第10話 星の旅路の終わりに

 空は限りなく澄んでいた。

 そして、その先にあるものは、何の名も持たなかった。


 “母が遺した最後の座標”──それは、どの星図にも存在しない空白だった。銀河地図の端、既知の空間を超えた先に浮かぶ、ひとつの点。


「重力波なし。星間放射線安定。ですが、エネルギー反応だけは……異常に高い」


 エーサーの分析が告げたのは、存在しないはずの“何か”の気配だった。


「たしかにあるんだね。ここに」


「はい。まるで、誰かが“意図的に隠していた”ような……そんな印象を受けます」


 アリアとエーサーは、星図に記されたその点に進路を合わせた。


 やがて艦の前方に、“光”が見えた。


 だがそれは、恒星のように燃えているわけでも、惑星のような質量を持っているわけでもなかった。


 それは──無数の粒子が集まり、**かつて星だった“記憶の残滓”**が形作った、幻のような場所だった。


「これは……」


「観測結果、すべての既知文明の記録構造を含んでいます。まるで、“宇宙の記憶そのもの”が星のような形をとっている……」


 それは母が最後に到達し、帰還できなかった場所。

 すべての観測者が辿り着こうとして辿り着けなかった、旅の果て。


 アリアはゆっくりと艦を降りた。


 そこに大地はない。足元は光の粒子に支えられ、空もまた“記憶の海”のように柔らかく波打っていた。


 彼女はまっすぐ、中心へと歩く。


 やがて現れたのは、一人の女性の記憶映像だった。


 ──母、エリアナ。


『あなたが来てくれるって、どこかで思ってた』


『私はここで、ようやく旅を終えたの。でも、あなたには終わりじゃなく、“始まり”にしてほしい』


『この場所は、記録の終端じゃない。記録の源流なの。わたしたちが旅をして、言葉を残して、記憶を継いできた意味……その“すべての根っこ”が、ここにある』


 光が、アリアの体を包む。


 ──そして、見えた。


 数え切れない記録の断片。かつて滅んだ星。忘れられた名前。微笑み、叫び、願い、沈黙。誰にも気づかれずに消えた文明、未だ存在するかもしれない命。


 それらが一瞬の閃光のように、すべて自分の中を通り抜けていった。


「これは……重すぎる……」


「アリア。あなたは、この“記録の泉”と接続した初めての存在です。このままいけば、あなたの意識は全記録と融合し、“個”を失います」


 エーサーの警告が響く。


 ──選ばなければならない。


 “記録と一体化して終わる”か。

 “旅を終えて帰還し、誰かにそれを伝える”か。


 アリアは、そっと目を閉じた。


 胸の中に、いくつもの声が蘇る。


 旅で出会った人々。過去の観測者。記憶の守人たち。母の声。そして、自分自身の、最初の願い──


 「空の向こうに、何があるんだろう?」


 アリアは、微笑んだ。


「私は──帰るよ。だって私は、旅人だもの。記録は、届けなきゃ意味がないから」


 その瞬間、光が柔らかく収束し、“記録の泉”が一粒の星へと凝縮された。


 アリアの手のひらに浮かぶ、小さな光の球。それは宇宙のすべてを記した、“新たな星図の核”だった。


 帰還。


 艦内に戻ったアリアは、星図を胸に抱きしめた。


「エーサー。これで、私たちの旅は本当に……」


「終わりではありません。これは“あなたが継いだ旅の、その次の章”です」


「……そっか。じゃあ……これからは、誰かの旅を導く番だね」


 エーサーのパネルに、小さく表示される新しい通知。


──《記録継承装置、起動可能》

──《星図複製生成:子供用モジュール》

──《旅の記録、公開準備完了》


 アリアは、ゆっくりと目を閉じた。


 そして、数年後。

 とある小さな村の丘で、ひとりの少女が空を見上げていた。


 手には、“記録のかけら”と呼ばれる小さな星図。

 そこにはこう書かれていた。


「これは、かつて旅をした少女と星の記憶。

でもこれは、あなたの旅の“始まり”にもなるんだよ」


 風が吹いた。星が瞬いた。


 そしてまた、新たな旅が始まった。


「たとえ記録が消えても、想いが誰かに届く限り──その旅は終わらない。」



【完】

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『星の旅路』 S・N studio @sin6340

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