向こう見えず ~②~

 雑草に朝露が下りている。そのせいか、思ったようにピントが合わないらしい。

 素敵なアングルにしようとするのを諦め、結局昨晩と同じ設置位置に戻すことになった。配信用スマートフォンを三脚で固定し、二人が画面に向き直る。ユウが名乗りを上げ、トモが後に続いて両手を小さく振る。テントの前には小さなテーブルと、両脇に折りたたみ椅子が二脚。コメント欄では、はやくも朝の献立を聞くコメントが流れている。


「今日はちょっと早起きして、朝日を見がてら、食料調達もしてきました。やっぱり体を動かすから、いっぱい食べないとという感じで、量のほうもちょっと頑張りました」

「これたべて、精をつけたらいよいよだからね」

 ザルに盛られた内容は、昨日と同じ木の実とキノコだ。ただし、ユウの言う通り量が明らかに多い。


『木の実まずかったんじゃないの?』『お腹壊さない?』

「木の実は大丈夫。さっき試しに食べたんだけど、なんか慣れた」

「そう。食べてるうちに、案外いけるのでは? ってなってね」


 これには視聴者が引く番だった。『適応力やば』『すでに野生化してる』というコメントが流れる。


 いただきます、という二人の声に、コメントが後を追う。爽やかな朝だった。


「そういえば、朝日見ましたよ。いやぁ、めちゃくちゃ絶景でした。この世界に一人取り残されたような気分になりましたね。いや、俺たち二人なんですけど」

「よかった、一瞬忘れられたのかと。でもほんとにすごかった。写真は撮ったからあとでSNSにアップするんだけど、写真だとあの魅力は引き出せそうにないね」

「だな。リスナーのみんなも、ここに来たら最高の朝日が見れますよ。多分穴場スポットだろうし」


 それからいくつかの雑談を挟むうちに、本日の朝食タイムが終了した。


「それじゃあ、そろそろ」

「行くか。ではではみなさん、またあとで。今のうちに家事とかやっておいてくださいね」


 絶対に目が離せないようにする。そんな意気込みを感じる語気で配信が終わった。



 昼過ぎ、曇り空の下で予告通りの配信が始まった。配信画面に映っているのは黄色いテントではなく、灰色の、重々しい岩場だった。大きな岩が重なり、山の上に、岩の山ができている。それに、配信画面は固定されていなかった。風の音がゴウゴウとスピーカーを震わせるなか、くぐもったユウの声が聞こえる。


「どうも、ONE SHOTのユウです。今、この山一番の絶景スポットに来ています」


 コメント欄に、トモはどこだ、という文言が流れる。ユウはそれを察知したように、


「トモはですね、今、装備を整えているところです。トモ、準備はどう?」


 カメラが回り、足元のトモを映す。登山用の靴に履き替えていたトモは、片膝をついた状態で画面に手を振った。


「ホントは最終日に、記念にやろうって予定だったんだけど、雨降るっぽいんだよね。だから急遽やることになりました。絶景撮るから、楽しみにしててね」


 カメラが再び回り、岩場を映し出した。今度は位置がややずれ、目的地らしき岩山の頂点が見える。コメント欄の雰囲気も、『怖い』一色だった。ユウが指を高く指す。


「ご覧のとおり、あそこの端を目指します。まあちょっと道は険しいんですけど、ただの山登りなら慣れたものなんで、任せてください。では、トモも準備できたようなので、早速行きたいと思います」


 配信画面が歩き出した。慣れているという本人の言葉は嘘ではなく、間もなく岩山のふもとのなだらかなエリアから、ゴツゴツした重苦しい雰囲気の場所まで進んでいた。画面越しにやっと本日の挑戦の詳細が見える。岩山は、画角のせいで山のように見えていたが、どちらかというと崖だ。勾配の急な道は、山の切り立ったところに立っているらしく、揺れる配信画面が時折意図的に動かされ、谷底の遠い地面や、打ち付けるような川が見える。この景色を見た視聴者のコメントは、二人の身を案じるものと、以前の挑戦はもっと過酷だったと安心しきった二つの派閥に分かれている。


「トモ、このあたりめっちゃ滑るから気を付けて」

「はーい。突然落ちてこないでね」


 それからすぐに、画面の揺れが平衡感覚を失ったように揺れ出した。スマートフォンを水平に保つ余裕がなくなったらしい。コメント欄が画面酔いを訴えながらも見守るなか、二人の荒い息遣いと、容赦ない風の音だけが断続的に聞こえた。


 やがて、画面の揺れが収まる。同時にユウの、何か喜びを訴えるような声が聞こえる。配信画面はピントを取り戻し、その理由を視聴者に映し出した。遮蔽物の無い、まるで本当に仙人になったかのような、息を呑む絶景が広がっている。コメント欄は一斉に感嘆の声で溢れかえった。

『俺も登山挑戦しようかな』

『生まれてきてよかったって思えそう』


「すげぇ。今年一感動してる。これ曇りじゃなかったらもっと絶景だっただろうな」

「リスナーのみんなも見えてる?」


 配信画面がゆっくりと回り出し、深い緑の山の連なりと、はるか下に見える集落や川、街並み、海までもが一望できる光景を映し出す。


「リスナーの言う通り。生まれてきて良かったわ。今めちゃくちゃ鳥肌立ってますもん。ただね、同じように挑戦したい人は、ほんとに足元だけ注意してね。岩肌って結構滑るし、ここから先、何もない崖ですから」


二人の足元が映る。コメント欄は一瞬で恐怖に感染した。


「よぅし、トモ、記念撮影しようぜ」


 画面外からトモの楽しそうな返事が聞こえる。トモの手から渡された青いスマートフォンを素早くさばき、内カメラを起動する。二人身を寄せ、カメラを構えて何枚か写真を撮った。コメント欄でも、二人に感銘を受けたらしい人が、それぞれ自分がやってみたい夢や目標を語っている。


「よし、記念撮影も出来たことで、一旦配信は終わりに」


 ユウの声が途切れた。ゴオという風の音のなかで、ひと際力強い音がする。強風だ。


「風強いね」

「雲行きも怪しくなってきたし、はやめに退散しよう」


 そう言ったのもつかの間。何か、パキリと割れるような不穏な音がした。

 一瞬の出来事だったが、不幸にも、配信画面がその一部始終を捉えている。風にあおられたトモが大きくバランスを崩し、「あっ」という、か細く短い声と共に、画面下に消えた。


「トモ!」


 ユウが叫ぶ。画面が一瞬だけ激しく揺れ、ユウの顔が映し出される。


「ごめんなさい。トモが……その、足を挫いたっぽいんで、助けてきます。だもんで、駆け足で悪いんだけど、一旦ここで終わりにします。落ち着いたらまた開きますんで。では、またあとで」


 コメント欄は言葉を失ったまま、気が付くと配信画面は暗転していた。その熱はしばらく冷めないようで、SNS上で、『ワンショの危機』『トモ大丈夫』という言葉が、ハッシュタグをつけて出回っていた。心配と憶測の声が入り混じり、はやくもトレンド入りしそうなところを寸でで止めたのは、ユウがSNSに投稿した文章だった。


『皆さん、心配をかけてごめんなさい。トモは落下の衝撃で足を捻っちゃったけど、それ以外に大きなケガも無く、今は安全な場所で休憩をとっています。またあとで報告します』


 投稿文には写真も添付されていた。テント近くの木陰で座り込む人影が二つ、かなり遠くから撮影されている。雨が降り始めたらしく、ピントのぼやけるなか映る二人の姿に、ファンたちの不安は一旦沈静化した。





 夜の定時配信は、ユウ一人で行われた。普段の挨拶も、一人きりだ。


「今日のことについて、知ってる人が多いと思うんですけど、ちょっとアクシデントがありまして」


 今回の配信は、テント前のテーブルにスマートフォンを置いているようで、すべてが近くに見える。ユウが話しながら眺めるコメントの中には、何も知らないようなコメントもちらほらとある。そのコメントに目を通し、ユウは事のいきさつを手短に話した。


『今日くらい休んだら?』『ビックリしたでしょ』『骨折ならやばくない?』

「いや、骨は折れていませんでした。ただ、結構思いっきり捻っちゃったみたいで、立つのもつらいって感じだったんで、今はテントで寝かせています。岩場までの道のりで結構体力を持って行かれてたみたいで、テントまで運んだら速攻ぐっすりでした。念のため医療キットも持ってきたし、応急処置は完璧にできました。多分明日……明後日くらいには復帰できると思います」

『ほんとに大丈夫?』『今すぐ下山して病院に行け』『無理しないで』

「トモの寝顔は、まあ、配信に乗せられないレベルの寝相をしてるから、それは無理。ごめんなさい。下山するかどうかはトモと話し合って決めます。最も、本人が最後までやりたいってピントが合わないらしい。

 素敵なアングルにしようとするのを諦め、結局昨晩と同じ設置位置に戻すことになった。配信用スマートフォンを三脚で固定し、二人が画面に向き直る。ユウが名乗りを上げ、トモが後に続いて両手を小さく振る。テントの前には小さなテーブルと、両脇に折りたたみ椅子が二脚。コメント欄では、はやくも朝の献立を聞くコメントが流れている。


「今日はちょっと早起きして、朝日を見がてら、食料調達もしてきました。やっぱり体を動かすから、いっぱい食べないとという感じで、量のほうもちょっと頑張りました」

「これたべて、精をつけたらいよいよだからね」

 ザルに盛られた内容は、昨日と同じ木の実とキノコだ。ただし、ユウの言う通り量が明らかに多い。


『木の実まずかったんじゃないの?』『お腹壊さない?』

「木の実は大丈夫。さっき試しに食べたんだけど、なんか慣れた」

「そう。食べてるうちに、案外いけるのでは? ってなってね」


 これには視聴者が引く番だった。『適応力やば』『すでに野生化してる』というコメントが流れる。


 いただきます、という二人の声に、コメントが後を追う。爽やかな朝だった。


「そういえば、朝日見ましたよ。いやぁ、めちゃくちゃ絶景でした。この世界に一人取り残されたような気分になりましたね。いや、俺たち二人なんですけど」

「よかった、一瞬忘れられたのかと。でもほんとにすごかった。写真は撮ったからあとでSNSにアップするんだけど、写真だとあの魅力は引き出せそうにないね」

「だな。リスナーのみんなも、ここに来たら最高の朝日が見れますよ。多分穴場スポットだろうし」


 それからいくつかの雑談を挟むうちに、本日の朝食タイムが終了した。


「それじゃあ、そろそろ」

「行くか。ではではみなさん、またあとで。今のうちに家事とかやっておいてくださいね」


 絶対に目が離せないようにする。そんな意気込みを感じる語気で配信が終わった。



 昼過ぎ、曇り空の下で予告通りの配信が始まった。配信画面に映っているのは黄色いテントではなく、灰色の、重々しい岩場だった。大きな岩が重なり、山の上に、岩の山ができている。それに、配信画面は固定されていなかった。風の音がゴウゴウとスピーカーを震わせるなか、くぐもったユウの声が聞こえる。


「どうも、ONE SHOTのユウです。今、この山一番の絶景スポットに来ています」


 コメント欄に、トモはどこだ、という文言が流れる。ユウはそれを察知したように、


「トモはですね、今、装備を整えているところです。トモ、準備はどう?」


 カメラが回り、足元のトモを映す。登山用の靴に履き替えていたトモは、片膝をついた状態で画面に手を振った。


「ホントは最終日に、記念にやろうって予定だったんだけど、雨降るっぽいんだよね。だから急遽やることになりました。絶景撮るから、楽しみにしててね」


 カメラが再び回り、岩場を映し出した。今度は位置がややずれ、目的地らしき岩山の頂点が見える。コメント欄の雰囲気も、『怖い』一色だった。ユウが指を高く指す。


「ご覧のとおり、あそこの端を目指します。まあちょっと道は険しいんですけど、ただの山登りなら慣れたものなんで、任せてください。では、トモも準備できたようなので、早速行きたいと思います」


 配信画面が歩き出した。慣れているという本人の言葉は嘘ではなく、間もなく岩山のふもとのなだらかなエリアから、ゴツゴツした重苦しい雰囲気の場所まで進んでいた。画面越しにやっと本日の挑戦の詳細が見える。岩山は、画角のせいで山のように見えていたが、どちらかというと崖だ。勾配の急な道は、山の切り立ったところに立っているらしく、揺れる配信画面が時折意図的に動かされ、谷底の遠い地面や、打ち付けるような川が見える。この景色を見た視聴者のコメントは、二人の身を案じるものと、以前の挑戦はもっと過酷だったと安心しきった二つの派閥に分かれている。


「トモ、このあたりめっちゃ滑るから気を付けて」

「はーい。突然落ちてこないでね」


 それからすぐに、画面の揺れが平衡感覚を失ったように揺れ出した。スマートフォンを水平に保つ余裕がなくなったらしい。コメント欄が画面酔いを訴えながらも見守るなか、二人の荒い息遣いと、容赦ない風の音だけが断続的に聞こえた。


 やがて、画面の揺れが収まる。同時にユウの、何か喜びを訴えるような声が聞こえる。配信画面はピントを取り戻し、その理由を視聴者に映し出した。遮蔽物の無い、まるで本当に仙人になったかのような、息を呑む絶景が広がっている。コメント欄は一斉に感嘆の声で溢れかえった。

『俺も登山挑戦しようかな』

『生まれてきてよかったって思えそう』


「すげぇ。今年一感動してる。これ曇りじゃなかったらもっと絶景だっただろうな」

「リスナーのみんなも見えてる?」


 配信画面がゆっくりと回り出し、深い緑の山の連なりと、はるか下に見える集落や川、街並み、海までもが一望できる光景を映し出す。


「リスナーの言う通り。生まれてきて良かったわ。今めちゃくちゃ鳥肌立ってますもん。ただね、同じように挑戦したい人は、ほんとに足元だけ注意してね。岩肌って結構滑るし、ここから先、何もない崖ですから」


二人の足元が映る。コメント欄は一瞬で恐怖に感染した。


「よぅし、トモ、記念撮影しようぜ」


 画面外からトモの楽しそうな返事が聞こえる。トモの手から渡された青いスマートフォンを素早くさばき、内カメラを起動する。二人身を寄せ、カメラを構えて何枚か写真を撮った。コメント欄でも、二人に感銘を受けたらしい人が、それぞれ自分がやってみたい夢や目標を語っている。


「よし、記念撮影も出来たことで、一旦配信は終わりに」


 ユウの声が途切れた。ゴオという風の音のなかで、ひと際力強い音がする。強風だ。


「風強いね」

「雲行きも怪しくなってきたし、はやめに退散しよう」


 そう言ったのもつかの間。何か、パキリと割れるような不穏な音がした。

 一瞬の出来事だったが、不幸にも、配信画面がその一部始終を捉えている。風にあおられたトモが大きくバランスを崩し、「あっ」という、か細く短い声と共に、画面下に消えた。


「トモ!」


 ユウが叫ぶ。画面が一瞬だけ激しく揺れ、ユウの顔が映し出される。


「ごめんなさい。トモが……その、足を挫いたっぽいんで、助けてきます。だもんで、駆け足で悪いんだけど、一旦ここで終わりにします。落ち着いたらまた開きますんで。では、またあとで」


 コメント欄は言葉を失ったまま、気が付くと配信画面は暗転していた。その熱はしばらく冷めないようで、SNS上で、『ワンショの危機』『トモ大丈夫』という言葉が、ハッシュタグをつけて出回っていた。心配と憶測の声が入り混じり、はやくもトレンド入りしそうなところを寸でで止めたのは、ユウがSNSに投稿した文章だった。


『皆さん、心配をかけてごめんなさい。トモは落下の衝撃で足を捻っちゃったけど、それ以外に大きなケガも無く、今は安全な場所で休憩をとっています。またあとで報告します』


 投稿文には写真も添付されていた。テント近くの木陰で座り込む人影が二つ、かなり遠くから撮影されている。雨が降り始めたらしく、ピントのぼやけるなか映る二人の姿に、ファンたちの不安は一旦沈静化した。





 夜の定時配信は、ユウ一人で行われた。普段の挨拶も、一人きりだ。


「今日のことについて、知ってる人が多いと思うんですけど、ちょっとアクシデントがありまして」


 今回の配信は、テント前のテーブルにスマートフォンを置いているようで、すべてが近くに見える。ユウが話しながら眺めるコメントの中には、何も知らないようなコメントもちらほらとある。そのコメントに目を通し、ユウは事のいきさつを手短に話した。


『今日くらい休んだら?』『ビックリしたでしょ』『骨折ならやばくない?』

「いや、骨は折れていませんでした。ただ、結構思いっきり捻っちゃったみたいで、立つのもつらいって感じだったんで、今はテントで寝かせています。岩場までの道のりで結構体力を持って行かれてたみたいで、テントまで運んだら速攻ぐっすりでした。念のため医療キットも持ってきたし、応急処置は完璧にできました。多分明日……明後日くらいには復帰できると思います」

『ほんとに大丈夫?』『今すぐ下山して病院に行け』『無理しないで』

「トモの寝顔は、まあ、配信に乗せられないレベルの寝相をしてるから、それは無理。ごめんなさい。下山するかどうかはトモと話し合って決めます。最も、本人が最後までやりたいって言ってるもんですから。ただ、今日は色々と疲れちゃったんで、これで失礼します」


 コメント欄はいたわりの声が溢れかえった。

『お疲れ様』『ゆっくり休んで』『明日楽しみにしてる』という、暖かいコメントが並び、画面はそっと暗転した。



 挑戦開始三日目は、朝晩の配信も、SNSの更新もなかった。視聴者たちは心配の声を上げるだけでなく、やはり大きな事故だったのではと持論を繰り広げる人もちらほらと見える。だが多くの人は、『明日は配信してくれるかな』という、期待や安堵の声を寄せていた。




「ONE SHOTのユウです。まずはですね、昨日枠開けなかった謝罪からさせてください」


 四日目の配信は、早朝四時に行われた。どうやら、二日目の滑落事故で下山した際、人ひとり背負った状態で不安定な足場を踏破した影響が出たらしい。コメント欄は心配の声で包まれていたが、当の本人は「一日空けて筋肉痛とか、歳かな」と、笑って流すようだった。今朝の配信が早朝である理由も、単に長引く筋肉痛で寝付きが悪かったらしい。笑顔は見せているが、その表情は普段よりいくらか曇りがかっていた。視聴者の為に前向きに振る舞おうとする姿に、ヤジを飛ばす人はいなかった。


「みんなも心配してくれているトモについてなんだけど、まだ無理はできない状態だから今日も休ませます。まだ日数もあるし、ここで悪化させるわけにはいかないですからね。最終日には復活してくれたらいいんだけど」


 ちらとテントを見る。黄色い布はぴくりとも動かない。ユウは言葉を続けた。


「一応、あの後話したんですよ。下山しようかって。ただですね、その、何が何でも最終日まで敢行するぞって、トモが。はい、アイツの希望です。だもんで、トモが回復するまでは、俺一人で配信させてもらいます。登録者百万人も見えてきてるし、いい加減、俺一人でも盛り上げられるようになんとかやって見せます」


 不安そうな声で、けれども言い切った。ぴんと親指を立てて笑うと、コメント欄から声援の声が投げかけられる。

『ついに親離れの時が』『これで外国でもやっていけるね』


「今日の予定なんですけど、焚き火のリベンジはまだ厳しそうなんで後回しにします。まだ本調子でもないんで、今日はのんびり、食糧調達でもしようかなって思います」


 そう言うと、テーブルのザルと、いつも通りテントを映していた配信用のスマートフォンを手に取り、移動を始めた。


「さっき、トモが俺に内緒で見つけたらしい収穫スポットを教えてもらったんですよ。アイツには体力付けてもらわないとなんで、そこに行こうと思います」


 収穫スポットまでの道のりは比較的緩やかで歩きやすそうに見えたが、ユウの足取りは決して軽くなく、足もとを確認するかのように慎重に見えた。やはりまだ本調子ではないらしい。


「確かこの辺りだと思うんですけど……あ、ここです、ここ」


 配信画面が茂みの低いところをアップで映す。赤い、小さな実が鈴のように連なっているのが見えた。発色の良い、ともすれば毒々しい見た目をしているが、「これ、美味しいやつね」と言いながらユウがてきぱきと収穫を始める。長い配信生活で手慣れた動きで、あっという間にザルが木の実でいっぱいになった。しばらく無言で収穫をしていると、コメント欄が動く。


『多すぎない?』『森のしきたりは?』

「あ、やば、油断してた。……さてと。それじゃあ、あとはこれを家に、じゃなくてテントに持って帰って、トモと朝食にしたいと思います。みなさん、午後の配信も遊びに来てくださいね。では、またあとで」


 現地解散といった様子で画面が暗転した。その後、SNS上でユウ単独の配信の感想を視聴者が好き好きに言い合っている最中、ユウのアカウントから投稿の通知が届いた。どこか高い場所から撮影しているらしい、黄色いテントの遠景写真が添付されている。


『鳥の声しか聞こえない静かな朝。たまにはこういうのも悪くない』



 午後の配信は、大きな倒木をバックに映しながら、ユウの手持ちで始まった。近くで、激しい川の流れる音が聞こえる。そのため、普段の軽快なユウの挨拶もくぐもって聞こえた。


「早速なんですけど、これが前に言ったでっかい倒木です」


 配信画面が回り、景色を変える。倒木は、川を流れる、堀のようなくぼみを跨ぐように横たわっていた。問題なのは、その堀がとても高く、広い。視聴者からは悲鳴のコメントが多く飛んだが、ユウたちワンショにとって、この程度は本当にアスレチック程度なのだろう。それでも、一部の視聴者からは、『危険だ』『子どもが真似をする』といった、警鐘を鳴らすようなコメントが流れてきている。それに目も止めず、ユウはおもむろにズボンのポケットからあおいスマートフォンを取り出し、耳に当てがった。


「おー、トモ、よく眠れたか? ……そうそう、今倒木のとこ」


 通話越しにトモと話をしているらしいが、内容まではマイクが拾わなかった。ユウの口からもれる声も相づちばかりで、要領を得られるものではなかった。

 ほどなくして通話がおわったらしく、ユウの視線が配信画面に向く。


「トモからの伝言もらいました。ただ渡るだけじゃないよね? ですって。何をやるかは……まあ、あれですね。木の真ん中についたあたりで募集しましょう」


『二人の競争見たかったな』というコメントが流れる。ユウはまるで息をするかのように「じゃ、行きますか」と言うと、緊張感も無いまま木に足をかけた。苔むした樹表はとても滑りやすいらしく、勢いはあっても慎重に足を進めていく。もちろん命綱は無いし、その状態で落ちようものなら無事では済まされない程度には川との落差がある。画面が小刻みに揺れるたび、視聴者が緊張の波に包まれた。


 突然、ユウの様子がきな臭くなった。両脚が震えている。画面ではなく、彼自身の震えだ。次第に強まり、生まれたての子鹿のような有り様である。息づかいもこのまま卒倒してしまうのではと心配になるほど荒くなっていた。尋常では無い様子に、視聴者のコメントが再び流れ出す。


「え、あ、はは。なんだろ、これくらいいつも余裕なのに。いつもこなしてるのに」


 言葉にはまだ強がりが見える。だが、このまま進めば川に転落することは誰の目にも分かる状況だ。視聴者がネガティブな盛り上がりを見せ始め、『やめとけ』『戻れ』といった命令口調のコメントまで流れ出す。

 コメントが目に止まったらしく、配信中であることを思い出した様子のユウはその場で呼吸を整え、足の震えが落ち着き始めるのを待ってから、ゆっくりと後ずさった。


「えっと、多分あれですね。まだ本調子じゃ無いってことかも。あぁ、そう、トモには、挑戦失敗したって言っておかなきゃ。……というわけで、一旦テントに戻ります」


 震えは落ち着いたが、呼吸はまだ緊張が抜けきっていない。今日の挑戦は無理だと悟ったユウは、倒木の向こうに目をやり、踵を返した。


『大丈夫?』『配信止める?』

「そうですね。テントに着いたら一旦終わりましょうか。休憩ホントに大事。みんなもマジで、休むこと舐めてると僕みたいになるからね」


 乾いた笑みを浮かべながら、森の中を歩き出した。

 その後の会話は無かった。コメント欄がのんびりと流れるなか、ユウはじっと進行先を見つめている。視聴者たちが、『先に何かあるのか』と訝しむほどだった。しかし特に何もなく、少しして本拠地である黄色いテントに到着する。


 途端、配信画面がぐるりと回った。上下に景色が流れ、鈍い音と共に動きが止まった。何かの拍子で落としたのだろう、快晴の空が画面全体に映し出されている。


 暑さを覗けば穏やかな昼下がり、呑気な景色に似つかわしくない、数匹のハエの軌跡が画面内を飛び回った。少しして人の手のような影があらわれ、配信は突然終了した。




 5日目。


 配信は行われなかった。

 SNSでは一言だけ、ユウの『元気です』という生存報告だけが投稿された。



 6日目。


 配信は行われず、SNSの更新すら一度としてなかった。



 7日目。


 待ちに待っていたはずの視聴者たちは、ハッシュタグをつけ、思い思いの意見を交わしながら二人の配信を待っていた。

 それでも、配信は行われず、記念すべき企画最終日であるにも関わらずSNSの更新もなかった。



 山でのサバイバル生活から一ヶ月が過ぎた。


 ワンショの四周年記念動画は世界的に大反響を呼び、チャンネル登録者数は百万の大台を軽々と越えていった。ワンショを古くから応援している人も、最近知った人たちも、皆同じ熱量で喜びたいと思っている。そして、喜びたいのに、喜ぶことが出来ない。そんな空気がSNSに漂っている。


 誰も彼もが祝福の準備を整えているというのに。

 主賓の二人が、あの日から姿を現わすことはなかった。

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りおの短編集 成澤りお @almina_rio

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