい。

 騎士服に包まれた背中は広く、落ちるかもしれないという不安はないが、気恥ずかしくて仕方がない。

 生まれてこのかた、こんな風に誰かに背負われた記憶などない。スカートのすそからのぞく足が空中に浮いていて心もとない。もしミレニエが貴族令嬢だと知っている者が見れば、男性に背負われて人前に出るなんて、ときようがくで卒倒してしまうかもしれない。

 顔を伏せ、らちもないことを考えているうちにグレフェスト侯爵の屋敷が近づいてくる。門番がアルリードとミレニエの姿を認めて目を見開いた。

「アルリード様!? いったい……!?」

「男に襲われかけて転んで足をひねったというので、手当てするために連れてきた。彼女を襲おうとした男は、ひとまず警官に任せてきた。が、こちらで取り調べをしたい。すぐに人を遣わしてくれ」

 門番に指示を出したアルリードがミレニエを背負ったまま門を通り、屋敷に入る。こちらでもメイドの反応は門番と似たようなものだった。驚愕に固まるメイドに薬箱を持ってくるよう命じたアルリードが入ったのは、玄関広間にほど近い、来客を応対するための小部屋だ。

 ローテーブルの両側に置かれたソファのひとつに、アルリードがミレニエを下ろす。足が痛まないように気を遣ってくれたのだろう。下ろす動作は意外なほど優しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る