第36話『ずっと前から…』

『おう! どんどん頼れ! 頼って頼って、頼りまくれば良い』


 本当は、彼に頼りたくなかった。

 私は、誰にも頼ってこなかったし、頼ろうともしなかった。

 自分のことは自分でなんとかする。

 容姿も、頭の良さも、運動神経も。

 全て独りで手に入れたから、今の私が存在する。


 だから今回も、誰にも頼りたくなかった。

 なのに……


『頼って良いかしら──あなたに!』


 彼に頼ってしまった。

 どうしてなの?私は彼に甘いの?

 普段の私なら、誰が手を差し伸べようとも全て払いのけてきた。

 それなのに私は、彼の手だけはいつも掴んでしまう。


『私についてきて』


 いや違う。

 掴んでいるんじゃない、掴むしかないんだ。

 無数に並ぶ暗いトンネル。

 どのトンネル選ぼうとも、抜けた先には彼という名の光が必ず待っている。


 きっと私にとって、彼は特別な存在なんだ。



    ☆☆☆



 私達は海に着いた。

 頬を撫でる潮風が心地良い。

 とりあえず叫びたい気分だったから、声が響かず、誰もいなそうなこの海を選んだ。


『お前らのポジションが悪いから! パスを出せないんだよ!!!』


 波を押し返すような気持ちで、私は叫んだ。

 人生でこんなに声を荒げたのは初めてだった。

 横で私のことを見ていた水城君は少し引いてたけど、叫ぶのが案外楽しくて、その後も叫び続けちゃった。


 叫び終えると、私は水城君にも叫ぶよう頼んだ。

 あれこれ理由を付けたけど、本当はどっちでも良かった。

 まあ、おまけってことにしておこうかな。


 それから水城君は鞄を置いて叫んだ。

 一体どんなことを叫ぶんだろう。


『お、お前が昼飯食ったせいで! 授業中お腹が鳴って大恥かいたじゃねえか!!!』


 水城君の叫びに、私は目を見開いた。

 そして私は思わずお腹を抱えて笑った。

 だってそんなの、私のやつと比べたら全然大したことないじゃない。


 彼はバカにするなと言ってきたけど、あまりの面白さに笑いを堪えきれなかった。

 ふー。こんなに笑ったのはいつぶりかしら。もしかしたら初めてかもしれない。


 ……あぁ、なんだろう。今が人生で1番楽しいかもしれない。

 したいことをして、お腹を抱えながら笑って……。

 とは比べら物にならないくらい、今が充実してる。

 やっぱり水城君は、私にとって特別な存在。


 でも、その『特別』の真の答えはまだ分からりそうにない。



    ☆☆☆



 思う存分笑った私は、靴を脱ぎ捨て海に駆け出した。ここまで来たら、やりたいことを全部やろう。


『なにこれ、すごい沈むんだけど。ねえねえ水城君! ここの砂、やけに沈むんだけどー!』


 なんだか幼い子供みたいね、私。

 でもこれが、素の私。本当の藍田萌香。

 白銀の氷姫は、自分を強く見せる為の仮初の名前。

 本当は、そんな人間存在しない。


『あはは! ホント海って最高ね!』


 ひんやりとした潮水に、足に絡みついてくる海砂。そして、舞台のスポットライトのように私を照らす夕日。

 我を忘れるぐらい、私は海ではしゃいだ。


 こんな私を見て、彼はどんなことを思っているんだろう。

 子供っぽい?それとも何も思っていない?

 そもそも、私を見ているのかしら。


 ……いや、今はそんなことどうでもいい。彼がどう思おうが関係ない。

 今はとにかく、感情に身を任せ、自分のやりたいようにする。

 

 今だけ、ここは私の世界。

 この瞬間だけは、本当の私を全力で楽しむ。

 


    ☆☆☆



 辺りが薄暗くなった頃、私達は鞄を手に持って駅に向かった。

 はしゃぎ過ぎて上昇した体温を、夜風が冷ましてくれる。


『電車が参ります』


 私達は電車に乗車する。

 誰もいない1号車。

 隣り合わせになるように、私達は腰を下ろす。


『スッ……』


 どうしてだろう。

 身体が勝手に、水城君に近づいた。

 それに手も、段々彼の手と重なっていく。

 でもそうすることで、心が温まって、安心する。

 まるで彼が、包んでくれているかのように……。



 やがて電車が降車駅に到着した。

 私達は電車を降りて、改札を抜けた。

 そして夜道を歩くこと15分、お互いの家に着いた。


『じゃあな姫さん。次会うのは夏休み明けか』


 道中、私はずっと考えていた。

 どうして彼は、私を名前で呼ばないの?

 私を呼ぶ時は『お前』か『姫さん』ばかり。

 仲良くなった当初は何も感じなかったけど、今となってはそれが不快に感じた。


『あなただけは、私のことを名前で呼んでほしい』

 

 だから私は、彼に名前で呼ぶよう頼んだ。

 自分は苗字で呼んでるのに、そんなこと頼むのは我儘だって分かってる。

 でも特別な存在の人に、いつまでも名前で呼ばれないのは嫌。


『じゃあな藍田。また今度』


 知ってる。

 彼の性格からして「急に名前呼びに変えるのは恥ずかしい」なんて百も承知。

 それでも、彼には名前で呼んでほしい。

 きっとそうすれば『特別な存在』の答えも分かると思ったから。

 

『分かった。望み通り、これからお前を名前で呼ぶよ』


 やっとだ。

 やっとこれで、特別の答えがわかる。


『じゃ、じゃあな……も、萌香!』

『っ……!』


 名前を呼ばれた瞬間、かつてないほど心臓が大きく跳ねた。

 あぁ、なんだ……。

 これが、特別な存在の答えだったのね。

 

『うん……またね、水城君』


 今この瞬間からじゃない。

 プールに行った時、もしくは彼と初めて遊んだ時かしら。

 いや、どれも違う。


 ずっと前から、私は彼のことが──。



 


 


 




 

 



  


 

 

 



 

 

 




 



 

 




 

 



 







 

 

 

 

 


 


 




 

 

 


 

 

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