第7話
王都ルミナリアの城門を抜けると、そこには鬱蒼とした森が広がっていた。
「初任務は森の魔物退治だ」
アルフレッドが手に持った羊皮紙の依頼書を確認しながら言った。
依頼書には『オークの群れ討伐』と書かれており、報酬金額と依頼主の名前が記されている。
「魔物……」
俺の声が震えていた。魔物と戦う。
実際に命のやり取りをするのだ。
森の入り口は薄暗く、巨大な樹木が天を覆っている。
木漏れ日がかろうじて地面を照らしているが、奥の方は深い闇に包まれていた。
どこからか鳥の鳴き声や、小動物が走り回る音が聞こえてくる。
空気は湿っていて、土と腐った落ち葉の匂いが鼻をついた。
風が木々の間を通り抜けるたびに、ざわざわと葉が揺れる音が響く。
「大丈夫?」
エリーナが心配そうに俺を見つめた。
彼女の緑色の瞳には、優しい気遣いが込められている。
「俺、戦ったことないんです……」
現実世界では確かに暴力を受けることはあった。
父親から殴られ、いじめっ子から蹴られ。
そんな一方的な暴力は日常茶飯事だった。
しかし自分から誰かを攻撃したことは一度もない。
ましてや命をかけた戦闘なんて、想像もできない。
「みんな最初はそうよ」
エリーナが優しく微笑んだ。
魔導書を胸に抱えながら、俺の緊張を和らげるように話しかけてくる。
「私だって最初は怖かった。魔法を覚えたばかりの頃は、標的に当てることすらできなかったの」
「本当に?」
エリーナが頷く。
「初めての戦闘では、緊張しすぎて魔法の詠唱を間違えてしまって、味方に氷の矢を飛ばしちゃったこともあるのよ」
その告白に、俺は少しほっとした。
エリーナのような完璧に見える人でも、最初は失敗していたのだ。
「そうだよ、お兄ちゃん!」
ルナが俺の手をぎゅっと握ってきた。
小さな手のひらは温かくて、獣人特有のふわふわとした毛が心地よい。
「私たちがいるもん。お兄ちゃんは一人じゃないよ」
ルナの琥珀色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。
そこには疑いのかけらもない信頼があった。
「みんな……」
胸が熱くなる。
こんなにも自分のことを心配してくれる人たちがいるなんて。
「よし、それじゃあ作戦を確認しよう」
アルフレッドが森の入り口で立ち止まり、俺たちを振り返った。
「俺が前衛で敵の攻撃を受け止める。エリーナは後衛から魔法でサポート。ルナは機動力を活かして側面攻撃。そして蒼真は魔法で援護してくれ」
「俺にできるかな……」
不安が心をよぎる。
確かに女神アリエルから大きな魔力を授けられた。
身体の中にエネルギーが満ちているのは実感できる。
しかし使い方が分からない。
どうやって魔法を発動するのか、どうやって狙いを定めるのか、まったく見当がつかなかった。
「大丈夫だ、俺が戦い方を教えてやる!」
アルフレッドが力強く言った。
彼の碧い瞳には、迷いがなかった。
心の奥底から俺を信頼してくれているのが分かる。
「私も魔法の使い方を教えてあげるから。あなたなら必ずできるようになる」
「お兄ちゃんなら絶対大丈夫!」
ルナが元気よく尻尾を振った。
獣人特有の身体能力で、軽やかに木の枝に飛び乗ったり、地面を駆け回ったりしている。
見ているだけで、彼女の運動神経の良さが分かった。
「まずは魔力の感じ方から教えるわね」
エリーナが俺の前に立った。
魔導書を開き、美しい文字で書かれた呪文を指差す。
「胸の奥にある暖かいエネルギーを感じて。それが魔力よ」
俺は目を閉じて、身体の中を探った。
確かにある。心臓の辺りに、熱くて大きなエネルギーの塊が。
それは生きているかのように脈動していて、俺の意識に反応して大きくなったり小さくなったりしている。
「どう、感じられる?」
「はい……なんか、すごく大きいです」
「やっぱり、私の魔力と比べても、比較にならないくらい大きいわ」
俺が女神さまからもらった魔力はどうやらとんでもないものだったらしい。
「次は、その魔力を外に出す練習よ。手のひらに意識を集中して、魔力を流してみて」
俺は右手のひらを上に向けた。
胸の奥の魔力を、血管を通して腕に流していく。
すると、手のひらに青白い光が浮かんだ。
光は美しく、幻想的だった。
まるで蛍の光を集めたような、柔らかい青い輝き。
触れてみると、温かくて心地よい感覚だった。
アルフレッドが目を丸くした。
「すげえ! いきなり魔力を可視化させるなんて」
「普通は数ヶ月かかるのに……やっぱりあなたは特別ね」
「お兄ちゃん、きれい!」
ルナが手を叩いて喜んだ。
俺は嬉しくなった。仲間たちが褒めてくれる。
認めてくれる。こんな経験は生まれて初めてだった。
アルフレッドが満足そうに頷いた。
「蒼真、お前は本当にすごいやつだな」
「そんなことないです……」
俺は照れながら頭を掻いた。
「謙遜しなくていいのよ、あなたの力は本物なんだから」
「そうそう! お兄ちゃんは私たちの自慢だよ!」
自慢。
その言葉が、胸の奥深くに響いた。
俺を自慢だと言ってくれる人がいる。
俺の存在を喜んでくれる人がいる。
「ありがとう、みんな」
声が少し震えていた。
嬉しすぎて、また泣きそうになってしまう。
「さあ、準備はいいか? 森の奥にオークがいる」
オーク。異世界の魔物の名前は知識として知っていたが、実際に会うのは初めてだ。
「オークって、どんな魔物ですか?」
「豚の顔をした人型の魔物よ。身長は二メートルくらいで、力が強いのが特徴。頭はあまり良くないから、正面から戦えば勝てるわ」
エリーナが説明してくれた。
「お兄ちゃん、怖がらなくていいよ。私たちが絶対に守ってあげるから」
ルナが俺の手を握る。
俺は深呼吸した。
確かに怖い。魔物と戦うなんて、考えただけで足が震える。
けれど、俺は一人じゃない。
頼もしい仲間がいる。
俺のことを信じてくれる人たちがいる。
「分かりました。やってみます」
「その意気だ!」
アルフレッドが俺の背中を叩いた。
「俺たちが一緒にいるんだ。何も心配いらない」
「そうよ。私たちは仲間。お互いを支え合って戦うの」
「みんなで頑張ろうね!」
四人で森の中へ足を踏み入れる。
足元には柔らかい苔が生えており、歩くたびにふかふかとした感触が伝わってくる。
木々の間からは、様々な鳥の鳴き声や虫の音が聞こえてきた。
アルフレッドが先頭を歩き、エリーナが俺の隣を歩いている。
ルナは軽やかに木の枝を移動しながら、周囲を警戒していた。
「緊張してる?」
エリーナが小声で聞いてきた。
「少し……」
「私も初めての時は緊張したわ。でも大丈夫。あなたには大きな力がある。それに何より—」
エリーナが俺の目を見つめた。
「私たちがいるから」
その言葉に、俺の心が温かくなった。
仲間がいる。一人じゃない。
どんな困難が待っていても、みんなで乗り越えることができる。
俺は初めて、本当の意味で勇気を感じることができた。
森の奥から、何かの鳴き声が聞こえてきた。
それは人間のものではない、野獣のような咆哮だった。
アルフレッドが剣を抜いた。
「みんな、準備はいいか?」
「はい!」
四人の声が、森に響いた。
俺たちの初めての戦いが、今始まろうとしていた。
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